01 はじまりのはじまり

 だれもが、一度は物語を変えたいと思ったことがあるはずだ。

 空想だと。
 現実ではないと。
 そうわかっていても、

『もしも』

 を思ってしまうものだ。

 だが。



 緊迫した船上のとある一室で、ひとりの男が自分の三倍も体があろう大男に詰め寄っていた。

 
「待ってくれ! ガル、アンタが死んだら俺たちは終わりだ!」
「馬鹿野郎! 俺が殺られるって言いてェのか!」
「そうじゃないっ! 状況を考えてくれと言ってるんだ! 今のアンタに、力を操る体力なんてある訳がないっ!」
 

 男の名は、ルイス。

 名はルイス、隠し名はクロノ、消し名はジークエンス。通り名は、風碧ルイス。
 サラサラの黄金の髪、端正な顔立ちも目を引くが、ひときわ目を引くのは、額に輝く碧の石だ。

 それに対峙する大男、この船の頭領であり、世界の大悪党、ガル・ブラック。
 視線だけで人を殺めてしまえそうな、凶悪な四白眼を、まっすぐにルイスに注いでいた。

 
「力がないからなんだ……力がないからって仲間を見捨てるような野郎が、この船の頭領やってるわけがねェだろうがッ!」
「…………ッ」
 

 鋭い怒号が炸裂した。
 船中に響き渡ったのか、さっきまであんなにざわめいていたというのに、途端に静かになる。ロウソクの火を吹消し、闇に染ってしまったかのような静けさだ。
 ルイスは唇を噛みしめた。

 悔しかった。

 仲間は大切だ。誰一人として欠けて欲しくはない。
 そんなのは、きっとこの船の誰もが思っている。

 だけどアイツは。アイツは……。

 声にするのははばかられた。

 ただ、何も言えずに唇を強く噛む。
 血が一筋、口の端を伝って床に落ちた。

 
「おめェだって、わかっているだろ……ルイス」
「俺は……」
「目に見えるものだけが、真実じゃねェって、いつも言ってるだろうが」
「…………」
 

 じゃあ、何が真実だ。
 何を信じればいい。
 暗闇の中、闇雲に手を伸ばすようなこの状況の中で、何を、信じろと言うんだ。

 
「おめェは、俺についてくると決めたんだろうが」
「あたりまえだ」
「なら、俺が愛しているモノを、同じように愛せ」
「…………」
「俺も、おめェが愛するモノを、同じように愛す」
「俺には、そんなものはない」

「ハッ、まだまだ青いなァ、ルイス。命をかけても、守りたいモノっていうのが、この世にゃァあるんだよ」
(俺にはもうそれが、アンタしか……)
「愛する女のひとりでもいりゃァ、おめェも変わったのかもしれねェなァ……」
 

 そう言って、凶悪な四白眼をやわらかく緩め、大きな手でガシガシとルイスの頭を撫でるガルを見て、ルイスは静かに目を伏せた。

 
「死なないと、約束してくれ」
「勝手に殺すんじゃねェよ」
「アンタを、信じる」
 

 だが。

 その約束が果たされることは、なかった。
 
 
 

――――
 
 
 
 

「どうして、どうしてっ!」
 

 誰が予想できただろうか。こんな結末。
 きっと、アメリカの大統領だって、世界の天才的な数学者だって、こんな結末予想できたはずがない。

 だってこれは、少年マンガだ。
 

 人は簡単に死なない。
 なんだかんだハッピーエンドになるのが定番じゃないか。
 私だって、当然のごとく大円団になるんだと思ってた。思ってた……っ!

 なのにっ……!!

 
「どうして……っ、ガルが死ななきゃいけないのーっ!」
 

 腹の奥底から湧きあがる、煮えたぎるような怒りのままに、私は手に持っていたマンガ雑誌を投げだした。

 愛すべきマンガだ。
 でも、こんなのってない。
 こんな結末って……!

 私に投げだされたマンガ雑誌は、そばに来ていたらしい、我が弟のつまさき近くに落下した。

 
「はぁ……姉ちゃん、うるさい」

 弟、明文は呆れたようにため息をついて、リビングの床に放り捨てられたマンガ雑誌を片手で拾いあげた。

 
「ったく、だいたい、これ読むの何度目だよ。これ出たの一年以上前じゃね?」

「何度読んでも悲しいのっ!」

 だって、ルイスは何もかもを無くして、独りになってしまうんだ。
 そして、かっていた空を見上げる。

 その背中が、あんまりにも悲しくて――

 私は、残されてしまう人の悲しみというのを痛感した。

 
 
 
「あ」
 

 私のひらいているマンガ雑誌をのぞきこんでいた明文が、顔はマンガ雑誌に向けたまま、チラリと目線だけを私に向けてくる。

 
「なになに? どしたの?」

「端、折れてる」

「ええぇぇぇええ!?」
 

 明文の示す先を見た。たしかに、左上のはしっこが、ほんのちょびっと折れてしまっている。

 
「そんなっ、さっき見たときは……っ」

「姉ちゃん、さっきそれ投げただろ」

「…………」
 

 あのときかぁぁあああ!!!

 私は数分前の私を脳内で八つ裂きにした。十字架にはりつけ、銃乱れ打ちだ。
 あんな、あんな一度の間違いで、こんなことに……!!

 
「まあ、ほら、ルイスは無事……」
 

 ビリッと、不吉な音がした。

 
「…………」

「……なんの、音……?」

「いや、いやいやいやいやいや、なんでも……っ」

「今、音がした……ビリッて……」
 

 ゆっくり、ゆっくりと顔をあげる。

 
「ねぇ、なんの、音?」
 

 明文の顔が、さあっと青くなった。なんなら白くなっていってる。死にかけているらしい。

 
「す、すいませんでしたァァァァァ!!」
 

 弟がジャンピング土下座をした。
 私の目は、ある一点に釘付けだ。そう、真っ二つに引き裂かれた、ルイスの顔に。

 
「……ね、姉ちゃん……?」

「い、いやぁぁぁあああ!!!」
 

 なぜ、なぜ?! どうしてルイスの顔なんだ!
 私の愛するルイスの凛々しいご存顔が真っ二つ!

 もうダメだっ、私はもう生きていけない……!

 
「お、落ち着けって」

「さっきは、さっきはちょっと折れてるだけだった!」

「わ、悪かったよっ」
 

 はぁっと、深いため息をつく音が聞こえて、すぐに私の横にだれかが屈んだ気配がした。

 そして、なぐさめどころか、我が弟は私の怒りの炎にせっせと薪をくべた。
 
 
「でも、たかがマンガだろ?」

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