1 はじめまして、壊れた世界

 その日、世界がひっくり返った。

 ピシャーンッ! と私の頭の上に雷が落ちたような衝撃が全身を貫く。本当に痺れているような気さえして、体がぶるぶると震えた。

 私の視線の先には太陽。ただの太陽だ。

 だが、幼い私の頭の中をぐちゃぐちゃに掻き回すには十分すぎる光景だった。

『太陽が、ふたつある』

 快晴の青空にぽっかりと浮かんでいる大きさの違う太陽は、ひとつは淡い白銀のような光を。もうひとつは、火を思わせるオレンジの光を、それぞれ大地に注いでいた。
 その間を、長い影が通り抜けていく。
 長い尾がゆらゆらと揺れ、黒光りの鱗が灼熱の光を弾く。

 ドラゴンだ。

 私はこの日、全てを思い出した。

 私はこの世界を『知っている』。

 ココは、世界的に有名な『ドリームバード』という漫画の世界だった──

 意識が遠のき、その場に後ろ向きに倒れ込む。ガンッ! と鈍い音がして、石の床に頭を打ちつけた。

 痛い。
 夢じゃない。そんなことってある?
 こんな、笑い話にもならない喜劇なんて。

 そう、なにを隠そう、私は漫画のラスボスと噂されていた、『あの』海の一族に生まれていたのだから──

海のミッション革命!禁断の物語チェンジ

悪役だけどキャラの救済目指します

 私には、愛してやまない漫画があった。

 『ドリームバード』。

 通称、『ドリバ』。

 大陸はたったひとつ。あとはポツポツと海に浮かぶ島ばかり。海ばかりの世界で、海を渡ることが法律で禁止されている、そんな理不尽な世界。
 多くの人は生まれた土地で死んでいくが、たまに海の向こうを夢見る者が現れる。

 人はそれを、『渡り鳥』と呼んだ。

 そんな渡り鳥──空飛ぶ船で自由に旅をする男たちを描いた、少年漫画、それがドリームバード。

 そう、ドリバは少年漫画だった。

 ドキドキわくわく、夢いっぱい! バトルもいっぱい!
 血を流し、不思議な力や剣や銃、ときには拳で語り合う、まさに男の夢が詰まったドラマチックバトルファンタジー。

 そして、その、悪役かもしれない、私。

「ぬおぉおおおおお!」

 頭を抱えたままその場にうずくまった。
 え、待って。どういうこと?! 何これ、記憶?

 待て待て、一旦落ち着くんだ、私。
 私には今、ふたつの記憶がある。それは間違いない。

 ひとつはドリバを愛した私。

 そしてもうひとつは──海の中で生きてきた私。

 そうだ、私は海の中に住まう、まさにマーメイドとして生きていた。

 海の一族、リィル・クラッド。

 それが今の私の名前である、はずだ。
 確かに私は生きていた。海の中で。九年分の記憶がある。昨日食べたものもハッキリと思い出せる。
 朝はクリームびしゃびしゃ、白のパンケーキを食べた。
 昼食後にチョコレートをつまみ食いしたのがバレて、メイドから逃げるために、この海の塔まで来た。
 それからソファでポテチをつまみながら漫画を読んで──って、違う違う。
 これは今の私の記憶じゃない。
 『私』の記憶だ。

 ああ、もう。記憶がごちゃっとしていて頭が痛い。洪水のように、次から次へと新しい記憶がなだれ込んでくる。

 『私』の弟と仲睦まじく、漫画雑誌を読む私。獲得したイケメンルイスフィギュアを自慢気に掲げる私。それから──

 一面に描かれた見開きのページを見て、涙を流す私。

 って、泣いてる?
 あれ。どうして泣いていたんだっけ。
 何か、悲しいことが……。

 ざああっと、青い空が広がった気がした。

 頭の中に、モノクロの青空が見える。インクで描かれた空には、色なんてないのに。どうしてか、あのページは、青い、青い。泣きなくなるような、悲しい青をしていた。

 『夢も、希望も、守りたかった大切なものも──なくなるのは、一瞬だな……』

 そうやって、かつていた空を見上げる、ひとつの逞しい背中。揺れる赤いストールが、見えない傷口のようで。傷ついた心を、背中で語っていた。
 泣きそうに目を細めて、失った人の形見でもあるボロボロの腕章を握りしめる──紙に描かれた、キャラクター。

 『私』が、誰よりも愛したドリバのキャラ、ルイス。

 悲劇のヒロイン。
 それがこんなにもぴったりなキャラなんていない。そう言い切れるほど、ルイスは哀れを極めたキャラクターだった。

 仲間の裏切りと、それによって引き起こされた戦争で、仲間も、夢も、たったひとりの育ての親さえも失ってしまう。
 文字通り、一瞬で、孤独な奈落の底に叩き落とされるのだ。

 私はそれを何度も読んで。
 何度も涙を流した。

 ──どうして。ルイスがこんな目に合わなくてはいけないのかと。なぜ、幸せはこんなにも簡単に崩れ去るのかと。

 いったいルイスが何をしたのかと。
 簡単に幸せを踏み荒らしていく絶望が憎らしかった。
 

 理不尽な世界を、何もできない場所から、嘆いていた。

 私だったなら。


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