3 海の一族

 自分の未来と、憧れのキャラの未来。

 いっそのこと夢だったなら、何も考えず、明日を待って家に帰る子どものように、振り返らないでいられた。
 チラリと見えてしまった不穏な欠片。
 大好きな人の破滅を知りながら何もしない。
 それは、あまりにも残酷なことではないだろうか?

 自室を出て、一人海の中、高速水泳大会を開催しようと、人のいなそうな場所を探して泳いでいく。
「ちょっと!」
 それにしても今日は人も魚も多い。海流でダンスを踊る海藻が、手を振っているように見える。振り返してみようか。
「無視!? 何に手を振ってるのよ、馬鹿っぽいわ! ちょっと! 聞いてるの!? あなたのことよっ、パッとしないリィル!」
 名前を呼ばれて、真下を見る。何もいない。
「ちょっとっ、リ、ィ、ル!」
「ぎゃっ!」
 後ろから首を絞められた! 死ぬ!
 もがき、苦しみながら振り返る。そこには、目じりを釣りあげて、ふんぞり返るようにして私を見ている少女がいた。赤毛に緑の瞳。口元にあるホクロがチャームポイント。
 グリタ・シーリア。
 私の二つ上の、海の一族だ。
「まあ、ひっどい顔ですのね。いつも丸い頬が、一段とぷくぷくしてらっしゃいますわ」
「なんの用ですの? きゃんきゃん喚かないでくださいまし。今、忙しいんですの」
「なっ! きゃんきゃん!? 無礼な!」
 まったく、面倒なのに捕まってしまった。
「いつもいつもいーーっつも、何もすることのないリィルが、忙しい? 欠伸するほどつまらない冗談ね」
「私にだって、忙しいことくらいありますもの。あなたと違って」
「……」
 バチバチと見えない火花が散った。
 睨み合っていると、突然グリタが驚いたように目を大きくして、まじまじと私を見る。
「……なに?」
「リィル。あなた、アホ毛が立っていますわよ」
 アホ毛?! おかしい、私の髪はさらさらツヤツヤのはずだ。メイドたちが毎日せっせと磨いてくれる。
「こ、こ、よ。てっぺん。間抜けなリィルにぴったりね」
 私は頭のてっぺんを両手で押さえた。
 グリタがニヤリと笑う。
「あ〜ら、猿のモノマネかしら? ウッキーって。あなたにそっくりね、リィル」
 キラリと一瞬光る。グリタの手には、透明なフィルム。『水面鏡』だ。フィルムを覗き込むと、その時目に映った物をフィルムに映し出す。
 グリタの手に握られている水面鏡には、びっくりした顔のまま、両手を頭に当てている私が映し出されていた。
「騙しましたのねっ?」
「おーっほっほ、騙したなんて人聞きの悪い。アホ毛は本当のことですわ」
 この二枚舌めーっ! く、悔しい〜!
「顔も真っ赤でより一層お猿のようですわ。ウッキーって鳴いてみては? お似合いでしてよ」
「そんなことするはずがないでしょう。それより、それを渡してくださいまし」
「嫌に決まってるわ。どうしてわたくしが、あなたの言うことを聞かなければいけませんの? 欲しければ、力づくで奪えばいいでしょう?」
 真っ赤な唇を引き上げて、グリタは胸元のヒレ型ブローチを手にした。そして、呪文を唱える。
「《サティラーク・イムダエスピシア》!」
 ヒレの形をしていたブローチは、とたんに形を変え、トゲのついた水の鞭へと変貌する。
 グリタはパシンと水の中で鞭を打つと、楽しげに笑った。
 私もヒレ型の髪飾りを手にする。
「《アマサーク・エデッセ》!」
 髪飾りが弓の形に変化する。弦の部分が水で出来ている、私専用の弓だ。弦をギリギリと引くと、水で出来た矢が生まれる。そのまま狙いを定める。と。
 グリタが一気に動いた。蛇のように伸びてくる鞭を、矢を射ることで弾き返す。水面が揺らめいて、魚たちが逃げるように遠くへ泳いで行った。
「今日こそ決着をつけてあげますわ!」
「それはこっちのセリフ!」
 続けざまに矢を三本放つ。グリタは器用に手を振って、矢を叩き落とした。叩き落とされた二本の矢が、水に溶けて消える。
 私は遠距離攻撃が得意だから、この距離だと分が悪い。
「あーら、リィル。足元が隙だらけでしてよ」
「げっ!」
 足に鞭が絡み付こうとしていた。
「《アマサーク》……」
「遅いですわ!」
 棘のついた水の鞭が、ぐるりと足に絡みついた。ぐんっと引っ張られる。
「わ、わっ!」
 グリタの元まで引きずられた。仁王立ちしたグリタが、勝ち誇ったように私を見下ろした。
「勝負ありかしら?」
 鞭の持ち手で、くいっと顎が持ち上げられる。ニヤリと笑うグリタの手を、軽く払いのける。
「さあ。勝負は、最後までわからないものですもの」
 ふふんと挑戦的に笑う。
「私の矢は、外れないんですの。絶対に」
「……まさかっ」
 グリタが背後を振り返る。
 私が放った矢は三本。グリタが払い落とした矢は、二本。
 大きく遠回りをしていた矢は、真っ直ぐにグリタの胸に向かって海の中突き進んで来ていた。
「ミル! わたくしを守りなさい!」
 グリタが叫ぶ。
 次の瞬間、顔を真っ青にさせた人間の少女が、グリタと矢の間に飛び出して来た。
「なっ?!」
 慌ててグリタを押しのけて、人間の女の子を庇うように抱きしめる。水の矢は私に当たって緩やかに溶けて消えた。
「グリタ! 何を考えていますの?! 水が私たち海の一族を傷つけることは絶対にない。でもっ、人間に対しては違うでしょう?! この子を殺す気だったんですの!?」
 私の足に絡みついていたグリタの茨の鞭を、手で鷲づかむ。棘は私を避けるように、丸くなって消える。ただの水の鞭だ。
「あなたこそ何を勘違いしていますの? 奴婢ぬひが主人に尽くすのは当然の義務よ!」
「だからって、むやみに殺すなんて……っ」
「何を言っていますの? 人が死ぬなんて、よくあることでしょう」
 ぐっと唇を噛んだ。私には、九年間ここで生きた記憶がある。確かに、人間はよく死ぬ。主人の気を損ねただとか、逆らっただとか、理由はいろいろ耳にした。
 だけど、こんなの、奴隷と同じだ。
「そもそも、わたくしたちに逆らえる人間が、この世にいるはずがありませんわ。だってわたくしたちは、正当に、人を買っていますもの。それをどう扱おうと、自由。コレは、わたくしのものですわ」
 この世界の常識と、思い出した記憶の倫理観がせめぎ合う。
 私は。私は、どうしたいのだろう。

「何をしている」
 よく通る、低い声。パッと顔を上げる。
 九年間生きてきた中で、私がとても好きな人。
 私と同じ、ゆるくウェーブしたダークブロンドの髪に、少し垂れた優しげな目元。儚げな雰囲気を持った、作り物みたいに綺麗な人。私の、血の繋がった兄だ。
「お兄様!」
「リィル、グリタ……。また遊んでいたのか。本当に仲が良いな。だが、魚たちを怯えさせるものじゃない」
「お兄様!? グリタと仲が良いなんて、絶対にっ、ない!」
「そうよ、オルキ様! こんなのと仲が良いなんて!」
「こんなの!?」
「なによ!? 本当のことでしょう?!」
 グリタと私の間で火花が弾けた。
 呆れたようにため息をついたお兄様が、私が抱えている人間の少女を見て、首をかしげる。
「何か揉め事でも?」
「あ……」
 なんと言ったらいいかわからず、口を噤む。この子はグリタの家、シーリア家に仕える者だ。よその家のことに首を突っ込むのは、あまり、褒められた行動ではない。
「私たちの喧……遊びに、この子が巻き込まれそうになって……」
 人間の少女は、私の服を握りしめて震えていた。
 お兄様は簡単に状況を見回して、にこりとグリタに向かって笑った。
「グリタ。そちらの家の者に勝手に手を出したことは謝罪しよう。すまなかった。ただ、リィルは血が苦手なんだ。そうだろう? 以前も失神していたからな。我が家では、リィルに血を見せないようにしている。聞いていないか?」
「オルキ様! 甘やかしすぎですわ!」
「兄の贔屓目でね」
「長老様も、お父様もっ、みんなっ……! こんなカエルみたいに間抜けな子の、どこがっ……」
 カエルとはなんだ。失礼な。さすがにそんな、カエルのような顔はしていない……はず。私はさりげなく、フェイスラインをさすった。
「わたくしだって……っ」
「リィル、行こうか。今日は美味しいプリンを用意してもらおう」
 小さく頷いて、私の服を握って硬くなっている少女の手を、そっと離す。後ろ髪引かれる思いで、その場をあとにした。背中に刺さる視線に、焼き殺されそうになりながら。

 自宅に向かってゆったりと泳ぎ続ける。隣を泳いでいたお兄様が、私を見やった。
「どうした。元気がないな。いつものもぎたてのフルーツのような弾ける笑顔は、忘れてきてしまったのかな? 新しい家庭教師は、気に入らなかったのか?」
「え?」
「気に入らなかったのなら、また変えればいい」
「変えるなんて、そんな」
「リィルの前の家庭教師は、死んだそうだよ」
「…………はい?」
「まだ聞いていなかったか。それで拗ねていたのか? あの教師が、気に入らなかったのだろう?」
「……」
 目眩がした。呼吸が止まり、目の前の物が二重に見える。お兄様は、今、なんと?
 ……死んだ?
 なんで。どういうこと?
 気に入らなかった……。私が?
 私が、家庭教師を変えてくれと、そう言ったから。だから、あのおじいちゃん先生は、死んだというのか?
 ブルブルと体が震えた。
 ――『あなたの気まぐれで殺されては、敵いません』
 ハナさんの幻聴が聞こえた。
 知っていたんだ。前の家庭教師が、罪に問われて殺されたこと。
 きっと罪名は、『不敬罪』。
 気に入らない。何か不愉快な思いをさせた。心当たりもない罪で、ただ、私の家庭教師になってしまったという、それだけで。

 あの人は、死んだんだ。

 グリタのことを、とやかく言う権利なんて私にはなかった。私だって、同じじゃないか。
 海の一族の気まぐれで、罪が決まり、そして死ぬ。
 そんなつもりはなかった。知らなかった。ただ、ハナさんが本当にいるのか、知りたかった。それだけのつもりだった。
 でも、どんなに思ったとしても、今ある事だけが事実だ。あのおじいちゃん先生は、もう、鼓動を動かすこともない。笑うことも。すぐ脱線する、役に立つのかわからない知識を聞くことも。過去の武勇を聞くことも。

 もう、ない。

「……リィル? どうした? 泣いてるのか?」
 私が。私が殺したのと、同じだ。
 海の一族の力は、それだけ巨大で。私は、わかもわからず、その力を使ってしまった。何も、考えていなかった。私の行動が、どういった結末を産むのかを。

 私は、人を、殺してしまった。

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