09世界の王者と悪意

 ハナさんが、私といういたいけな少女を放ったらかして帰ってしまったあと。

 ひとり寂しく扉の前で泣いていたわけだけれど、そこでふと、扉の横に数冊の本が積み上げられていることに気がついた。

 
「これは……」
 

 なんだろう。十冊くらいありそうだけれど。こんな物、私は置いただろうか。
 うーん、記憶にない。

 ちょっとしたタワーになっている本の前に座り込んで、上からのぞき込んで表紙を見る。

 こ、これは……っ!
 まさに、勉強道具! いわゆる、算数だとか、言語だとか、そういったたぐいの参考書だ。

 そうえば……。
 私は、単に勉強がしたい、としか言っていなかったような……。

 つまり、ハナさんは私が言葉だとかを勉強したいと言っているのだと思ったと、そういうこと?

 うわぁぁぁあ、ハナさんごめんよぉぉ!
 私はもう9歳だし、読み書きはマスターしてるんだよー。なんなら秘密の日記を書いているくらいだ。黒歴史になりそうだけれども。
 さらには、記憶がよみがえったことで、数学だとか、化学だとか、そういったものも、ある程度は理解できるようになっているんだよー!
 今なら、天才美少女、誕生!
 とかできるかもしれないんだよー!

 私は、ハナさんの残していった置き土産を、遺品を抱え込むように大切に大切に抱きしめる。
 ハナさんの匂いがしないかと顔を近づけ、スンスンと香りも嗅いでみる。古びた紙の匂いがした。

 あんなに冷たく装っていたのに、こんな物を残してくれるなんて、ツンデレと言うやつなのか。
 そうなんだな? 間違いない。

 本を持ってきていたと、そう言ってくれればいいものを。しかも、海に持ち込める用、特殊加工済みじゃないか。手間だっただろうに……。

 私じゃないただのガキンチョだったなら、この本にどれほどの労力が積み込まれているかなんて気づかないぞ。
 私だって、マンガで見ていたから知っているだけだ。

 
 ハナ・クライアント……マンガに登場していた、キャラクター。

 でも、実在している、人だった。
 呼びつけておいてなんだが、本当にいたんだ。

 マンガで見たのと同じ、茶色の髪を後方でひとつに束ね、凛々しい切れ長の瞳。ちょっと中性的な雰囲気を持ちながらも、凛とした佇まいはしなやかな女性そのもので、多くの人の目を引く、勇敢な麗人。

 
 ココは、間違いなく、ドリームバードの世界だ。
 

 紙面上で見ていた人たちが、息をし、心臓を動かし、働く世界。血の通った人、だ。
 

 こんなことって、本当にあるのだろうか。
 だって、マンガの世界が本当にありました、なんて……どこの夢物語?
 はっ、もしや、これは夢?

 私は本当は、今ごろぬくぬくのベッドの中で、ぐっすりと眠っているんじゃなかろうか。
 今の私は、寝てる私が生み出した、幸せな幻というやつだ。

 抱え込んでいた本の山を離し、私はそっと、右手をあげ、頬に触れる。
 そのまま、親指と人差し指で力いっぱい挟み、ぐいーっと持てる力全てを込めて、引っ張った。

 
「いっ、いはははははッ!!」
 

 いったァァァ! なにこれ痛すぎる! てことは、えっ、やっぱり現実?!

 
「リィル! どうしたんだクワ!」
 

 けたたましく扉が揺れる。
 お父上さま、この扉、相当分厚いはずですけれど、あなたは地獄耳ですか?
 しかたなく立ち上がり、扉を開ける。

 いつものごとく、でっぱったお腹を揺らしながら、父上が私に向かって突撃してきた。うおっ、潰れる! 私は素早く右に避けた。

 
「リィル! なぜ避けるんだクワ!」
 

 私が避けたことで、父上は派手にすっ転んだ。広げていた両手が少しだけ哀れだった。

 
「そんな大きな体で突撃されたら、潰れちゃいます」
 

 意訳。とりあえずダイエットをしたらどうだ?

 
「リィルは細いから、確かにそうかもしれないクワ。父上が悪かったクワ」
 

 遠回しの意味は、通じなかったようだ。

 ニコニコと笑って立ち上がった父上だったが、私の顔を見た途端、目じりを釣り上げて再び突進してきた。ぎゃあ、避け損ねた!
 両肩を、肉厚な手にがっしりとつかまれる。
 な、なに? やけに怖い顔をしてる父上に驚く。

 この顔、地上の奴隷を、無表情に殺すときの父上に、そっくりだ。

 ドキドキと心臓の音が速くなる。変な汗が吹き出た気がする。
 いつもは娘に甘々な変人だけれども、こんなんでもやっぱり、この家の大黒柱。さらには、やっぱり、『海の一族』なんだなぁ……。

 横暴で、簡単に地上の人を殺す。

 地上の者が息絶えようと、海の一族の者たちは何も思わないのだろう。

 
「その顔、まさかさっきの青のダブルクワ?」
 

 ……青のダブル?
 なんだそれは、と考えて、そういえば、十字は、色と星の数で階級分けがされていたことを思い出した。

 さっきのってことは……。
 げげっ! まさかこのでっぷりオヤジ、私の赤くなっているであろう、真珠のような美しき頬が、ハナさんの仕業であると、そう言いたいのか?!

 私は頬を片手で押さえて隠しながら、首を高速で横に振った。

 
「違う! これは、自分で!」

「リィル……」

「本当です!」
 

 こんなくだらない嘘をついてどうする!
 ハナさんに何かしたら、後退しかけてる後頭部の髪を引っこ抜くぞ!

 
「リィルの教師は別の者にするクワ」
 

 な、な、な、なんだとーーーっ!?

 私は焦った。これはまずいっ、せっかくのチャンスが!
 私が夢かも……、とか思ったせいで、せっかく手にした希望が木っ端微塵に砕け散ってしまうっ!
 もう二度と、夢かもなんて思わないっ! 神に誓う! 神なんかいるのか知らないけどもっ!
 これは現実だ!!

 
「あの女は、用済みだ」
 

 はぁぁぁ?!
 ふざけるな! と思ったけれど、父上の顔を見て、ヒュッと息を飲む。
 能面のような色をなくした表情。なのに、目の奥だけが、ギラギラと怒りに燃えている。

 
 そうだ。知っていたじゃないか。
 

 ココは、こういう世界。
 

 何度も何度も、マンガで見た。

 理不尽で、夢も希望もない……息の詰まった世界。

 海の一族がこの世界の全てで、その海の一族に粗相があろうものなら、どんな重役だって一瞬で灰になる。
 それが、許されてしまう世界なのだから。

 ぎゅうっと手のひらを握りこんだ。
 この世界で、私の味方を増やし、上手く立ち回って行くためには、知恵が必要不可欠だ。
 考えろ! ない頭振り絞って、血管がブチ切れようと、必死に考えるんだ!

 
 私に、今、何ができるかを。
 

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