3赤とリンネ

 とにもかくにも、何が原因で物語の消滅危機なんてことが起きてしまっているのか、それを突き止めないことには、リンネは帰ることができない。

 たとえ帰れたとしても、微笑みを浮かべる悪魔からきつーいお灸をすえられることは、間違いない。

 それだけはさけたい。何としても。

 リンネは記憶がおぼろげになるほど昔に、師匠であるグリモアールから、物語の暴走の話を聞いたことがある。

 何らかの要因で、物語が異なった方向へと進み、世界の均衡きんこうが維持できなくなると、やがて世界ものがたりそのものが破綻はたんするのだという。

 それが、物語の消滅だ。

 消滅とは、言葉通り、この世から本がひとつ消え去ることを意味する。

 それにまつわる人々の記憶は消え、その本が生み出されたどこかの世界は、『本が生み出されなかったときの世界』へと変わる。

 存在そのものがなかったことにされるのだ。

 最悪の場合、関わりすぎていた『人間』すらも、なかったことにされる。

 全ての世界では、本が生み出され、そしてその本の世界でも新たに本が作られる。
 そうして、ありとあらゆる世界が繋がって存在しているのだ。

 ひとつの物語の消滅、すなわちそれは、多くの世界が消え去るのと同義なのである。

 そんなことが続けば、世界のバランスはくずれてしまう。

 リンネたち管理者としての役目は、その要因を見つけだし、この世界から滅すること。

 そして、世界の均衡を維持しつづけることだ。

 ただ、そのためだけに。

「でもさー、物語の暴走って言っても、この状況を見たら一目瞭然いちもくりょうぜんだと思わない?」

 リンネは黒猫の姿にもどっていたロンへと問いかけた。

「これだけ人がいなければな」

「それもそうなんだけど……」

 リンネは「んんっ」と何かを考えるように唸ったあと、指先を地面へと向けた。

「これ」

 リンネはその場にしゃがみこみ、通路に沿うようにして置かれているたくさんの花壇を見つめた。

 そこに花はなく、ちぎられたような茎と葉、根っこごと掘り返されたのか、いくつか穴が空いているものもあった。

「最初はね、こういうものかなと思ったんだけど……」

 この世界が、もとはどんな形をしていたのかわからない。
 だから、降り立った当初は変だとは思わなかった。

 世界が変われば常識も変わる。

 リンネはそのことだけはわかっていた。

「でも、なんだかこう、うーーん。なんて言ったらいいんだろう」

 リンネはしきりにうんうんと唸っては、花と黒猫のロンを交互に見つめた。

「なんだよ」

「なんか…………悲しいなって思って」

 結局、思ったような言葉は出てこなかった。
 だからリンネは、なんとなく思ったことをそのまま口にした。

「元気じゃないって言ったらいいのかな? なんだか、泣いてるみたいだと思った」

 ちぎられている花。

 地面には、砂に混ざって薄汚れてしまっているものや、小石にぶつかってすり潰されたのか、ぐしゃぐしゃに丸まっている花の姿があった。

 リンネはそれを両手でそっとすくい取り、自分の目線まで持ってくる。

「ほら。ねぇ、見てロン」

 ぐしゃぐしゃになった赤い花からは、真っ赤な汁が一雫流れた。

「赤い、血みたい」

◆◆◆

 ぼんやりと花を見つめるリンネを見て、ロンはぎゅっと眉根をよせた。

 違う。よく見ろ。
 それは赤い花だからそう見えるだけだ。

 ロンが声を発しようと口を半分あけた、瞬間。

 地上にいる全てのものをぎ払うかのような突風が吹き荒れ、リンネの手の中にあったぐしゃぐしゃな赤い花は、空高く舞いあがった。

 ひらひらと右に左にさまよい、決して地に落ちることはない。

「あ。飛んでっちゃった」

 名残惜しそうに空にただよう赤い花を見つめるリンネに、ロンはほっと息を吐いて、黒い毛に覆われている自分の前足を見つめた。

 別に、血が嫌いなわけではない。

 自分の体から血が噴き出そうと、グリモアールが本で指を切ろうと、何も思わない。

 ただ。

 リンネが血を見るということを、なぜか酷く恐ろしいと感じてしまう。

 心臓の奥が、ぎゅっと引きつられたかのように痛み、嫌な汗が流れる。

 なぜそう思ってしまうのか、それはロンにさえわからなかった。

 考えこむように自分の前足を見つめていたロンは、爪の先がほんの少し透明がかっていることに気づいた。存在が、消えかかっている。

「おい、それよりリンネ」

「ん? どうしたの? ロン」

 瞬間、体の中を、針が通りぬけた。

 そう感じてしまうほどの、刺すような、一瞬の視線。

 見られている。

 何者かに、見られている。

 ロンは無理やり体に力を注ぎ、人型の形をすと、視線だけを後方に向け、気配をさぐる。そしていつでも守れるようにと、さりげなくリンネの体を自分のほうへと引き寄せた。

「ロン?」

 何も気づいていないのか、リンネはぱちくりと紫の瞳を瞬かせながら見あげてきた。その顔を見下ろして、じっと紫水晶を見すえる。

 能天気のうてんきな顔だ。
 でも、それでいいと思う。

「どうしたの?」

 伝えるか迷った。そしてそんな感情が動作にも現れたのか、ロンは実に緩慢かんまんな動作で口をひらいた。

「だれかに見られていた」

「えっ」

「たぶんな。確証はない」

 視線は一瞬で消えた。

 その場から立ち去ったのか、今もまだいるのか。
 まだいるのだとしたら、気が緩んでこちらに視線を悟られたのか、それとも……あえての警告か。

「それってもしかして街の人じゃない?」

 パッと、リンネの顔に花が咲く。

「きっとそうだ。もしかしてこの世界はみんな寝坊助なのかも」

「は?」

「視線ってどっちから? ねぇ、ロン」

「おい、この状況で街の住人なわけが……」

 言いかけて、ロンは考えこむ。

 街の住人、なのだろうか。
 そもそもここがどんな世界であるのかも知らずにいる。

 数多あまたの世界には、百戦錬磨ひゃくせんれんま獰猛どうもうな獅子のような剣士もいるという話だ。
 ここがそうではないと、なぜ言い切れるのか。

「いや……そうだな。調べてみるか」

 リンネはうんうんと何度も大きくうなずいた。

「さっさと解決して、お師匠さまから、たーーっくさんお小遣いもらわないとね!」

「またあのゴミ捨て場に行くのか」

「ゴミ捨て場じゃなくて、ま・か・い! あそこ、なーんでもそろってるから便利なんだー。あ、ロンにはビーフジャーキー買ってあげるね」

「あのな」

「安心して! ご主人さまのおごりだから」

 リンネは一歩前に踏み出すと、かわいらしい緑色のマントを揺らした。

 そのままくるりと反転してロンのほうを向き、指先を突き出し、わかっているとばかりの表情で、チッチッチと人差し指を動かした。

 そんなリンネに、ロンは呆れた顔をひとつ。

「あのな。俺は犬じゃなくて猫だ」

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