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1 異世界にいた話でもする?

 ちょっと頭がおかしいと思うかもしれないが、聞いてほしい。

 私、倉瀬くらせあおいは数年間、異世界に行っていたことがある。

 そこは魔法が当たり前に存在している世界で、西洋風の建物が並ぶ、おとぎ話の中のような場所だった。街の真ん中に、要塞にも見える大きなお城があるような場所だ。

 そして何をするにも魔法。
 あれもこれもそれも魔法。
 パチンと明かりひとつ付けるにも魔法。

 魔法を極め、魔法を発明する。
 科学の代わりに魔法で進化しました! と言うような世界だった。

 なんてラノベ?
 いや、漫画?
 と、はじめて見る世界に右往左往したものだ。

 私の知っている漫画だと、魔法の世界に行ったらチートがもらえたりだとか、魔法が使えるようになったりだとか、救世主として世界を救ってくれと言われたりしていた。

 だから、普通期待すると思うんだ。そういう展開になるのかなって。
 私は期待した。ちょっとだけね。

 
 でも、現実は物語のように甘くない。
 悲しいくらい甘くない。
 どのくらいかというと、激辛坦々麺のスープを一気飲みしたくらい。

 まあ、簡単に言うと、魔法の世界に行っても、私は魔法が使えなかった。

 そもそも、どうしてそんな世界に行ってしまったのかだけれど、簡潔に言うなら、私は実験に巻き込まれたんだよね。

 空間転移魔法という、空間と空間をつなぐ魔法だとかで、たぶんテレポートみたいなものだと思う。
 そして私は、その実験に巻き込まれてしまったのだ。なんて不運!

 私が現れたとき、その場にいた五人のヒゲを生やした男たちは、目を見開いて驚き、そして私と会話をすると手を叩いて喜んだ。

「まさか異世界に繋がるとは!」

 この時点で何となくわかるだろう。

 異世界人というのは、総じて頭がおかしいのである。

 
 泣いて帰りたいとすがる私に、彼らは親切だった。帰る方法を必ず見つけると約束してくれた。その間の衣食住も保証すると。

 けれども同時に、条件を突きつけられた。

「魔法学校に、通ってみないかい?」

 と。

 
 そう、彼らは、『魔法を使えない異世界人が魔法学校に通ったら、魔法を使えるようになるのか』という、頭がぶっ飛んでるような人体実験を提唱してきたのだ。

 目がキラッキラ輝いていた。ワクワクが止まらない少年のような顔をしていた。
 夏休み中に、ふいにカブト虫が家に転がり込んで来た、小学生のようだった。

 ちなみに言うなら、彼らはイケメンではあるのだが、おっさんだった。推定年齢五十前後。

 
 突然異世界に放り出され、行くところのなかった私はしかたなく了承した。
 ちょっと魔法使えるかなぁ、なんて、邪な心があったことは否定できない。

 まあ、私は魔法を使えるようにはならなかったんだけどね。
 そこで得たことと言えば、日本人って、なんて慎ましやかで素敵なのだろう、と。故国への郷愁だった。

 
 そうして、魔法は使えないまま数年が経ち、学校も卒業。さあ、いよいよ行くところがなくなるぞ、と焦った私に、神の知らせは舞い込んできた。

 帰る方法が、見つかったのだ。

 帰る方法が見つかったと、そう言われたとき、私は迷わず帰ることを選択した。
 「一度しか使えない、よーーく考えてくれ!」と、私を無理やり呼びつけたおっさん五人衆には言われたが、私は即決した。

 「帰ります!」と。

 帰ることは誰にも言わなかった。

 帰ると言ったら、あの手この手で引き止められ、片や監禁、片や魔法で洗脳、片や体のサイズを小さくしてマスコット化。
 そんな未来が頭をよぎったからだ。

 え?

 そんなことをする人なんて、普通はいないって?

 
 残念だけれど、異世界に常識は通用しない。

 異世界は、地球の普通を500万回くらい破壊して生まれたような人種の集まりだ。普通という普通は存在しない。
 なぜなら異世界だから。

 
 まあ、あっさり帰ることを選んだけれども正直に言うなら、その世界もその世界の人たちにも、愛着はあった。五年くらいそこにいたからね。

 けれども、ハッキリ言うなら、合わなかったのだ。個性の塊すぎて年中、事件を巻き起こす、『彼ら』とは。

 そうして私は、誰にも告げることなく、元の世界へと帰ってきた。

 
 時間は、ほとんど経っていなかった。
 頭の中だけ五年分の時が過ぎていて、元の世界に戻ってきたとき、私は異世界に行く前の姿で、いつも通り、家にいた。
 夢だったのかなと思ったけれども、その後の学校生活で、帰国子女ですか? というレベルで普通の概念がぶっ壊れてしまっていたから、たぶん夢じゃないと思う。

 でも、その記憶も、だんだんと薄れてきた。

 いろんな体験をして、たくさん笑って、時には死にかけて。波乱万丈だったはずなのに。
 時が経つごとに、その記憶の欠けらは、ボロボロとこぼれ落ちていった。

 
 そうしている間に時間は瞬く間に過ぎていって、私はいつのまにか、高校も短大も卒業していた。

 あの日々を懐かしむことはあっても、今はあの世界の人たちの声もおぼろげだ。
 こんな声だったかな、というのはあるけれど、それが正しかったかどうかも、もう分からない。

 気づけば私は、彼らの顔さえも、上手く思い出せなくなっていた。

***

 鏡の前で、スーツのボタンを留める。
 くるりとその場で一回転して、スカートもジャケットもシワになっていないことを鏡で確認する。うん、問題ない。

「よしっ、今日から社畜人生の始まりだーっ! 頑張るぞ!」

 パシンと軽く頰を打って、気合を入れる。そのままの勢いでカバンを引っつかんだ。
 カバンを開け、忘れ物がないか、最終チェックをしたら、新たな人生に足を踏み出す。

「いってきまーす」

 誰もいない部屋にあいさつをして、玄関に向かう。外に出ると、家の前の桜の木についている花びらが、ひらりと降ってきた。

 
 新しい出会いが生まれる季節、四月。

 三月に短大を卒業した私は、大学に通う同級生たちよりひと足早く、社会人になる。
 今日から立派な社畜の仲間入りだ。
 まあ、小さな会社だけどね。
 毎日定時に帰れたらいいなあ、なんて、ささやかな夢を見ている。

 
 短大生活からの付き合いの扉に鍵をかけようとして、手が滑った。

 ──リーン──

 鍵が地面に落ちる。鈴の音が、小さくあたりに反響した。
 鍵に付けられている鈴が、地面に叩きつけられた衝撃で大きな音を響かせたらしい。
 そのとき、ふと、薄れていた記憶がよみがえった。

「そういえば、あの日も、鈴を落としたんだっけ?」

 私が、異世界の事故に巻き込まれた日。
 私は部屋の中で新しいストラップを見ていた。緑色のマリモみたいな可愛いキャラクターで、紐のとこに鈴が付いていた。
 手を滑らせてストラップが床に着地して、鈴の音がやけに大きく響いたなと思ったら、私はおっさん五人衆に囲まれていた。

「なんか不吉だな……。変なことが起きませんように」

 鍵を拾い、扉に鍵をかけて、鍵をカバンの奥に突っ込んで会社に向かった。

***

「えー、新入社員の諸君、入社おめでとう。今日から社会人として頑張ってほしい」

 そんな、ありふれた祝辞から始まった、社長のあいさつ。小さな会社だから、大きなホールで集まることはない。
 会社の中の会議、そこで私を含めた新入社員五人と、役員だけがいる、ちっちゃなもの。

 淡々と社長が祝辞を述べていたけれど、ふと、社長の声が途切れる。

 みんな、何事かと顔を上げて社長を見つめた。

「入社して早々、お知らせがあります。本当に急なお知らせとなってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいです」

 ふさふさの眉をきゅっと寄せてそんなことを言う社長に、私たち新入社員は動揺した。だって、入社初日でトラブルの匂いがぷんぷんするのだから、当然といえば当然だ。
 社長は小さく咳払いをすると、私たちの顔を順に見つめた。

「我社は、アメリカのアモレリガー社に買収されることが決定しました」

 しんっと、水を打ったように静まり返った。

 誰も彼もが、上手く理解できていなかった。

 それは、私も同じだった。

 けれど同時に、背筋に悪寒が走った。
 それは、動物的な本能かもしれない。

 
 生命の危険が迫ったときに、ここを離れろ! と、そう指示をする、遺伝子の中に眠る本能。
 

 
 私は、数年間、異世界にいたことがある。

 
 そして、そう。

 何か、事件が起きるとき。

 
 決まってそこには、『彼ら』がいた。

 
 パッと、社長の後ろにあった巨大なスクリーンに、映像が映し出される。

『やあ、紹介にあずかりました、モルス・カルディアです。今日から、僕がこの会社の総責任者を務めます』

 でっかなモニターで、一人の外国人の青年が笑う。プラチナブロンドの髪をサラリと耳にかけて、やり手であることを見せつけるかのように、真っ赤な唇に弧を描く。

 あるはずもないのに、バチンっと目が合ったように思えた。

 
 大きな青い瞳が、優雅に、面白そうに。

 
 そして、ほんの少しの憎しみと、喜びを織り交ぜて、微笑んだ。

 
『どうぞ、よろしく』

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