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6 この世界の歪み

 私は数秒固まったのちに、すぐにハッとして叫んだ。

「おります!」

 タクシーでもないのにそう言い捨て、パッと車のドアを見る。

「残念ですがアオイ、この車のドアは開かないんです」

 運転席にある気だるげな青い瞳が、意地の悪さを隠しもせず私を見る。

「魔法がかかっているんで」

 笑顔で崖から突き落とす男の残像を見た気がして、私は頭を抱えて車のシートにもたれた。
 あああ、なんてことだ。まさか、この人も来ていたなんて。

 私が知る限り、あの世界でヤバいやつナンバーワン!

 趣味は死体観察。
 得意魔法は瞬間冷却アンド思考操作系。
 目が合ったら逃げろ!

 それが、魔法学校での生徒たちが掲げていた教訓。

 
 ビリス・クーラー。

 艶やかな白銀の短い髪と、気だるげな瞳がいやらしいイケメンだ。
 私の二個上の先輩で、モルス・カルディアとは同級生。
 

「お、お久しぶりです、先輩……」

 私は観念して白々しくそう声をかけた。

「俺には全然気づいてくれないなんて、冷たいじゃないですか」

 いや、だって、いるなんて思わないじゃないですか。
 異世界人がそんなホイホイ日本に来るなんて思いませんよ、普通は。

 と、声を大にして言いたい。言いたい、けど。

「はは……すみません、先輩」

 異世界人に紛れるとやっぱり私は日本人。
 私は適当に愛想笑いをして誤魔化した。

「あなたのそのヘラヘラした顔を見るのも久しぶりな気がしますね。俺たちのことなんて、すっかり忘れていましたか?」

 うわ〜、これ許してくれないやつ〜。言葉に棘がある〜。めちゃくちゃぶっ刺さるでっかい棘。

「は? アオイ、俺らのこと忘れてたのかよ? ンなことねえよなー?」

 うわぁ、バン、目が笑ってないよ。
 記憶がどんどんなくなってて、顔も思い出せなくなってたよ、なんて言ったら火あぶりにされそうだな。

「えっと、たまに思い出したりしてたよ。どんな顔してたっけ、とか」
「それ、忘れてね?」
「えっ?! いや、決してそんなことはっ……!」

 冷や汗をかく私を尻目に、バン、レティアナ、ビリス先輩の三人は、サッと視線を交わし合っていた。

「……なに?」

 声をかけると、レティアナがむっつりと唇を尖らせて私を見る。

「アオイってば、私のこと忘れちゃうなんて。あんなに愛し合ったのに!」
「いや、その誤解生むような言い方やめよ? ね?」

 レティアナは不満そうにツーンと顔を背ける。いやあ、その顔も可愛いけどさあ。食べちゃいたいくらいに。
 おっと、危ない危ない。この人たちといると、思考が変な方向に感化されるな。気をつけよう。

「アオイ、俺たちのこと忘れるなんて、あんまりじゃないですか」
「完全に忘れてたわけじゃないですよ。どんな声してたかなーとか、そこを忘れてただけで」

 ビリス先輩にはウソをつくな。それはあの学校に生きる者の定めだ。思考操作魔法が得意な彼にウソは通用しない。
 私はあっさりと本当のことを白状した。

「あらそう? 間に合ってよかった」

 にこりと、レティアナは微笑みを浮かべる。

「間に合ってって?」

 なんか、妙に引っかかりのある言葉だな。含みがあるっていうか。

 レティアナたちがこういう物言いをするときはたいてい、何か、嫌なことがある。その嫌なことが何かはわからないけど、とにかくあまりよくないことだ。
 私は何度もそれに巻き込まれてきた。

 あるときは空からオオワシが天井を突き抜け侵入してきて私の机に突き刺さったり。

 あるときは調合していた魔法薬が目の前で大爆発を起こしたり。

 またあるときは、観察用の魔法生物を捕まえに行って落とし穴に嵌ったりと、数えればきりがない。

 
 そんな命にかかわるようなものじゃないのもあったけどさぁ。魔法薬の大爆発が、私的には一番死ぬかと思ったかな。前髪まるまる焦げたし。いや、バンが障壁張って相殺してくれたんだけどね。
 あれだよね。爆発引き起こす材料入れる前に教えて欲しかったよね。入れる前に気づいてたくせにさ。「あ」って言ってたし。
 あ、なんかだんだん思い出してきた。そして腹が立ってきた。

 爆発して前髪焦げたあと、バンはお腹を抱えて笑いながら言ったんだ。

「爆発見んの、楽しくね?」
 と。

 いや、楽しくないし、前髪焦げたよ。
 私は命のほうが圧倒的に大事だ。命あってこそ。

 まあ、確かに、目の前で火柱上がるのはじめて見たし、「けっこう綺麗だなあ」なんて思ったりしたけど。
 って、まあそんな昔のことはどうでもよくて。

 大事なのは今だ、今、この瞬間。

 
「何か隠してる?」

 私の疑う視線を、バンたちはひょうひょうとした顔をしたまま、しれっとかわしていく。

「いや? べつに?」

 ウソだ。バンはウソをついている。私にはわかる。5年も一緒に生活したんだ。あ、今、右眉動いた。

「まあまあ、アオイ。そんなこと、どうだっていいじゃない」
「よくないよ。そういえばさっきもバン変だったし。バン、ウソつくの下手じゃん」

 バンはサッと右手で顔の右側半分をおおった。
 バカだなあ、バンって。それじゃあ、やましいことしかありませんって言っているのと、同じだよ。

「バン、言って」
「なんにもねえって」
「ウソ。右眉動くから隠したんでしょ。ほら、今なら怒らないから。言って」
「だから、なんもねえの」

 埒が明かないな。

 どうやってバンから企みを引き出すか考えていると、バンが長い脚を組んで、車のシートにもたれて踏ん反り返りながら、口を開く。

「言ったって、ムダなんだよ」
「ちょっと、バン!」
「うるせえ。レティは黙ってろ。この際はっきり言っとくけど、アオイに言ったところで無意味なんだつーの」
「なにそれ、意味わかんないし」

 ムッとして口を尖らせる私を、バンが、傷ついたような、それでいてすがるような目をして見た。

「だっておまえ、俺たちのこと、信用してねえじゃん」

 ヒュッと、空気が口から漏れた。

「なに、それ……」
「だってそうだろ。だから言わなかったんだろ。元の世界に帰るって」

 なんにも、言葉が告げなくなった。

 そう、なのかもしれない。信用していなかった?
 私が、元の世界に帰るって、言わなかったのは……。

 ぎゅっと拳を握りしめる。三人が青い瞳を私に注いでいた。突き刺さる、氷のような、見定める冷たい瞳を。

「私は……っ」

 苦しさに喘いだそのとき、ドォンッと、大きな爆発音が響いた。

「なに!?」

 びっくりして、左隣にいたレティアナの腕にしがみついた。

「きゃっ、アオイってばかわいい。だいじょーぶよ、私が守ってあげるわ」

 レティアナが嬉しそうにきゃっきゃっと笑いながら、じゃれついてくる。
 バンが蔑むような目で私を見た。

「なんでいっつもレティなんだよ」
「いや、だってやわらかいし、いい匂いするし……」

 やわらかくて可愛いものにしがみつきたくなるのは、人間の性だ。
 ぬいぐるみにぎゅーっと抱きつきたくなるのと、おんなじ。

「どうやら、前方で事故のようですね」

 後部座席でどうでもいいことを話している間に、ビリス先輩が冷静に状況を判断してくれる。相変わらずだな。

「しばらく進めそうにありませんね」
「え、足止めですか? えーと、今さらなんですけど、私、新入社員のはずなんですが……」

 本当に今さらだなと自分で自分に突っ込む。今何時なんだろう。
 時間を確認しようとカバンからスマホを取り出したところで、画面に大きく名前が表示される。

「それ、だれ?」

 私のスマホの画面をのぞき込んできたバンが、不機嫌そうにそう言った。

「あ、えっと、幼なじみ、かな? 昔近所に住んでたお兄ちゃん」

 言いながら、通話ボタンを押す。

「もしもし? ゆう兄? どうしたの?」
『葵か? 今速報で爆発事件ってのがやってて、おまえの会社の近くだったから。なんともない?』

 低めの穏やかな声が、私の鼓膜を揺らす。

「そうなんだ。私は無事だよ。ゆう兄も仕事でしょ?」
『仕事抜け出した。悪いことだから、葵は真似すんなよ』

 いたずらっぽく笑う声につられるように、私も小さく笑う。

「しないよ。そんな子どもじゃない」
『はいはい。ま、何かあったら相談するんだぞ。また今度入社祝いしような。じゃあ』
「うん、ゆう兄もお仕事頑張って」

 通話終了ボタンを押して、スマホを膝の上に置く。

 だいぶ、慣れたけど、やっぱりまだ少し慣れないな。スマホの画面を指先でなでながら、小さくため息をつく。

「アオイ?」

 バンが眉を寄せながら私の顔をのぞき込んできた。
 

 私がこの世界に戻ってきて、数日間は、なんにも変わりがないように思えた。

 けれども。

 
 じっと携帯の画面を見つめる。

 高城たかしろ悠真ゆうま

 私が生まれたときから、隣の家に住んでいたらしい。
 どうして『らしい』なのかと言うと、私は、覚えていないからだ。

 私は、高城悠真という存在を、知らなかった。

 
 元の世界へ帰る前に、何度も言われた。
 完璧に同じ世界に帰れる保証なんてないと。それでもいいかと。それだけの覚悟があるかと、そう問いかけられた。

 私は、それでもいいと、そう思った。

 それでも、私の生まれた国、日本に戻れるなら。
 あの世界から、逃げ出せるのなら。

 それでもかまわないと。

 
 元の世界に戻って、私の前に現れた唯一の歪み。

 
 それが、この、高城悠真という、幼なじみだった。

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