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7 不可思議な世界

「アオイ? おーい、アオイ」

 ハッとして顔を上げる。
 スマホをカバンの中にしまいながら、呼びかけてきたバンを見た。

「なに? バン」
「いや、なにっつーか。おまえこそ、どうした?」
「え、なにが?」

 バンが目を眇めて私を見る。
 いやだなぁ、この目。めちゃくちゃ疑っている目だ。

「それより、爆発事件? みたいだよ。事故じゃないのかも?」

 車の前のシートに手をつきながら、私は前方を見ようと目を細めた。
 うーん、よくわからないな。煙が上がっているのは見える。いや、それよりも、こんな落ち着いている場合ではないのでは? 今すぐ避難するべきなんじゃ……。

 そんなことを考えていると、不意に、声が響いた。
 車の中にポンと音が響くような、不思議な感じ。

「事故ではないね」

 その声は、間違いなく、モルス・カルディアのものだった。

 驚いて左右を見る。とくに異変はない。
 今度は上を見た。

「んなっ?!」

 車の天井から、足が生えていた。

 私は慌てて身を引いて、後ろのシートにひっつきながら、足がゆっくりと降りて来るのを見つめる。
 車をするりと通り抜けて、車の真ん中に、一人の青年が降り立った。

「……狭いな」
「いや、車ですから」

 冷静にツッコミを入れてしまったところで、人形のように美しい青年が私を見た。
 宝石のように輝く青い瞳が、まっすぐに私をのぞき込む。
 サラサラの金の髪をなびかせながらしゃがみ込み、その人は私の腕をつかんだ。それはもう、がっしりと。

「え。どわっ!?」

 ぐいっと強く引っ張られて、シートから転げ落ちそうになる。

「え、なになに、なんですかっ?」

 次から次へといろんなことが起こりすぎて、キャパオーバーだよ。
 そもそも、モルス先輩、あなたなんでいるんですか? 何か不幸に巻き込まれていたのでは?

「モルス」

 ビリス先輩の落ち着いた声がモルス先輩を呼ぶ。
 モルス先輩が深いため息をついて、少し苛立たしげに左手で金の髪を掻き撫ぜた。

「もう気づかれたらしい」
「そうでしたか。思ったよりずいぶんと早かったですね」
「本当に厄介な連中だよ」

 なに、なに? なんのこと?

 戸惑いながら二人を交互に見つめた。
 私の腕をつかんだまま淡々と会話を交わしていたモルス先輩は、不意に私を見る。青い瞳を強く煌めかせながら。

「僕と来い、アオイ」
「え、来いってどこに……ひえっ」

 ひょいっと抱えるように持ち上げられて、距離が一気に近づく。細いけどしっかりした腕に私のお尻がのっかった。

 いやちょっと待って。どう考えても、尻をのっけていい腕ではない。

 この人は、魔法の頂点に立つ人なんだ。
 つまり、私が今尻をのっけている腕は魔王の腕と同じ。

「あの、降ろしてくださ……」

 言いかけたところで、モルス先輩が不敵に笑って人差し指を自分の唇の前に立てる。
 すると、次の瞬間、私の声が奪われたみたいに出なくなった。慌てて喉を押さえる。

 魔法を使われた……!

 口をパクパクさせている私からふいと視線をそらして、モルス先輩はバンとレティアナを見た。

「前方に二人。頼んだよ」
「ほーい」
「まかせて!」

 当然のように答える二人。
 何が起きているのか理解できていないのは、私だけ?
 バチンと、レティアナと目が合う。

「アオイ、またあとで会いましょうね」

 その前に説明して?!

 パクパクと口を動かしたけど、けっきょく声が出ることはなく。
 何が何だかわからないまま、私はモルス先輩に抱えられて車をすり抜けていた。

 とたんに、真っ青な空が目に飛び込む。人の戸惑う声もたくさん聞こえる。爆発音が天を突き抜けた。
 かすかな爆風が、私の髪をさらっていく。人のどよめきが、さらに大きくなった。
 顔を爆発音がしたほうに向ける。薄暗い灰色の煙が上がっていた。少し焦げ臭いニオイもする。

 外に出たらしい。私たちの姿は、どうやら見えていないようだけれど。
 車の上に人がいるというのに、誰もこちらを見ようともしない。姿くらましの魔法がかかっているようだ。

 ふぅっと息を吸うと声が戻ってきた。

「あの、なにが……」
「首、つかまってて」
「あ、ハイ」

 有無を言わせない迫力を感じた。
 私は言われるままにモルス先輩の首に手を回す。

「僕から手を離すなよ、アオイ」

 やけに熱っぽい声が耳元をかすめた。
 私はただ、小さくうなずいて、ぎゅっとしがみつく。満足げに、モルス先輩が笑った。吐息を吐き出すような、かすかな音を響かせて。

 
 モルス先輩の手のひらが私の背中に回ってきたと思ったら、私たちはふわりと空を飛んでいた。
 空を飛んでも、とくに驚きはなかった。
 彼らにとって、移動手段は空を飛ぶことなのだ。

 あの世界で空間転移の魔法はまだ生まれていなかった。
 けれど、きっと、それを生み出すのだとしたらこの男、モルス・カルディアなのだと、私は思う。

 
 ふわりと、やわらかな風が頰を撫でた。
 爆発音はもう聞こえない。どのくらい遠くまで来たのだろう。けっこうな速さで飛んでいるから、景色を見る余裕もない。何か、焦っている?
 モルス先輩の首にしがみつきながら、その横顔を眺める。ちらりと、青い瞳がこちらを向いた。

「なに」
「えっと……。どこに向かっているんでしょうか」
「安全な場所」
「安全……?」

 なんだろう。なんかもう、最初から最後まで会話が噛み合っていないような気がする。

「なにが危険なんですか? 爆発?」
「そう。爆発」
「先輩。わざとはぐらかしてますよね?!」

 語気を強めると、モルス先輩はカラカラと声を響かせて笑った。
 そして、スッと顔から笑みを消して、能面のような顔で私を見る。

「教えない。今のアオイには」
「……なんですか、それ」

 まさか、またモルス先輩の不幸に巻き込まれているんじゃないだろうか。

「いつもの不幸なら不幸って言ってください。気にしません。いつものことですから」

 モルス先輩は目を丸くして笑う。

「違うよ。いや、違うとも言い切れない、かな?」
「ハッキリしてください」
「ハッキリしない男は嫌い?」
「……嫌いです」

 小さな声でボソボソと呟くと、モルス先輩は笑う。

「アオイだってハッキリしないくせに?」

 痛いとこついてくるなァ。この人は。

 横目にモルス先輩の顔を見る。モルス先輩は私を見ていた。その瞳に、ほんの少しの憎しみを混ぜながら。

「黙っていなくなった理由は?」
「それは……」

 なんて言おうか迷っていると、モルス先輩がふと、顔を正面に向けた。そして、眉を寄せ、厳しい表情を浮かべる。

「先輩」
「残念だな、アオイ。その話はまたあとで。面倒な奴らのお出ましだ」

 空に亀裂が入った。
 ビキビキと、空間が割れていく。夢を見ているのだろうか?
 あんぐりと口を開けつつも、もう何度も見た、異世界の魔法を思い出す。

 
 いつだって突然で。
 いつだって不可解で。

 凡人の私にはとうてい理解のできない、世界の理。

 
 引き裂かれた空間から、大きな魔法陣が飛び出してきた。

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