セスの家に行ったときに、確かに薄くなったはずのあざが、また濃くなっていた。それも、朝見たときよりも、だいぶ濃い。どんどん黒くなっている気がする。
一瞬流し見しただけなら、あざそのものが立体的に浮かび上がっているようにも見える。
何かしただろうか?
考えを巡らせて、エイリーはすぐに首を振る。
あざは気になるが、今はもっと重要なことがある。
セスがどうなっているのか。苦しそうな顔をしていたけれど、無事でいてくれているのか。
村はどうなったのか。
エイリーは踵を返して、来た道を走って戻り、村へと向かった。
村に着いて、エイリーは言葉を失った。
あまりにも情けなくて、あまりにも恥ずかしくて。
この感情をどう言葉にしたらいいのか、エイリーにはわからなかった。
「おまえの仕業だろうッ!」
そうやって、たくさんの村人たちに囲まれ、冷たい視線を向けられていたのは、必死に村を守ったはずのセスだった。
誰も傷つかないように。
誰も死なないように。
セスは自分の身を呈してまで、力を使ってくれていたというのに、なぜ。
たくさんの想いが込み上げては、言葉になる前に消えていく。
悔しさと、切なさと、やるせなさと。
どうしてこんなにも愚かなのかと、唇が震えた。喉の奥が詰まって苦しい。
目の前の真実から目をそらして、罪をなすりつける。そうやって、たくさんの『本当の事』は、誰にも知られず、掻き消されていく。
きっと、セスがこの村を守ったということも、誰にも知られず、語られず、それどころか、真実は捻じ曲げられて伝わっていくのだろう。
不思議使いが異変を起こした。
と。
セスの黄金の瞳が、暗く諦めたように陰ったように見えて、エイリーは村人を突き飛ばす勢いでセスの前に躍り出た。
「セスは、何もしてないっ、この村を守ってくれた! みんなも見てたでしょっ?」
同意を求めようと、何人かの村人を振り返る。
視線が交わった瞬間、目を逸らされた。ぐるりと見回してみるけれど、誰も彼もうつむいたり、明後日の方向を見たり、視線を合わせようとしない。
頭の後ろを強く殴られたような気がした。
胸の内に、黒いシミが広がっていく。
あんなに必死だったセスを見たはずなのに。
助けてもらったはずなのに。
「どうして……。父さん、母さんっ」
エイリーのすがるような視線を受けて、両親は厳しい目をエイリーに向けた。
「不思議使いは信用出来ない。あの竜巻も、そいつが出したものじゃないのか」
「そんなことないっ」
「どうしてそれが証明出来る」
エイリーは言葉に詰まった。そして、深く息を吐き出して、真っ直ぐに父親を見る。
「父さんこそ、どうしてセスがやったって、証明出来るの」
エイリーの反撃を受けて、今度はエイリーの父親が言葉に詰まった。
しばらくして、重たいため息とともに言葉を吐き出す。
「おまえが、いなかったからだ」
「……は?」
エイリーはぽかんと口を開けた。
「エイリーが居なくなったらこの異変だ。俺が、そいつとエイリーを引き離したから、その腹いせじゃないのか」
何を言っているのか、よく理解出来なかった。
そもそも、セスはエイリーがこの村に居なかったことを知らなかったのだ。伝えていなかったのだから。エイリー以外に、セスと好んで会話する者も、この村にはいない。
エイリーは呆れながらも言い返そうとするが、それよりも早く何人もの村人が声を上げた。
「そ、そうだっ、今各地で起きてる異変は、不思議使いの仕業だと聞いた!」
「オレもだ! 自作自演じゃないのかっ?」
次から次へと声が上がって、エイリーは目の前に広がる憎悪にただただ圧倒された。
誰も、エイリーの言葉なんて聞こうとしない。自分の目で見ても、信じられないのだ。
あらゆる可能性を探して、否定をする。
自分が信じたいものの通りに、ねじ曲げていく。
「セス、違うって言ってよ。やってないって!」
そう言ったのに、どうしてか、セスは黙ったままだ。
「エイリー! おまえもそんなヤツを庇うな」
「そうだ。そもそも、おまえもグルなんじゃないか?」
あんまりな言い様に、エイリーが言葉を無くして立ち尽くしていると、ドンッと後ろから強く押されて、よろける。上手くバランスが取れずに、地面に転がった。
「い、た……」
呆気にとられながら、こわごわ視線を上げた。
金色の瞳に、冷たい色を宿らせた、セスがいた。エイリーは突き飛ばされたのだ。金色の瞳を持つ不思議使い、セスに。
「おまえに庇われるなんて、不愉快だ」
セスはひどく冷たい声音でそう言うと、エイリーにも、村人たちにも背を向けて、一人歩き出した。
その背中に、「血も涙もない、人間じゃねえ」と、声が投げられた。
悔しくて、腹立たしくて、恥ずかしくて。
エイリーは震える唇をめいっぱい噛んで、強く村人たちを睨みつけると、立ち上がってセスの背中を追いかけた。
「待って、待ってセス!」
自分の家のある丘に向かって歩いていくセスに、エイリーは追いつく。声をかけると、セスはピタリと足を止めた。
「どうして何も言わないの? やってないって、違うって、そう言えばいいのに。どうしてっ」
誰がなんと言おうと、エイリーはあの竜巻はセスではないと確信していた。
あの時。吹き荒れる風の中、エイリーを見たセスの瞳は、言葉よりも強くセスの心を示していた。
無事でよかった、と。
振り返ったセスは、やるせない顔をして笑っていた。エイリーを見下ろして、目を細める。
「バカだな……」
そう嘲笑するように言って、エイリーの膝を見て、次に頬を見る。痛々しい傷があった。頬の傷はもう固まっているけれど、ぶつかった木の枝や木片で、ところどころ青くなっているところもある。
セスは傷のついたエイリーの頬を優しく撫でると、そのまま薄く口を開く。
「《セルチェ》」
不思議な音と、淡い光。
エイリーの体を、包み込むような温かさが満たしていく。
血も、打ち身も、ボロボロになっていた服でさえ、綺麗に戻っていた。
もう傷のないエイリーの頰を、セスはたどるように指の腹で撫でた。
「突き飛ばして、悪かった。でもわかったろ? 俺は簡単に人を傷つけることが出来る男なんだよ」
エイリーは首を振った。それは違うと。そう伝えたくて。言葉は、上手く出ないけれど、それでも。何かを伝えたかった。
「セスは……、セスは、守ってくれた。私が、あの村で浮いてしまわないように。昔みたいに、ならないように。そうでしょう?」
セスは黙ったまま、儚く笑った。今にも消えてしまいそうな笑顔だった。
そうして、エイリーの傷の消えた頬を何度か指先で撫でると、小さく、笑う。自分で自分を否定するように。
「俺も、俺が恐ろしいよ」
「え……?」
「あの人たちの言うことはもっともだ。自分でも、自分が恐ろしいと思う」
そう言って、セスは皮肉るように笑った。
「俺は、たくさんの人を簡単に殺せるだけの力を持ってる」
エイリーの瞳が、少しだけ揺れる。
不思議使いの力がすごいことはわかっていた。たくさんのことが出来る。きっと、この村を一瞬で灰にすることだって。
「でも……、セスは、そんなことしないでしょ」
確信にも似た思いだった。
けれども、セスはエイリーから視線をそらすと、小さく呟いた。
「……どうかな」
エイリーの口から、小さな息だけが漏れた。
何か言いたくても、何を言ったらいいのかわからなかった。音のない想いだけが、かすかに開いた唇から溢れて消えていった。
「そうだ、それよりエイリー、これ」
不意にセスがズボンのポケットに手を入れ、ゴソゴソと漁ると、何かを握ったままエイリーのほうへ拳を向ける。
エイリーは疑問に思いつつも、両手を受け皿のようにしてセスに差し出した。
「その砂粒の形だけは覚えていたから、集められるだけ集めたんだ」
エイリーの手の中に、透明な小瓶の中に入った、星の形をした黄金の砂粒が落ちてきた。エイリーが怒りに任せて手折った砂時計の中に入っていた砂だ。
エイリーはセスを見る。砂よりもキラキラと輝く金色の瞳が、少しだけ細くなって、目じりが柔らかく垂れ下がっていた。
「エイリーのおかげで、助かった」
エイリーの胸の奥が、小さな音を立てて鳴いた。
「私は、何もしてないよ。セスが、セスがみんなを助けてくれたんだよ」
「いや。俺の言うことは聞いてくれなかったからな。どうしようかと困っていたんだ」
苦笑する顔が、どうしようもなく胸を締めつけて。エイリーはその気持ちを表すように、ぎゅっと渡された小瓶を握りしめた。
「これね、セスへのお土産だったの」
「そうだったのか?」
「ごめんね、壊しちゃって。私、お使いで港町まで行ってたんだ。言わなくて、ごめん。小瓶、もうひとつある?」
そう尋ねると、セスは小首を傾げながらもすぐに揃いの小瓶を出してみせた。人差し指の半分もない透明な瓶に、エイリーは自分の持っていた瓶から砂を半分移し替えた。そして、片方をセスへと差し出す。
「この砂、セスの目の色に似てない? 砂時計じゃなくなっちゃったけど、お土産」
セスが目をまるくして、小瓶を見つめる。なかなか受け取ろうとしてくれないセスの様子に、気に入らなかっただろうかとエイリーが心の中で焦っていると、そっと、セスが小瓶に長い指先を伸ばした。宝物でも渡されたみたいに、指先が震えているのを見て、エイリーは笑った。
セスの手をつかんで、その手のひらに小瓶を押し付ける。
「おそろいだね」
悪戯するみたいに笑って、小瓶を顔の横で揺らす。黄金の砂粒が、透明な瓶の中でサラサラと舞っていた。
セスの視線が少しだけ左右に揺れて、やがて情けなく眉を下げて笑う。
「ありがとうエイリー」
「それは私の言葉だよ。みんなを助けてくれて、ありがとう」
今ある心を全てを詰め込んで、エイリーは大切に言葉を音にした。
たとえ、今は他に誰も思ってくれなかったとしても、確かに感謝している人はいるのだと、そう想いを込めて。
ほのかに目元を赤らめたセスは、誤魔化すように咳払いをして、小瓶をポケットに入れながら少しだけ考えるように村のほうを見た。
「それよりも、あの竜巻だけど、少し、変だった」
「変?」
「突然消えた。なのに、消そうと思っても消えなかった」
形のいい眉を寄せ、セスは難しい顔をして顎に指を当てる。
エイリーは「突然消えた」という言葉を聞いて、そうだったと忘れかけていた出来事を思い出し、手のひらを打った。
そして、セスに森の中で見た光の粒子について、掻い摘んで話をした。それから、あざのことも。
「……濃くなった?」
そう言ったセスの顔は、引きつっていた。
すぐにエイリーの手をつかみ上げ、乱暴に右手の甲を見る。
エイリーの手の甲に刻まれた、星型のあざ。それは黒く滲んだように濃くなっていた。
朝は薄い灰色にも似た色だったのに、今は、その形がハッキリと見える。
「セス……?」
セスの瞳が、エイリーの手の甲にあるあざを捉えた瞬間。輝く黄金の瞳が、黒くにごったように、エイリーには見えた。
空いていたセスの右手が、ゆっくりと、エイリーのあざの形をたどっていく。指先で、撫でるように、そっと。
ジッとあざを見るセスは、なぜだか、今にも泣いてしまいそうに見えた。
エイリーは気遣うように静かに声をかける。
「あざが、どうかしたの?」
顔を上げたセスの瞳は、濡れていた。
涙はないけれど、ゆらゆらと揺らめいていて、迷子になってしまった子どものように、悲しみと、不安と、苦しさと、たくさんの心を混ぜ合わせていた。
セスの手が、エイリーに伸びた。エイリーの細い肩に手を回し、ぐっと、強く引き寄せる。突然のことに、エイリーはバランスを崩してセスの胸元に倒れ込んだ。
「わっ、セス、どうしたの」
押し付けるようにキツく抱きしめられて、身動きが取れない。セスの額が、エイリーの肩に乗せられた。ぐっと、圧が乗る。
「どうして。……どうして、きみなんだ」
「……セス?」
悲痛な声だった。泣いているのかと思った。
エイリーはセスに抱きしめられたまま視線を彷徨わせて、そっと、その大きな、でもとても小さく見える背中に手を回した。
「ど、どうしたの? どこか痛い? 大丈夫?」
耳元で聞こえる吐息が、ひどく苦しげで、エイリーも不安になる。
「ねえ、どうしたの? このあざが何か、知ってるの? ねえ、セス。黙ってちゃ、わからないよ……」
さらに抱きしめられる力が強くなった。
何も答えたくないと言われているような気がして、エイリーの声はだんだんと頼りなく消えていく。
「セス……」
それ以上、何も言うことが出来なくて。エイリーは黙ったまま、その場に立ち尽くした。
言いようない不安が、胸の中を食い破り、静かに暴れまわっていた。
そして、謎の竜巻発生から数日後。
エイリーたちの村に「城からの使者だ」と名乗る、数名の兵士たちが到着した。