「聖女について、聞かせてくださいっ」
城からの使者だと名乗る兵士たちが滞在している村長の家に押しかけたエイリーは、鼻の穴を膨らませながらそう言って兵士たちに詰め寄った。
村長の家の一室。客人をもてなすための部屋に、突然の来訪者である兵士たちはいた。簡素で、派手な物は何もない部屋に唯一ある、テーブルとイス。その木のイスに腰かけ、兵士たちは目をまるくしながらエイリーを見ている。
村の中では一番大きな村長の家とはいえ、体格の良い兵士が五人もいれば、圧迫感があった。
エイリーの勢いに呑まれ、体をのけぞらせていた兵士たちは、エイリーの気迫に圧倒されつつも、コホンと咳払いをして居住まいを正す。
「聖女様は、世界の救世主だと言われています。世界の危機を救う存在、それが聖女だと」
勧められたイスに腰かけ、エイリーは昨日、兵士たちから聞いたことを思い出すように視線を上に向けつつ、頷いた。
「王家は、世界の危機が訪れると、どこかにいる聖女を探し出したのです」
「世界の危機とか、わかるものなんですか?」
「おそらく」
要領を得ない適当な返答に、エイリーは胡乱な目を向けた。その視線を受けた兵士は、冷や汗を滲ませながら最もらしい言葉を並べる。
「い、今各地で異変が起きている。この異変こそが、世界の危機の合図でしょう」
確かに、世界各地で天変地異が起きているというのは耳にする。それが世界の危機なのかと納得するのと同時に、どう考えても何の力もないエイリーに手に負える代物ではないとも思った。何と言っても、相手は自然だ。勝ち目がない。
「私、なんの力もないんですけれど……」
エイリーがおそるおそるそう口にすると、とんでもないとばかりに目の前にいる髭面の兵士は首を振る。
「そんなはずはありません。あなたは、聖女なのですから」
「そんなことを言われても……。だったら、その、聖女違い、とか」
他にいるのではないかと、さりげなく進言してみるが、髭面兵士はエイリーの右手に視線を落とした。
「聖女様は、手に星型のあざを持つと」
「探せば他にもいるかもしれませんよ」
「大賢者様が間違うはずがありません」
それを言われてしまうと、エイリーにはもう何も言えなかった。
黙って、自分の右手にあるあざを見る。
「その、聖女って、危険なんですか?」
エイリーがそう尋ねると、その場にいた五人の兵士たちは顔を見合わせた。お互いに視線でやり取りをして、最後には首をかしげる。エイリーは嫌な予感がした。
「……まさか、知らないんですか?」
兵士たちは、神妙な顔をして頷いた。
すぐに、沈黙が訪れる。エイリーは刺すような目で兵士たちを順に見つめた。
「い、いえ、大賢者様なら知っているはずです。我らはあくまでも、聖女様がいるかの確認のために来ただけで」
言い訳を重ねる兵士を見て、エイリーは深くため息をついた。
お城の兵士とは言っても、案外頼りにならないものだ。小さな村に来るくらいだから、特に偉いわけではないのだろう。
「ですが、聖女様がいないと世界が滅ぶと」
「えっ」
世界を救ってほしいとは言っていたけれど、世界が滅ぶとは聞いていない。
予想だにしない重圧を感じて、エイリーは沈黙した。エイリーの気持ちが萎えたのを敏感に感じ取ったのか、エイリーの機嫌をとるように兵士たちは矢継ぎ早に話し出す。焦っているのか唾が飛んでいた。
「聖女様には国から報奨金が出たりするそうです!」
「そうそう、一生、自由に暮らせますよ!」
「聖女様を育てた家族や村にも報奨金が出るとか!」
「この村も一気に開拓されてしまうかもしれませんね! よ、救世主!」
雑な援護射撃ではあったが、エイリーは少しだけやる気になった。村に恩返しが出来るのなら悪くはないかもと。
さらに詳しく聞こうとテーブルに手をつき、前のめりになったところで、背後から声がかかった。
「エイリー」
エイリーはパッと振り返る。木の扉を開けて、そこに立っていた星のような男。括られていない、少し長めの銀色の髪が揺れていた。
「セス!」
「大賢者様っ」
セスは、エイリーと兵士たちを交互に見て、目を眇めた。
「エイリー、どうして、ここに?」
「セス、私、聖女になる」
エイリーがそう断言すると、セスは大きく目を見開き、その場にいた兵士たちは歓声をあげた。聖女様、聖女様、と弾んだ声が響く中、真顔でエイリーに近づいたセスは、エイリーの手を乱暴につかみ、視線だけで外に出るようにうながす。
気圧される雰囲気に驚きながらも、エイリーは立ち上がり、部屋を出た。扉が閉まり、誰もいない廊下でセスを見上げる。
「どうしたの?」
「ダメだ」
「……なにが?」
「聖女だ」
エイリーは意味がわからず首を傾げた。
「どういう意味?」
「だから、聖女になるなと言ってる」
エイリーは目をまるくしてセスを見た。
「なんで?! セスは聖女を見つけに来たんでしょう? それに、聖女がいないと世界が滅ぶって」
エイリーの言葉に、セスは沈黙した。
「セス!」
「それは……そうだけど……」
言葉を濁しつつも、セスは嫌そうに眉を寄せる。何か考えているようだった。エイリーはそんなセスを見て、先ほど兵士たちに聞いていた内容を思い出す。
「危険だから?」
セスの肩が、一瞬だけ跳ねた。それを目ざとく見ていたエイリーは、胸の内に正解がストンと落ちてきたの感じた。
「やっぱり、危険なんだ。世界を救うとか簡単じゃないよね。……でも、いいよ」
「……は?」
セスがエイリーを見た。
「別に、いい。もう決めたの。だって、私が行かないと、セスは困るんでしょう?」
セスは目を見開いて固まった。かすかに開いたセスの唇から、空気の音が漏れた。
「セスは私を見つけるのが役目だったんでしょ? だったら、私が行かないと、セスが困る」
セスの黄金の瞳を見つめる。真っ直ぐに見つめると、セスは瞳を左右に揺らめかせて、戸惑う様子を見せた。
「私に、何が出来るのかわからないけれど。出来ることがあるならやるよ。世界中の人が大切って言えるほど、世界のこと知らないけれど、セスや、父さん母さん、村長、村のみんなや隣町の人は、助けたいって思うから」
エイリーは一歩前に出てセスの手を取ると、両手で包み込むように触れた。上になった右手の甲に浮かぶあざが、その存在を主張する。
「だからセス。私を連れて行って」
そう言って微笑むと、セスはどうしてか眉を下げて、儚く、泣いてしまいそうな顔で、そっとエイリーの手を握り返した。
その日、エイリーは家に帰ると、すぐに両親に聖女のことを説明した。報奨金も出ると聞いていたから、エイリーはてっきりすぐに頷いてくれるものだと思っていたけれど、父親から返ってきたのは意外な言葉だった。
「ダメだ」
「えっ、どうして? だって、聖女がいないと世界が滅びちゃうんだよ?」
エイリーがそう言っても、父親は太い腕を組んで、鋭い眼光を飛ばす。
「あの男に、騙されているんじゃないのか」
エイリーは、言葉に詰まった。
「城に仕えていると、言わなかったんだろう。都会のヤツらは信用出来ない。まだ隠していることがあるんじゃないのか」
そんなことはありえないと、自信を持って言えるほど、エイリーはセスを知っているとは言い難い。わからないことなんて、山ほどある。
黙ってしまったエイリーの肩に、父親の両手が乗った。
「騙されてからじゃ遅い。行かなくていい。父さんたちが守ってやる」
エイリーの両親は、セスのことを快く思っていない。でもそれは、エイリーのことを大切に思っているからだと、エイリーはようやく理解した。
静かに目を細め、エイリーは無骨な父の手を取る。
「ありがとう、父さん。でもね、私も、誰かを守れる人になりたい」
エイリーは真っ直ぐに父親の瞳を見据えた。エイリーとよく似た、薄茶色の瞳だった。その瞳の中にいるエイリーは、今この場にいる誰よりも、戦いに向かう戦士に相応しい顔をしていた。
「だって私は、私を守るって言ってくれる父さんの、娘だから」
父親の目が大きく開かれていく。感極まったように、口を開いては、グッと奥歯を噛んで言葉を飲み込んでいた。
「私はずっと、父さんの背中を見て育って来たの。私に、何か出来る力があるなら、やってみたい」
エイリーは想いを全て詰め込んでそう口にした。しばらく、じっと見つめ合う。
やがて、エイリーの両親は、お互いの顔を見合わせて、観念したように微笑む。
「わかった、行って来なさい。それでも、辛くなったら帰ってくればいい」
「気をつけて行ってくるのよ、エイリー」
その言葉に頷いて、エイリーは両親の胸に飛び込んだ。温かくて、優しくて、ちょっぴり厳しい場所。大切なこの場所を、やっぱりエイリーは守りたいと思った。
そして翌日。
エイリーは早々に旅立つことになった。王様が呼んでいるらしい。
長旅になるかもしれないと身支度を整え、それでもあまり物を持っていないエイリーは、大きめのカバンひとつだけ持って、村の入口に立っていた。
見送りに来ていた村の人や、両親、村長に手を振る。
「それでは聖女様、行きましょう」
兵士たちの馬に順に乗せてもらうことになっていたエイリーは、頷いてその手を取ろうとした。そこに、セスがやって来る。ゆったりとした足取りでエイリーの元まで来ると、真剣さを帯びた眼差しでエイリーを見下ろした。
「どうしたの?」
「……ひとつだけ、約束をして欲しいんだ」
「約束?」
エイリーが首を傾げると、セスはエイリーの右手を取った。あざの刻まれているところをゆったりとなぞり、エイリーの瞳を覗き込む。吸い込まれてしまいそうな金色の輝きに、エイリーは息を飲んだ。
言葉を発してはいけないような、神聖な空気だった。
「どうか、俺を信じて。これから先、何があったとしても、きみの運命を変えてみせるから」
エイリーは何度も目を瞬いた。
「……どういう意味?」
首を傾げるエイリーに、セスはただ、微笑んだ。悲しみをたずさえた、今にも消えてしまいそうな笑顔だった。