ポケット、カバンの中、ありとあらゆる場所に手を突っ込んで、エイリーは財布を探した。
「なくしたのか?」
「うーん……落としちゃったのかなぁ」
確か、ポケットにしまった気がする。けれど、ポケットにはエイリーの財布らしきものはない。カバンもひっくり返す勢いで見たけれど、見つからない。
となれば、ここに来るまでの道で落とした可能性が高い。
「まあ、ないものはしかたがない。金ならあるから諦め──」
「ダメ!」
セスの言葉を遮って、エイリーは声を張り上げた。
「あのお財布には小瓶が入ってるの!」
「小瓶?」
「私、探してくる。セス、適当に買い物してて」
「あ、おい、エイリー!」
「お客さ〜ん、あの〜、お代……」
カバンを引っつかむと、エイリーは店とエイリーを見比べているセスを置いて、来た道を引き返し始めた。
通った道を、目を皿のようにして隅から隅まで見ていく。
エイリーたちを遠巻きに見ている人ばかりだったから、落としているのを見ていたとしても拾ってくれる人はいなそうだ。
人通りの多い王都。少し歩くだけで人と肩がぶつかりそうになる。
(歩きにくい……)
活気があるけれど、人に気を使ってばかりで息苦しい街だ。通りは広いのに、人がたくさんいるから結局狭くて、歩く速度も自由にはならない。
下を見ながら歩き続けて、ふと、顔を上げたときだった。エイリーの黄色いお財布が、視界に飛び込んできたのは。
「あっ……!」
お財布を視線で追う。持っていたのは頬に傷のついた男だった。
(そういえば、あの人と、ぶつかった)
そのときに落としたのだろうか。だとすれば、エイリーのことを探しているのかもしれない。
「す、すみませーん! 通してっ」
人を掻き分け、男に近づく。真後ろまで来て、声をかけようとした。
「チッ、これっぽっちしか入ってねェとは。シケてんなぁ」
エイリーの財布を覗き込んで、ため息をつく男。エイリーは金槌で打たれたような衝撃を受けた。
拾ってくれたんじゃない。盗られたんだ。
そう気づいたときには、怒りのままに男の肩をつかんでいた。
「ちょっと!」
「はぁ? んだよ、うっせー、な……」
男は振り返ってエイリーを見たとたん、エイリーを突き飛ばして走り出した。尻もちをついている間に、男は右手の細道に入っていく。
エイリーも立ち上がって、男の背中を追いかけた。
「お財布っ、返して!」
大通りから外れた小道は、薄暗くて嫌な気配だ。店の裏手にあたるのか、樽や木箱が並んでいてどうにも走りにくい。
しかも、ぐねぐねと曲がりくねっているから、気を抜くと男の姿を見失ってしまいそうだ。
「しつけーな!」
男が樽を蹴飛ばした。エイリーは反射的に樽に片手をついて、走っている勢いのままに飛び越える。
「げっ、どういう反射神経してんだよ」
「ふふん、田舎育ちなの! 大人しく諦めて返しなさいっ」
体格差のせいか、なかなか距離が縮まらない。このまま相手が諦めるまで追いかけるのかと思うと、ちょっと面倒だ。だけど狩りはじっくりと追い詰めることが重要。
「クソッ」
苛立たしげに舌打ちをして、男は左に曲がった。エイリーも左に曲がって、眩しさに目を細めた。と、人にぶつかりそうになって慌てて足を止める。
「う、わっ、大通りっ?」
いつの間にか大通りに戻っていた。左右を見て男の姿を探すけれど、人が多くて見つからない。少し背伸びをして、人の波の中に男の姿を見つける。
「お財布を泥棒が! すみませんっ、通してくださいっ」
人を掻き分けようとするけれども、上手く進めない。人々から迷惑そうな視線が向けられる。
(都会の人は冷たいって言うけど、本当なのかも)
それでも懸命に前進もうとしたけれど、すれ違いざまにドンッと強く肩を押されて、ひっくり返りそうになる。
(わ、わ、転ぶっ!)
受身を取ろうとしたけれど、後ろにいた人に受け止められた。謝ろうとしたエイリーの耳に、馴染んだやさしい音が響く。
「《セルチェ》」
ふわりと、目の前の人の山から、ひとりの男が浮き上がった。目をまるくして見ていると、その男の頬には傷があった。お財布泥棒だ。
パッと、エイリーは振り返る。
じっとお財布泥棒を見ていた黄金の瞳の不思議使いは、エイリーが見ていることに気づいたのか視線を下げて、呆れたように笑って肩をすくめた。
「大丈夫か?」
「う、うんっ、ありがとう、セス」
エイリーの目の前に、お財布泥棒がやって来る。
「返して!」
エイリーは右手を突き出した。男は顔を真っ青に染めて、ガタガタと震えながらエイリーの手に黄色い財布を手渡す。
戻ってきたお財布を胸元に抱きしめて、エイリーはすぐに財布を開く。中身はほとんどがなくなっていたけれど、大切なものはまだあった。
透明な小瓶に入った、金色の砂粒。
「よかったぁ、あった」
ぎゅっと小瓶を握り締める。
「それのために無茶をしたのか」
セスの声が降ってくる。エイリーは迷いなくうなずいた。
「だって、セスとおそろいだから」
エイリーは小瓶をお財布にしまい直して、今度はポケットではなく、カバンのなるべく奥のほうにしまう。もう二度と、盗られたりしないように。
気が緩んだエイリーは、そこでふと、窃盗犯が尋常ではないくらい怯えているのに気づいた。セスを見ている。周りの人たちも、遠巻きにして怯えたようにエイリーたちを見ていた。
エイリーはセスを振り返る。目が合うと、セスは首をかしげた。気にしていなさそうな素振りだ。ごめんね、と言うのは違う気がした。
だからエイリーはセスの手をつかんで、ビシッと窃盗犯を指さす。
「セス、お手柄だね! 早くこの人を衛兵に引き渡そう」
「もう呼んであるからすぐ来るよ」
「えっ、やること早いね」
セスの言葉通り、すぐに衛兵たちはやって来て、ガタガタと震えている男を縄にかけてしょっぴいて行った。
「買い物の続きしよっか! セス欲しいものないの?」
「欲しいものねぇ」
「え、あるの? なになに?」
「んー、ナイショ」
セスの手をつかんだまま歩き出す。
世界は不思議使いには冷たい。たくさんの陰口が聞こえる。
ありもしないことを口にして、それが真実かどうかも確かめない。
だけど、世界の異変を、不思議使いが解決しているとうわさが広まれば、少しは人々の目もマシになるかもしれない。
エイリーは心に闘志を宿した。
メラメラと燃える火にせっせと薪をくべて、巨大な火柱にする。
不思議使いは怖くないって、たくさんの人に思い知らせてやるんだからっ。
今は、なんの力もなくても、いつかきっと。