「最初はどこに行くの?」
街で買った、できたてのパンを齧りながら、エイリーはセスに問いかけた。
相変わらず人には遠巻きにされてはいるが、歩きやすくていい、と開き直ることにした。気にしても意味が無いと、エイリーもわかってきたのだ。
セスは斜めがけのカバンの中から紙の束を取り出した。一番上の紙の文字を追って、考えるように顎に指をそえる。最近気づいたが、顎に指をそえるのはセスの考えるときのクセなのかもしれない。
「一番近くて、数日だな。ただ、その村は馬車が通ってない。一番近くの街まで行って、そこから三日くらい徒歩になる」
「馬車通ってないんだ。馬車ないと不便だよねぇ」
エイリーはもぐもぐと、パンを口に運ぶ。
セスはじっと紙を見つめ、考えるように視線を横に流した。
「三日か……。移動できるか? あまりやったことないな……」
「なにが?」
「空間移動だよ。俺はあまり得意じゃない」
「空間移動?」
聞いたことのない言葉だ。
エイリーは不思議そうに首をかしげた。
「エイリーに伝わるように説明すると、一瞬で別の場所に行ける、って言ったほうがいいか?」
「えっ、一瞬で? すごい!」
「まあ、便利といえば便利だな」
一瞬で移動ができたなら、馬車がいらなくなる。
いくらお金が浮くだろうか。
エイリーは頭の中で素早く計算式を書き連ねた。
「でも、不思議使いにも得意とか不得意とかあるんだね」
「あるよ。相性の問題か? あまり深く考えたことはなかったな」
「セスは何が得意なの?」
「俺は時を止めるのが得意かな」
エイリーは食べていた手を止めた。
大きな瞳でマジマジとセスを見る。
「時を、止める……?」
「物体の時を止めるのが得意って言ったらいいか? そうだな……」
セスは地面に視線を向けて、何かを探す仕草をした。そして、道端に生えていた小さな白い花を手折ると、不思議の呪文をかける。
「《セルチェ》」
ぽうっと、白い花にかすかな光が注がれた。
セスはその小さな花を、エイリーに手渡した。よく分からないまま受け取って、エイリーは花を眺める。花びらが六枚。小さくて、白くて、可愛らしい花だ。でも、手折ってしまったらこの花はすぐに枯れてしまう。
エイリーは少しだけ顔をしかめた。
「枯れないよ」
セスの楽しそうな声が響いた。
「え?」
「物体の時を止めるのが得意って言ったろ? その花はしばらく枯れない。永遠に枯れないようにするには、ずっと力をかけ続けないといけないけど」
「ええっ、何それっ、そんなことできるの?!」
それは初耳だ。不思議使いは何でもできるだろうと思ってはいたけれど、まさか、物の時間を止めることができたとは。
「怖いか?」
そんな声が頭上から降ってきて、エイリーは小さく首を振る。
「びっくり、したけど……セスのことを知れるのは、うれしい」
本心だった。不思議使いはびっくり箱の塊だ。何が出てきても、驚きはしつつも恐怖にはならない。
さすがに氷の刃とかで首を切られたら怖いけれども。でもそうなったころには死んでいるだろうから、怖いという感情も湧かない気がする。
「セスが長く生きてるのって、時間を止めてるから?」
「いや、俺は自分に力を使ったことはないよ。他の奴らも同じだと思う」
「ふーん。じゃあやっぱり、不思議使いは長命なんだ」
体の作りから違うのかもしれない。マリアーナは突然変異のようなものだと言っていた。確かにそうなのかもとエイリーも思う。
「得意じゃないことをすると、どうなるの?」
「まあ、普通に疲れるかな」
「そうなんだ。じゃあ歩いて行こう! いろんな土を見られるのは楽しいし。それに、セスとなら、どこに行っても楽しいと思う! だってセスは、びっくり箱だから」
「びっくり箱?」
「うん、びっくり箱」
エイリーはイタズラに笑って、手に持っていたパンを口に放り込む。最後の一口を咀嚼して、ぐいっとセスの手を引いた。
セスは肩をすくめてエイリーに手を引かれるままに歩き出す。
「数日分の荷造りしておくか」
王都を出て、馬車で三日。歩いて五日。
予想よりも歩く日数がかかったのは、買い込みすぎた荷物が重すぎたせいだ。エイリーがあれもこれもと買い込んだ食料は、ズシリと肩にのしかかり、歩みを鉛のように遅くさせた。
ようやく目的の村に着いたときには、エイリーの体力は酷使され続けた馬車馬のようにすり減っていた。
「う……、疲れた。休めるところあるかな?」
「どうだろうな。小さな村のようだし、下手したらまた野宿だ」
「ええーっ。もう私、土と親友になっちゃったよ」
セスは苦笑いを浮かべて、村の入り口に向かっていく。エイリーも慌ててセスの背中を追いかけた。
馬車が通っていないというだけあって、とても小さな村だった。
旅人が珍しいのか、田畑を耕していた男の人、編み物をしていた女の人、大きな釜で不思議な葉を燻していた人たちみんなが、手を止めてエイリーたちを見た。正確に言うならば、セスを見ていた。
(また、遠巻きにされるのかな)
セスが近くにいた若い女の人に声をかけた。
城からの使者であること、村の一番偉い人に会いたいことを、何かを見せながら話している。横から何を見せているのだろうと覗き込むと、王直々の身分証明証だった。
セスの話をしていた女の人は、頬を赤らめて、恥ずかしそうに目を伏せながらセスの話を聞く。そうして時折視線を上げてセスの顔を見ては、また恥ずかしそうに目を伏せる。
エイリーは少しだけ、驚いた。
確かに、セスは顔がいい。寸分の狂いなく設計された彫刻が動いていると言っても、納得してしまう顔だ。
気づけば、エイリーたちは若い女の人たちに囲まれていた。獲物を見つけたハンターのような目をする女の人たちは、そろってセスを見ていた。
若い女たちから沸き立つ迫力に気圧されたエイリーは、一歩足を引いた。その隙に、ぐいっと割り込まれてエイリーは輪の中から外れた。
(こ、怖い……)
森の猛獣よりも、街にいる窃盗犯よりも、ギラギラした瞳の女の人たちのほうがエイリーは怖かった。自分を守るように抱きしめて、ぶるりと身震いをする。
女の人たちは、紅潮した顔でセスに話しかけている。
それは、すごく、うれしいことのはずなのに。
セスが怖がられず、慕われるのは、エイリーが望んだ光景であるはずなのに。
少しだけ。セスが、遠くに行ってしまったような気がして、エイリーの胸の奥を冷たい風が通り抜けた。
ぼんやりと乙女たちの輪を眺めていると、ひとりの女の子と目が合う。ばちり、と音がしそうな勢いで交わった視線。そらすタイミングを失ってじっと見つめ合っていると、女の子はニタリと笑ってセスの腕に両腕を絡めた。
挑発されている。
本能的にそう感じ取ったエイリーは、一瞬青筋を浮かべた。けれども、すぐに深い息を吐き出して怒りを鎮めると、くるりと背を向けて村人の元へと歩き出す。
(これは良いこと、これは良いこと)
心の中で何度も呟いて暗示をかける。
王都で見た光景を思い浮かべては、エイリーはそう言い聞かせた。
もっとたくさんの人に、セスのことを知って欲しい。
怖くない、優しい人だと、そう伝わって欲しい。
それがエイリーの願いだ。
だから小さなことで腹を立てて台無しにするわけにはいかない。
エイリーは近くにいた、畑を耕している壮年の男に声をかけた。
「あのー、すみません」
「はいよ、どうした?」
「お仕事中ごめんなさい。村長さんのおうちを教えてくれますか?」
「旅の者かね? 村長の家なら、この道をまっすぐ行くと見えてくるよ。この村で一番大きな家だ。見たらわかると思う」
「ありがとうございます!」
エイリーは村人が示した道の先を目で追う。
「それにしても、エラいべっぴんだねえ」
「え?」
エイリーが振り返ると、村人はセスを見ていた。
エイリーは曖昧に笑って村人に頭を下げると、村長の家に向かって歩き出した。
村長の家が見えてきたところで、後ろから追いかけてくる足音が聞こえた。少し急でいるような音だ。落ちている草木を踏みならす音がする。
「エイリー」
声をかけられてエイリーは視線だけで振り返る。
「セス、おかえり。どうだった?」
そう問いかけると、セスは小さく息を吐いた。ホッとしたような、安堵の息だった。
「少しなら分かったよ」
「えっ、セス仕事早いね」
「異変の報告書にあったとおり、夜に変な音がするのは間違いないそうだ。それと、森の中の動物たちが人里に降りてくるようになったらしい」
「動物たちが? 森の中に何かあるってこと?」
「おそらくな。昼間は特に変わったことはないそうだ。だから、夜に森に行ってみようと思う」
「……夜の森かあ……」
エイリーの住んでいた村では、夜はむやみに森に近づいてはならないと教えられていた。眠っている獰猛な獣たちの眠りを妨げて、恨みを買ってはいけないと、そう伝えられていたからだ。
「待っていてもいいよ、と言いたいけど……。エイリーがいないと意味がないんだ」
セスは眉を下げて苦笑する。
セスに何か考えがあることは分かっていた。それが何かはあまり詳しく教えてもらっていないけれど、異変を調査する中で光の粒子を見たら教えて欲しいと言われている。
すまなそうな顔をするセスにエイリーは笑いかけ、大きく胸を叩いた。
「大丈夫! そのために来たんだから。任せて!」