09散るアネモネの花

 メルティアは一国の姫でありながらにして、国のことに関してはうとかった。

 将来国をぐ兄がすでにいたことから、のんびりとした性格の両親も、メルティアに厳しい教養を行わなかった。

 花のように、のびのびと育てばいい。
 女の子なんだから。
 それが、メルティアの両親の言葉だ。

 メルティア自身、国の財政やら、他国との外交やらに、さして興味がわかなかった、というのもある。
 だからメルティアは、「ティアはそのままでいいよ」という兄の言葉に甘えたまま、もうひとつの『王家の役割』を、ただひたすらにこなしてきた。

 朝、目が覚めると、メルティアはまず部屋の花に水やりを行う。
 水は、妖精たちが常に補給ほきゅうしてくれるから、いちいち水場に行く必要もない。

「おはよう、メル」
「チーくんおはよう。ねぇ、このお花なんだか元気がないみたいなの。なんでかな?」

 メルティアはひとつの赤い花を、青い皮膚をしている妖精に見せた。

 メルティアの日課のひとつとして、水をやりつつ、花の状態を確認するというものがある。

 メルティアの部屋にある花は、基本的にすべてジークが持ってきたものだ。
 だからメルティアは、自室にある花たちを何よりも大事にしていた。

 丁寧に、丁寧に、心をこめて世話をする。

 だからなのかわからないが、メルティアの部屋にある花たちはとんでもなく長寿ちょうじゅだった。
 メルティアはそれを当たり前のように受け入れていたし、自分の世話する花たちが、ずっと美しく咲いているのは、単純にとても嬉しかった。

 ジークが持ってきた花なら、なおさら。

 ジークとメルティアの関係は、こんな風にずっと続くのだと、甘い幻想げんそうひたることもできたからだ。

「メル、昨日こいつに水やりすぎただろ?」
「え、そうだったかな……」
「たぶん、ジークが出かけるって言うから、メルが慌ててあげたひとつだと思う」

 メルティアには少し心当たりがあった。
 ジークは、きもせず非番のたびに出かけていく。

 メルティアは何度も何度も追いかけたい気持ちになるのだが、チーにもアルにも『重い』と断言されてから、メルティアは込みあげる想いをぐっとこらえるようにしている。

 それでも、その姿を一目見ようと、出かけるジークに「いってらっしゃい」と笑顔で声をかけるようにしていた。

 そう言いたくなるのを必死に飲み込んで、メルティアはここ数ヶ月、ジークをひたすら送り出していた。

 メルティアはしおれかけている花を見つめて、その花を彩る赤を優しくなでる。

「どうしたらいいかな?」

 メルティアの言葉に、チーは首をふった。

「残念だけどメル。そいつはもう、何してもダメだよ」
「そんな……」

 ほんのささいなミスだった。
 ジークが部屋をノックして、「出かけてきます、メルティア様」とそう口にしたから、メルティアは動揺して、ほんの少し、ほんの少しだけ、水を多めに与えてしまった。

 けれども、たったそれだけだ。

 それだけで、花はしおれ、その命を終えようとしている。

「私……」
「メル、言っとくけど、大事なのは水の量だけじゃないよ」
「……そうなの?」

 うつむくメルティアの周りを、チーは飛びながらくるりと一周した。

「メル、そいつに水をやるとき、嫌なこと考えただろ?」
「嫌なこと?」
「負の感情、って言った方がいいかい?」

 メルティアはドキリとして、やがて小さくうなずいた。

「そいつは、それを敏感びんかんに感じ取っちまったのさ。だからもう、そいつは生きられない」

 チーの話すことは、メルティアには少し難しかった。
 必死に意味を理解しようとするのだが、考えてもなんだかよくわからないのだ。

 よく、わからない、けれども。

「……私のせい、なんだね」

 自分のせいである。
 そのことだけは、メルティアにもわかった。

「……ごめんね……」

 メルティアは消えそうな声でつぶやいて、ひたすら花をなでる。

「まぁ、そんな落ち込むなよ、メル」
「だって……」

 メルティアは、漠然ばくぜんとそう思った。

「メルは、新しく命を吹き込むことも得意だろ? そいつも、そうしてやればいいよ」

 メルティアは目をまたたきながら顔をあげ、チーを見つめる。
 そして、ゆっくりと手の中の鉢植えに視線を落とした。じっと見つめたまま、頭の中にある調合のレシピを広げる。

「うーん、この子は、薬になったかな? この子と、ナギナ草を混ぜると、傷の治りが早くなったはず。うーん、でも、新しい子を作ってあげた方がいいかな?」

 ジークのくれた花だから、できればずっとそばに置いておきたい。

 メルティアは考えて、新たな命を生み出すことに決めた。
 そうと決まればと、鉢植えをテーブルの上に置いて、残っていた花たちの水やりを終える。

 終わったと同時に、部屋がノックされた。
 ジークが来た。
 メルティアはすぐに扉に駆け寄って、確認もせず扉を開け放った。

「ジーク!」
「メルティア様、おはようございます。朝食の準備が整っております」
「うんっ、すぐ行く!」

 メルティアの慌ただしい姿にも、ジークは動揺した素振りを見せず、淡々と言葉を告げる。
 というのも、メルティアは毎朝毎朝、ジークが来るたびにこのありさまだ。ジークにとっては微笑ましくありつつも、見慣れた光景である。

 メルティアはテーブルの上の鉢植えを抱えると、すぐにジークに向き直った。

 ジークはその花を見て、少し目を見張って、小さく息を詰めた。

「メルティア様、その花は……」

 メルティアは小さく肩を震わせ、つくろったように笑顔を浮かべる。

「あ、えっと、今日は、新しい子を作ろうと思って」
「調合栽培をなされるのですね」
「う、うんっ、そう」

 メルティアはジークから目をそらして、そう口にした。

「……アネモネですか……」

 ジークの小さくつぶやいた声に、メルティアは顔をあげる。

「ジーク?」
「いえ、懐かしい花だと思いまして。まだ、咲いていたのですね」
「あ、うん。ジークがくれるお花、みんな長生きなんだぁ。すごいよね」

 ジークは複雑そうに、小さく笑顔を浮かべた。

「それは……よかったです」

 よかった、と思っているような顔には見えない。「どうしたの?」と聞こうと思って、メルティアはやめた。
 ジークがくれた花の命を奪ってしまったという負い目から、この話はなんだかけたかったのだ。

「あ、今日は、アルにぃもいるの?」
「アル様は、本日は街の視察だとか」
「えっ、そうなのっ?」
「メルティア様も行かれますか?」

 メルティアはぱあっと笑顔でうなずいた。

「うんっ」
「では、午前は調合栽培で、午後は視察ということでよろしいでしょうか?」
「うん、それでいいよ!」

 メルティアはウンウンと何度もうなずき、長い廊下を駆け足で歩き出した。

 ジークと一緒に外出ができる。

 メルティアはそのことに浮かれていた。

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