6/3 中編新作公開しました

03

 ――パンッ!

 二礼二拍手一礼。
 神社でお参りするときの作法を頭の中で唱え、目を閉じる。

(おはようございます! 柚月葉です! どうか、今日も一日、何事もなく過ごせますようにっ)

 ゆっくりと目を開けて、とっても年季の入ってしまっている小さな小さなお社を見つめて、またペコリと頭を下げる。結われていない色素の薄い髪が、サラリと前に落ちた。

「いってきます!」

 足元に置いていたスクールバッグを手に取って、肩にかける。
 夏物のセーラー服のスカートを翻して、少し目を焼く太陽に手をかざしながら、パタパタとその場をあとにした。

 この神社に足を運ぶのが日課になって、約五年。

 昔――五年くらい前までは、私のおばあちゃんが毎日このお社にお参りに来ていた。

 ちっちゃくて、きっと誰も見向きもしないような、古びた神社。それでもおばあちゃんは、「ココにはお狐様がいるのよ」とそう言って、雨の日も雪の日もこのお社に通っていた。
 さすがに台風の日は行ってなかったけれどね。
「どうして?」と問いかけると、おばあちゃんは笑った。「お祈りも大切だけれど、危険なことをすると怒られちゃうのよ」って。「いい人なんだね」と言うと、おばあちゃんは笑った。優しく優しく、包み込むように。顔のシワをめいっぱい深くして、くしゃりと、嬉しそうに笑った。

 おばあちゃんが亡くなってしまってからは、私が毎日お参りに行くようになった。

 おばあちゃんが、「お狐様によろしくね」と、そう言ったから。きっと、おばあちゃんが来なくなったら寂しくなってしまう、そう思って、私は古びた神社にひとりで向かった。
 おばあちゃんと行くことは何度もあったけれど、ひとりで行くのは初めてだった。「おばあちゃんが亡くなりました、今日から私が来ます。よろしくお願いします」と挨拶をした。リーン、と鈴の音が聞こえた気がした。

 私はおばあちゃんみたいに、お狐様がいるって、はっきり言えるわけではないけれど。長い歴史を感じる古い建物なのに、ホコリひとつないお賽銭箱とか。落ち葉が綺麗に避けられている参道とか。
 きっと、誰かがすごくすごく大切にしているのだろうこの場所を、私も大切にしたいと思った。

 それが人なのか、おばあちゃんの言うお狐様なのか、いつか知りたいなぁとは思うけれど、きっと知る機会はないんだろうなぁ。

 境内を出て、携帯で時間を確認する。八時十五分を示していた。
 わっ、もうこんな時間っ。急がないとっ。待ち合わせに遅刻するっ。

 走りながら曲がり角を曲がろうとして、正面から誰かとぶつかる。反動で、思いきり尻もちをついて、ドサッと、肩にかけていたカバンが地面に落ちた。

 ハッとして、すぐに顔をあげる。

「ご、ごめんなさいっ! お怪我は、お怪我はありませんかっ?」
「大丈夫だ。こちらこそすまない。君のほうこそ怪我は?」

 サッと屈んで、申し訳なさそうに眉を下げながら、手を差し出してくる人。

 とっても綺麗な、男の人だった。

 とにかく、顔が小さかった。芸能人みたい。キュッとしていて、目鼻立ちがくっきりしている。髪の毛が本当に真っ黒の人って、あまり見かけないけれど、この人は本当の黒。混じりけのない、漆黒。
 少し目じりのあがった二重の目も、髪の毛と同じような、深い深い闇の色をしていた。

 びっくりしてその顔を見ていると、男の人が気遣わしげにのぞき込んでくる。

「どこか痛むか?」
「あっ、いえっ、すみませんっ。大丈夫です。私こそ、全然前を見ていなくて……本当にごめんなさい」

 立ち上がって、深く頭を下げる。
 いくら急いでいたからって、曲がり角を確認もしないで走るなんて。反省。

「このカバンも君のだろう。すまない、大事なものとか入っていなかったか?」
「いえっ大丈夫です! 教科書とかしか入っていないのでっ。どうぞお気になさらず」

 差し出されたスクールバッグを、お礼を言いながら受け取る。
 カバンの中に入っている崩れそうなものと言ったら、お弁当くらいしかない。それもお腹に入っちゃえば、一緒だもんね。

「本当にすみませんでした」

 もう一度頭を下げて、角を曲がろうと走り出そうとしたら、

「君!」

 後ろから呼び止める声が聞こえて、足を止めて振り返る。男の人は少しだけ逡巡させて、じっと私を――私の後ろを、見た。

「……君はもしかして、視えるのか?」

 見える?
 なにがだろう。
 目を瞬いて、男の人が私を見てるはずなのに私ではない何かを見ているような気がして――その眼差しが、おばあちゃんにそっくりだったから。もしやと思って口を開く。

「もしかして、お狐様ですか?」
「やっぱり視えるのか?」

 そう問いかけられて、力なく首を振る。

「あ、私は……見えません」
「そうか」
「でも、おばあちゃんが昔――私は、お狐様に好かれたと、そう言っていました」

 おばあちゃんについて行って、何度かお社にお参りに行っていた。
 あるときおばあちゃんが、「柚月葉はお狐様に好かれたのねぇ」と、そう言った。そしておばあちゃんは、いつも『心の毒』の話をする。そして決まって、最後にはこう言う。「おばあちゃんが、お願いしておくからね。どうか、柚月葉を守ってください――って」と。

「名前は?」
「えっ、あ……柚月葉です。七宮ななみや 柚月葉ゆづは
「俺は紫月。ひいらぎ 紫月しづきだ。何かあれば連絡して来るといい」

 そう言って柊さんは胸ポケットから何かを取り出して、私に差し出した。長方形の、小さな紙。それを受け取って、文字を目で追って目を瞬く。

「――退魔師?」

 名刺、みたいだった。
 柊さんの名前と、連絡先。左上には、間違いなく『退魔師』の文字。
 退魔師って、なんだろう。怪しい宗教とか? もしかして私、変な宗教に勧誘されてるっ?

「あ、あのっ、私、宗教とかはっ。いえ、神社でお祈りはしてるんですけれど、我が家は無宗教でっ、強いて言うなら八百万の神と言いますかっ、あのっ」

 あわあわと名刺片手に勧誘を断ろうとしていると、柊さんは目を丸くして、小さく吹き出す。

「ははっ、宗教ではない。まあ、似て非なるものだがな。退魔師――普通に暮らしてたら縁はないな。でも、君は少し、不思議なニオイがする」
「へ、匂い、ですか?」

 もしかして体臭? ど、どうしよう。ちゃんとお風呂入ってるのに。
 クンクンと制服の匂いを嗅ぐ。う、自分の臭いは自分ではわからないって言うよね。……わからない。無臭に感じる。

「……っ、違う、体臭じゃない。いや、なんでもいい」

 柊さんが体を震わせながらそう言った。

「ちょっとそれ貸して」
「え、あ、はい」

 受け取っていた名刺をまた渡す。
 柊さんは名刺片手に何かを呟くと、また私に差し出した。

「名刺を握って俺の名を呼べば、念が届く。一度しか使えないからイタズラはするなよ。本当に必要になったとき――そのときに使うんだ。名は紫月。覚えておくように」

 少し微笑んで、私の手に名刺を握らせる。
 そしてそのまま、柊さんは去っていった。ポカンとしたまま見送って、ブーブーと、ポケットの中の携帯が震えてハッとする。
 とりあえず名刺、しまっておこう。宗教じゃ、ないのかな。退魔師って――なんだろう。

 なんか流されちゃったけど、でもあの人――少し、不思議な人だった。空気って言ったらいいのかな。凛として、綺麗で、柊さんのいる空間だけ、澄んだ空気というか。

 別世界の人、みたいな。

 ちょっと、変わった人。

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