6/3 中編新作公開しました

05

 走ったおかげか、予鈴が鳴る前に下駄箱に滑り込むことができた。汗かいちゃったけど。暑いなぁ。赤いラインの入った上履きに履き替えて、校内に入る。

 朝練以外ではこの時間あんまり来ることないけど、けっこう人いるみたい。
 予鈴はあと数分で鳴るけれど、みんなゆったりと歩いて急ぐ素振りがない。携帯を見ながら気だるそうに歩いていたり、友だちとはしゃぎながら階段を登る。

「ゆづ! なにしてるの、置いてくよ!」
「あっ、うん、待って――」

 下駄箱近くにある階段を登ろうとしていた依緒ちゃんを追おうとして、人とすれ違った。

 瞬間、ふわりと、匂いがした。

 少し独特な、甘い、でも、嫌な匂い――。

「……」

 チラリと目で振り返る。
 胸くらいまである黒い三つ編みの髪。校則通りの制服。カバンを肩にかけて、淡々と歩いている。
 それだけ見れば別に普通、だと思う。

 でも、うつむいた顔。
 前を見ていないその顔には影ができているような。なんだろう。少し、気になる。

「ちょっとゆづー?」

 依緒ちゃんの声でハッと顔をあげる。

「あ、えっと、依緒ちゃんごめんね。私、少し、えーと、部室にっ、そう部室に用があって! 先行ってて!」
「はぁ? ちょっとゆづ! ……」

 くるりと方向転換をしてパタパタと走る。

 私はその子のあとを追った。

 普通の生徒は、下駄箱正面にある階段を使う。でも、下駄箱すぐ左に曲がると、左折する角がある。そこを曲がって真っ直ぐ歩いた突き当たりにも、階段がある。
 
 あんまり、来たことないけど……。

 そ、それよりっ、気になって追ってきちゃったけど、どうしようっ……!
 これじゃあ、ストーカー? 変な人?
 こ、声かけなきゃ。でも、なんて? おはよう? こんにちは? でも私、あの子の名前、知らないっ……。

 心の中で動揺しながらその子の上履きの色を見て、その色が緑だったから、一年生だと知る。

 一個下……。
 まだ入学したばかりなんだ。

 なにか話すきっかけになるものないかなとポケットに手を入れて、触れた布の感触に、グッと覚悟を決めて前を見る。

 階段を上ろうとしていたその子に近づいて、声をかけた。

「あ、あのっ」

 反応が、なかった。
 スっと、女の子は階段を上っていく。

 ええっ!? 気づかなかったのかな。

 駆け足で階段を上って、今度は肩を叩きながら声をかける。

「あ、あのっ!」
「……はい? 私、ですか?」

 よかった、足止めてくれた……!
 ウンウンとうなずいて、手に持っていたハンカチを見せる。

「え、と、これ、落としませんでしたか?」

 女の子は無表情に私が差し出したハンカチを見つめて、次に私を見る。

「私のではありません」
「あ、そ、そっか」

 ハンカチを持っていた手を下ろして、ぐるぐると視線をさまよわせる。
 会話、会話っ、えぇと。

「それでは」

 軽く会釈をして背を向けた女の子を、慌てて追いかける。

「い、一年生? 名前、聞いてもいい?」
「なぜですか」
「えっ」
「名前をお答えする必要はないと思いますが」

 そ、それは、たしかに。
 う、依緒ちゃんの言ってたのはこれかな。名前を簡単に教えてはだめだと。この子、一年生だけど私よりしっかりしてる。

「え、と……知りたいから」
「……」
「それじゃだめかな?」

 たいした理由も思いつかなくて、思ったことをそのまま伝えた。
 私を横目に見たその子は、無表情のまますぐに顔を前に向ける。

「……名前は先に名乗るべきかと。七宮先輩」
「あ、そうだよねっ、えっと私は、二年生の七宮柚月葉で、す……て、あれ?」

 今、私の名前……。

「知ってますよ。有名ですから、先輩は」

 有名?
 なんでだろう。あっ、もしかして、弓道で全国大会出たことあるから? たしかに、知ってる人は知ってるのかも。

「そうなんだ。でも、私の弓なんてまだまだ……」
「なんの話ですか」
「え、私が全国大会出たことあるからじゃないの?」
「違いますよ」

 その子は鼻で笑って、数段階段を上り、上から私をジッと見下ろした。

「有名ですから。信者をたくさん作ってる、って」

 そのままトントンと階段を上って、数歩先に行った子をポカンと見上げる。

「着いたんで、それでは」
「えっ、あ、うん」
「名前、高宮たかみや みつるです」
「みつるちゃん」
「関わらないほうがいいですよ、私には。目をつけられますから」

 冷たく目を細めて、拒絶の色を現したまま、みつるちゃんは背を向けて歩いていった。
 その姿を目で追って、私も自分の教室に行くために階段を上ろうとする、と。

「そのハンカチ、あんたのじゃない」

 ギクリと体がこわばった。
 そぉっと後ろを見る。

 冷めた目で、私の手の中にあるハンカチを見つめる依緒ちゃんが。

「い、依緒ちゃん……っ」
「部室に用事、ねぇ……?」
「い、いや、それは、えぇと」

 誤魔化そうとすると、依緒ちゃんはツッと視線を一年生の教室が並ぶ廊下に向けて、目を細める。

「次のターゲット、あの子なんだ」
「た、ターゲットって……」

 苦笑いをすると、依緒ちゃんはニンマリと笑う。

「私は気に入ったわ? 使えそうだもの、いろいろと」
「……使えそうって。いじめたらダメだよ、先輩なんだから」
「ゆづ、ああいうのは大きな加護があったほうが強いのよ。言うならば宰相とか」
「依緒ちゃん、女王様だもんね」
「ほーんと、あんたって、バカ」

 依緒ちゃんが、胡乱な目で私の頬を思いっきり引っ張る。

「いはいいはいっ」
「私はさながら、ナイトってとこね」

 バサっと黒い髪を払いのけながら依緒ちゃんはそう言ったけれど、私にはどこからどう見ようと、強気な女王様にしか見えなかった。

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