6/3 中編新作公開しました

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「みつるちゃん、それっ」
「それ?」

 みつるちゃんは私がなにを示してるのかわからないみたいで、眉根をぎゅっと寄せた。
 妖も黒い花も、見えてないみたい。そうだよね、普通は見えない。私だって、今黒い花が見えているのは、柊さんのおかげ。

 一年生三人を見た。黒いもやが大きくなって、やがて形を変える。目がぎょろぎょろした、人型。鬼、みたいな。頭に一本ツノがある。

「やっと出てきたか」

 柊さんが呟いた。

「あ、れは?」
「妖怪、って言ったほうがわかりやすいか? 人の胸に巣食う毒を養分にして成長する、なかなかに嫌な奴だよ」
「人の、胸に……」
「花が見えるだろう? 黒い花。妖怪はあれが好きなのさ。あの花に誘われてやってくる。そして、取り憑き、もっともっと花を増やそうと、業を重ねる。現にほら――あの子の胸にも、黒い花が」

 柊さんは、みつるちゃんを見た。
 みつるちゃんの胸には、確かに花がある。黒い黒い、花が。

「あの花は、どうやってできるんですか?」
「憎しみ、怒り、悲しみ、恨み。いろいろあるが、それが深く深くなっていくほど、濃い花が咲く。だから妖は、それを増やすために、恨みや怒りを植え付けようとする。あの子は――この三人の子たちに、なにかされたのかもしれないな」

 そう、だったんだ。私、なんにも力になってあげられなかった。なにがあったのかも、学校生活が楽しいかとかも、全然。

 じっとみつるちゃんを見ていると、ふわりとあの甘い、嫌な香りがした。

「あ……甘い匂い――もしかして、この花?」
「そうだよ、柚月」

 巳月が囁いた。

「何度も嗅いだことがあるはず。そうだろう?」

 ある。確かに、今までに何回も。

「柚月、柚月はもう、知ってるはずだ。あの花を、白く染める方法」
「……白く?」
「――なに?」

 柊さんがぴくりと眉を揺らした。じっと、私を見つめてくる。

「柚月葉、毒の花を浄化できるのか?」
「えっ」
「俺は、妖を滅することはできても、花の浄化はできない。あの黒い花は、心そのものだからな」

 そんなこと言われても。

 私だって、できないよ。

「できるよ、柚月。あのとき、なにを言おうとした? 難しく考えなくていい。後ろには、私がいるのだから――」

 巳月が私の肩に手を置いた。そして囁く。

「あの子を、守りたいと、そう思ったのだろう? 柚月」

 あの子――みつるちゃん。
 あの匂いを嗅いで、私はみつるちゃんに声をかけた。助けたいと、守りたいと、そう思ったの?

 わからない。でも、おばあちゃんはいつも言っていた。

 人は、心に毒を持つと。
 目に見えない殺し合いがいつもどこかで起きていて。
 私は。声に出せない「助けて」を、見つけてあげるのだと。

『おまえは、心の優しい子だからねぇ』

 グッと拳を握り、足を踏み出す。固まっている女の子三人に向かって。

「受験、失敗したのは、確かに、今だけを見たら、辛いことなのかもしれない」

 一人が震える。怯えたように。
 あの子だ。一番濃い匂いを放つ子。
 その子の前に、一歩一歩、近づく。

「でも。この学校もね、いい所なんだよ。運命って、巡り巡っていろんなものと繋がるんだって。だからきっとね、この学校に来たことも、なにか、意味があるんだよ。ここでしか出会えない人、学べないこと、たくさんあるよ」

 そっと、膝をつく。手を取った。怯えて震える、小さな手を。

「目を開けてごらん。ちゃんと、目を開けて。なにもかもを憎むんじゃなくて、見るの。新しい気持ちで。今ここにあるものを」

 三人の目が、ゆらりと揺れた。

「見えた? あそこにいる女の子が見える? みつるちゃんって言うの。高宮満。どんな風に見える?」

 誘導するように声をかけると、熱に浮かされたような、どこかぼんやりとした声が返ってくる。

「……あ……お高くとまってて、きらい……」
「そう見える? 私には、凛として、とってもかっこよく見えるよ」
「バカにするんだ……受験、失敗して、みんな、笑うんだ……あたし、は。あたしは……こわい。みんな、嫌い。こわい」

 その返答を聞いて、なんとなくいろんなものがストンと胸に落ちて来た気がした。パズルのピースが、ピタッとはまったような不思議な感覚。かすかに、手が光った気がした。淡い白い光。初めて見る、はずなのに。
 とてもよく、知っている気がした。

 口を開こうとすると、女の子の後ろの影がぶわっと大きくなった。そして、ケタケタと不気味に笑う。

『そうだ、みんな。みんなだ。おまえを笑う。おまえはなにもできない。できそこないだ。ああ、恥ずかしい。憎め、恨め、拒絶しろ。呪呪呪呪』

 人ではない声が、反響するように響く。暗く、淀んだ声。
 これが、この子の心に住む妖?
 ちょっとムッとしていると、影が怯えたように揺れた。私の肩に、手が置かれる。
 振り返ると、私の肩に手を置いたままジッと無表情に影を見据える巳月と、お札を片手に持つ柊さんが。

 ひとつ、深呼吸をする。
 
 大丈夫。私は、私の思った通りにするの。それでなにか変わるのか、わからないけれど。
 声に出せない「助けて」に、「大丈夫だよ」とそう言ってあげる人が、きっとこの子には必要なの。

「あのね、人は自分が思ってるほど他人に興味ないんだって。お兄ちゃんの受け売りなんだけどね。もし、例え笑われるのだとしても、話さないとわからないこと、たくさんあるよ」

 フルフルと首を振る女の子の手をぎゅっと握った。逃がさないように。心を閉ざさないように。ぎゅうっと。手が、白く光る。

「たくさんの人生で、ずっと良いことが続く人はいないんだって。悪いこともあって、でもみんな前を向く。大切な人の人生を笑う人なんていないよ。笑われると思っているのは、自分がその人にとって大切じゃないって、大切に思われるようなことをしてないって、わかっているからでしょ?」

 甘い嫌な匂いが、濃くなった。鼻が真っ黒に、毒々しく染まる。

「誰に笑われると思ったの? 親? 先生? 友達? それとも――どうでもいい、他人?」
「……」
「大切な人の中で、誰か笑った人は、いた?」
「……い、ない」
「うん、いないね。いないんだよ。そんな人、初めから――どこにも、いないの」

 一人の女の子が泣いた。虚ろな目から、ポロポロと涙を流す。

「してしまったことを償うのは、簡単じゃないよ。でも、辛くなったら私のところにおいで。たくさんの人が責めても、私が、大丈夫だよ、わかってるよって、そう言うから。辛くても辛くても、やり直せるよ。だから――もう一度、ちゃんと生きてみて」

 ふわっと、香りが弾けた。
 黒く染ってた花が、色を変える。白く、白く、眩しい純白に。

「やっぱり、柚月は柚月だ――」

 クスリと笑った巳月が、その花を手に取って、パクリと、食べた。
 そう、食べた――。

「ええっ、巳月っ」
「ごちそうさま」
「柚月葉、離れろっ。花を失くした妖が暴れるぞ」

 グッと手を引かれる。柊さんが手に札を持って、なにかを呟く。と、その札がキラリと眩く光る日本刀に姿を変えた。

「ええっ! 刀っ?」
「柚月葉、下がれ」

 慌てて下がる。私と引き換えに前に躍り出るように、柊さんが床を蹴る。そのままの勢いで刀を振った。女の子たちの後ろにいる、鬼に向かって。
 花が消えて、嫌がるように手を振って教室の机や椅子を壊していた妖が、柊さんによって切り裂かれる。スパッと。一瞬。たった一瞬で、妖は二つになった。
 やがて、恨めしそうに柊さんを見ると、鬼のような形をしていた妖は、砂のように体を崩して、消えた。跡形もなく。

 シンっと、静寂に包まれる。
 柊さんが払うように刀を振ると、それは札へと姿を変えた。

 な、なんだったんだろう。すごかった。よくわかんないけどすごかった。本物の真剣みたいだったよ。

 くるりと柊さんが振り返る。

「柚月葉、怪我は?」
「な、ないです」

 そう答えると、柊さんはほっとしたように息を吐いて、かすかに笑った。

「まさか、本当に花を浄化するとは――」
「柚月はいつも浄化してきた。そうだろう、柚月」
「う、わぁ」

 ギューッと後ろから抱きつかれた。巳月に。尻尾、揺れてる。かわいい。

 なにはともあれ一件落着、かと思っていると。

「七宮先輩……あなたは」

 みつるちゃんの呆然とした声で、「あ」とみつるちゃんの胸を見る。ちょっと黒い花。あの三人の子たちみたいに毒々しい色ではないけれど、でも少し嫌な色。

「みつるちゃん、みつるちゃん。なにか思ってることは?」
「え、いえ、なにも」
「ウソ。言いたいことあるはず。モヤモヤしてることとか、怒ってることとか、うーん、嫌なこと?」
「ないですけど」
「ん、と。じゃあ、あの子たちに、なにされた?」

 みつるちゃんの顔がしかめっ面になった。

「……いろんなこと」
「みつるちゃんは、それが許せない?」
「当然ですね。許す気なんて、サラサラありませんよ」
「そっか。でもね、あの子たち、病気なんだよ。心の病気。それはね、目には見えないの。みんなたくさん傷ついて、それを隠すために傷つける。ほら、よく言わない? 弱い犬ほどよく吠える、って」
「先輩、意外と毒舌なんですね」

 ちょっと胡乱な目をするみつるちゃんの手を取って、にっこり笑う。

「イジメとか人を傷つける人は、心が病気だって、おばあちゃんが言ってた。でも、普通は、逆だと思っちゃう。イジメられるほうが悪いって。だからね、みんな知らんぷりするんだって」
「……」
「でも、イジメてる人が病気だって、そう思う人がたくさん増えたら、いろんなものが変わると思わない? きっとみんな、助けやすくなる。あの人たちは病気だから。辛かったね、って。そう言いやすくなる。みつるちゃんも、そうなんだなって思ったら、ちょっとは許せるようになるんじゃないかな」
「……ふ、先輩には、負けますよ」

 みつるちゃんが小さく笑った。その手をキュッと握ると、握り返された。小さな手。でも、みつるちゃんの心は、とっても大きくて強いって、私はそう思う。

「見方ひとつで、いろんなものが変わるんだって。これも受け売りなんだけどね。私はね、きっと、これがなかったらみつるちゃんを見つけられなかったから。だから、みつるちゃんは辛かったと思うけど、私はちょっと良かったなって、そう思っちゃう。最低でしょ?」
「……そう考えることもできるんですね。確かに、それなら――こういう運命も、悪くないかもしれませんね」

 みつるちゃんが、笑った。嬉しそうに、スッキリした顔で。ふわっと、花の色が変わる。綺麗な白。
 見とれていると、それをまた、巳月が食べた。ペロリと。

「その花、食べて意味あるのか?」

 柊さんが、私の疑問をそのまま口にしてくれた。

「黒は妖の好物。白は、神の好物。柚月が神に好かれるのは、神の好物を生み出すから。私も、柚月が好き。大切に、大切に、守ってあげる」

 巳月が、ニコリと笑った。

 
 そして事件は、終幕を迎える。
 柊さんの怪しげな術で、みんなの記憶は混沌としていた。いいのかなとドキドキしたけど、退魔師として働くなら、必要みたい。怪我は、巳月が治してくれた。だから学校のみんなは、なにが起きたのかよくわからないまま、机や椅子がめちゃくちゃになってたり、窓ガラスが割れたりと、ちょっとした怪奇現象として、謎を残して終わる。

 しばらくは、学校でその話題が出る度に、生きた心地がしなかった。ドキドキして、冷や汗出て、ちょっと挙動不審だったかもなぁと、反省。

 そして私には、ちょっと意地っ張りな子と、真面目でかっこいい後輩ができた。

 どっちも、クラスに少しずつ馴染んでいるみたい。

「なぁ、七宮。おまえ、なにしたの」
「え? なにって?」
「一年の問題児三人。そのターゲットの高宮満。なんでそいつらが、おまえのとこに来んの。しかも親しげに。媚びへつらって」
「媚びへつらうって、そんなんじゃないよ。人はね、悩みごとがたくさんあるんだよーってこと」
「いや、意味わかんね」

 小さく笑っていると、携帯が震えた。
 メールだ。柊さんから。

「あの男からか。柚月、無視でいいぞ」
「だめだよ、そんなの」

 ヒソヒソと巳月と会話をして、メールを開く。

『アルバイトをしないか?』

 という内容で始まっていたそのメール。目を通していると、肩にそっと、手が置かれた。

「柚月、私はお腹がすいた」
「……」

 花を浄化して欲しいって、簡単に言うけれど。
 私には、荷が重いと思う。巳月が白い花にヨダレ垂らしてるから言えないけどね。

 どうやら私の日常は、ぐるっと大きな転機を迎えたみたい。

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