
真っ赤に燃え盛る炎が見えた。
地上が悲鳴を上げ、次々と死の大地へ変わる。焼き尽くされた木の成れの果てが、なにもなくなった場所で寂しくたたずむ。
そして、金色の髪をなびかせたルイスがふり返って──
「リィル、リィルっ」
遠くから声が聞こえ、急速に意識が浮上する。
ハッと目をひらくと、心配そうにのぞきこんでくる顔。さらりと金の髪が流れ、緑の瞳がじぃっと私を見つめる。左の首筋には碧の石。
「大丈夫か? うなされてたから……」
申し訳なさそうに眉を下げた顔をぼんやりとながめて、薄く口をひらく。
なにかを言おうとして、でもなにを言おうとしたのかわからなくて。
だんだん鼻の奥がツンとしてきて勝手に涙がこぼれた。そのまま手を伸ばして、目の前の首に抱きつく。
その瞬間、ルイスの体がビシッと固まった。けれども、すぐに体の力をぬいてあやすようなやわらかい声をかけてくれる。
「どうした? 怖い夢でも見たのか?」
「こわい、夢……」
こわいゆめ。
なんだっただろうか。真っ赤に燃えていた気がする。全部が。それで、ルイスが、いや、あれは、ルイスだったのだろうか。
誰かが、いた気がしたけれど。もう思い出せない。
「うん。もう大丈夫だから。怖かったな」
ゆらゆらと体をゆらされるのが心地よくて、眠気に流される。まぶたが重たくて持ちあがらない。
「もう一度眠れそうか?」
「ん……」
「おやすみ。部屋まで運ぶから、寝ていいよ。怖い夢見たら起こすから」
ささやくような声が心地よくて、歩くリズムに身をあずける。ふっと、意識が遠のいた。
怖い夢は見なかった。
遠くにある意識を抱えたまま、もそもそと寝返りを打つ。
ねむい、起きなきゃ、ねむい。今何時だろう。ああ、甘いものが食べたい。まるく焼いた生地に、たっぷりクリームに、トッピングはチョコレートソース。そうだ、あれは。
「ぱんけーき……」
「……起きてるのか?」
すぐ近くから自分ではない声が聞こえてきて、呑気にふわふわ漂っていた意識が大あわてで体に飛びこんでくる。
驚きと焦りでバッと目をあけた。その瞬間、私の顔をのぞきこんでいたルイスと目が合う。
飛び上がって身を引いたら、頭を壁に打ちつけた。
「うあっ」
痛い。目から星が飛び出た気がする。
「大丈夫か?」
ベッドに片足を乗りあげたルイスが、私の頭のうしろを右手でなでくりまわす。
「すごい音したぞ。コブはできてないな。一応診てもらうか?」
ち、近い。首筋ドアップでキラッキラの石が見えている。石コレクターには毒だ。鼻血出そう。あの石って取り外したらどうなるだろう。さわりたい。
血走った目で石をガン見しながら震える声を出す。

「だ、大丈夫、です。痛みもひどくないですもの」
「うーん」
近い。
「あ、あの、それより、どうしてここに……」
というか、ここはどこだ?
「全然起きてこないから、体調でも崩したかと思って。かってに入って悪かった。夜は外にいたから大丈夫だよ」
さあっと血の気が引いた。
ここルイスの部屋じゃないか! ベッドでぐーすか寝て! しかも、起きてこないって、今何時だ!?
「あ、う、いま」
「今は海の刻二。昼食とっておいてあるけど、食べられそうか?」
海の刻二?! 空の刻が終わってるじゃないかっ。
昼過ぎまでぐーすか夢のなかなんて、とんだ寝坊助だ。
「ご、ごめんなさいっ。私、寝坊して……っ」
「いいよ。寝たの深夜まわってたし、知らないところに来て疲れてただろ?」
うっ、善意がまぶしい。寝坊助の堕落した悪魔が聖なる光で浄化される。
「パンケーキじゃないけど、食べるか?」
穴があったら埋まりたい。
ルイスのあとに続いて食堂へとやってくる。
昼時はとっくに過ぎているからか、なかは閑散としていた。こんな時間にくるのは寝坊太郎くらいだ。
「おっ、起きたか。おはよう」
ひょいと、厨房と繋がってるカウンター口からアルバトロスが顔を出した。
「おはようございます」
寝坊助ですみません。
アルバトロスはちょいちょいと私を手招きすると、カウンターにランチプレートを置いた。
小さなハンバーグとポテト、スクランブルエッグにパスタ。それぞれちょっとずつ盛りつけてある。まさしくお子様ランチだ。小さく盛られたチキンライスにはご丁寧に旗が立っている。いちおう私、十二歳なんだけどね……。
「ルイスが見てくるって言うから温めなおしておいた。変な時間だけど、食べられそう?」
「ありがとうございます。お手間をかけてすみません」
ルイスの横のカウンター席に腰かける。
私の前にはお子様ランチ、ルイスの前にはコーヒーが出てきた。
ルイスがコーヒーをすすりながら横目に私を見る。
「アクアバースだけど、明日の昼までには着くはずだよ」
明日? ということは、あと一日もしないうちに着くんだ。
「思ったより進路が順調で、早く着きそうなんだ。よかったな」
「よく言うぜ。おまえが夜通し力使ってたからだ……」
ルイスの裏拳がアルバトロスの顔面に命中した。
アルバトロスが顔を押さえて苦しみ悶える。
「力って……」
「なんでもない」
ルイスの輝かしい笑顔の圧に口をつぐむ。
まさかとは思うけど、昨日の夜、ずっと力を使っていたということだろうか。
ルイスの力は、風だ。
このルイスも剣から風を出していたし、たぶん同じ力を持っている。でも、力を使うと体力を消耗したはず。
力を使いすぎて片膝ついているルイスを夢で見た記憶がある。かっこいいけど心配! みたいな複雑な気持ちになったものだ。
それなのに夜通しということは、寝ないでずっと力を使っていたってことだよね。
よくよく見たら、ルイスの目の下にはうっすらクマができていた。
「ててっ。カッコつけてないで言えばいいのに。キミの笑顔のためなら僕は自分を犠牲にしてもいい。とかさ」
「キモい」
「今のは誇張表現だろ!」
煙たそうにアルバトロスをあしらうルイスの服のすそを引っ張る。
「ルイス」
「うん? あいつのことなら気にしなくていい。口から生まれてきた男だから」
笑顔でしれっとごまかそうとするな。煙に巻こうったって、そうはいかない。
「昨日、寝ていないんですの?」
「寝たよ」
「うそ」
「本当」
「目の下、クマができていますもの」
私の指摘に、ルイスは白々しく小首をかしげた。
「寝てないなら、そう言ってくださいな」
「ちゃんと仮眠はとったよ」
「本当に?」
じぃぃぃぃとルイスを見る。嘘を許さないと、眉を寄せ、鋭い眼光で串刺しにした。
ルイスは口を開いたが、私の全身からにじむ閻魔の圧に耐えかねたのか、言葉を飲んでそっと視線をそらした。
これは、黒だな。やましいことがなければ、目をそらしたりしないはず。
「本当に本当に本当にほんっとーに? 神に誓って?」
「……」
「もう、疲れたなら疲れた、無理をしたなら無理をしたって、ちゃんと言ってくださいな。そうしたら、私はごめんなさいとありがとうが言えるもの。嘘をつかれたらそれもできない。ごまかさないで」
ルイスは私をじっと見たまま沈黙する。
私は眼力をめいっぱいこめてルイスを見返した。今なら目からビームが出せそうだ。
じりじりと目から裁きの光線を送り続けると、やがて、ルイスは息を吐いて、諦めたように苦笑いをした。
「たしかに、ちょっと無理をした。昨日、泣いてたから」
「泣いてた?」
「うなされてたの、覚えてないか?」
うーん。覚えているような、覚えていないような。
寝ぼけながらルイスと話していたような気はする。
「それで、寝ずに番をしてくれたのですか?」
ルイスは言葉にするのをためらうように小さく口を動かしたあと、嘘をつくことをやめたのか、素直にうなずいた。
「そうだよ。怖い夢を見たら起こすって、約束したから」
損な性格だ。本当に。
それで、未来は破滅かもしれないのだから、浮かばれない。
「ありがとうございます。ありがとう、ルイス」
「……どういたしまして」
胸の奥がじくじくする。
詰まったように苦しくなって、たまらなくなるような、不思議な気持ち。
もしも、夢の通りにこの人がなにもかもなくしてしまったら、私はなにもしなかった自分を責めるんだろうな。
私は知っていたのに、って。
「私、ルイスに出逢えてよかった。このご恩は、必ずお返しします」
しっかり頭をさげて、お子様ランチに向き直る。
家に帰ったら、考えることがいっぱいだ。
私はこれからどうするべきか、どうしたいのか。
どうやって動かしていくべきか。
ルイスとレネとアルバトロスの関係も複雑だけど、とにもかくにも、アルバトロスの死を阻止しなければ。
すべてはそこから崩壊する。
人生は一度きりだ。失敗はできない。