
「忘れものはないか?」
「大丈夫です」
起きてすぐ、ここにきたときに着ていたピンクのドレスに着替え、全身チェック済みだ。髪飾りはなくしたし、私が持っていたものといえば、この服だけ。
「じゃあ、行こうか」
差し出されたルイスの手を握り、みんなに別れを告げて私は船を降りた。
あいさつのときにレネが見当たらなかったけれど、寝ているというのでそっとしておいた。また来たときに、お洋服のお礼として手土産を渡そう。
鬱蒼と生い茂る森のなか、ルイスとはぐれないよう、握っている手に力をこめる。
ルイスたちは街中ではなく、西にある森の高台に着陸したらしい。
まあ、空飛ぶ船が着陸できる場所なんて街中にはないし、しかたがない。
手をつなぎつつも少し先を歩くルイスが、草を踏み均してくれる。飛び出ている木や葉も手で押しのけて歩きやすくしてくれるし、至れり尽くせりだ。
しばらく歩くと、森をぬけ、石畳の道に出た。凹凸はほとんどなく、きれいに敷き詰められている。ようやく街に到着だ!
アクアバースは話に聞いていた通り、真っ白の壁に、青い屋根が映える街だった。
街行く人のカラフルな服が、魚の尾びれのように、ひらりひらりとゆれている。
ここが、地上! 街!
活気があって、青い屋根がちょっと上品で、人の笑顔であふれる楽しそうな街。
お兄さまたちから土産話という名の自慢話を聞くたびに、歯ぎしりをしたものだ。
ぐるりと目だけで街の様子を見る。
少し先にある大きな広場では、ピンクと水色のポップな色をしたワゴンでアイスが売られている。
ほかにも、ワッフルだとか、ホットドッグだとか、食べ物を売ってるワゴン屋台がたくさんある。
広場から続く道では、たくさんのお店が開かれているし、街の人たちの手には色とりどりのショッピングバッグがかけられている。
この街は、クラッド家のお膝元だから、世界で一番物流が盛んだったりする。
なんといっても、大きな港があるのだ。海の使族の許可を得た商船が続々とやってくる、選ばれし街!
世界中からいろんな物が入ってくるし、流行の最先端。住んでいる人もそれを誇りに思っているし、移住希望者も多い。
ここは、世界の憧れの街なのだ。
「あそこが第三広場だ。家の場所はわかるか?」
「大丈夫です。ありがとうございました」
これでルイスともお別れかぁ。
寂しいような、正体がバレなくてほっとしたような。
「それじゃあ……」
「人も多いし、家の近くまで送るよ」
ええっ。ありがた迷惑!
私だって送ってもらいたい。最後のギリギリまでルイスといたい。けどっ。
私の家は、海のなかにあるんだ。
ルイスの全身からにじみ出る善人オーラにふらりとよろめく。
ルイスが光輝けば輝くほど、ウソを塗り重ねる私の心の醜さが際立つ。
「本当に、すぐそこですので。気にしないでくださいな」
「さすがに子どもをひとりで歩かせるのはな。連れ去られたらどうするんだ?」
こんなに人が多かったら逆に大丈夫じゃないか?
「大丈夫です。ルイスが心配性なだけですもの」
ルイスは口もとに人差し指の関節を添え、考える仕草をした。そして、街を見てからチラリと私を見下ろす。
「やっぱりダメだ。家はどっちだ?」
いい人すぎて悪人には眩しすぎる。
私がウソつきじゃなければ、ルイスに「家はここよ」と、海をさして手前でさよならできるのに。
それか、この街に別荘でもあったらよかったのに。今度お父上さまに相談してみようか。
偽りの仮住まい。
「この街はけっこう広い。子ども足だと、端から端まで一日以上かかる」
「でも……」
どうしよう。
もしかして、微妙に怪しまれてる?
適当な家を示して、ここが私の家ですって言って帰ってもらおうか。
うんうん考えこんでいると、突然、真横の家の扉が開き、怒鳴り声が聞こえた。
「何度来ても無駄だ! 帰れっ!」
「うわっ」
突き飛ばされた青年が、こちらに倒れこんできて……って、潰れるっ。
頭をガードしようと、両手で頭を抱えた。
目を閉じて衝撃に備えていると、だれかの腕がするりと脇の下に巻きついて、引き寄せられる。
「わ、わっ」
おそるおそる目をあける。ルイスの胸元ドアップがあった。ついでに首筋の石が目に入り、視界が碧の石でいっぱいになる。
どうやらルイスは、あの急なアクシデントにばっちり対応していたようで、私をかばうように抱き寄せつつ、反対の手で突き飛ばされた青年の背中も支えていた。
「大丈夫か?」
心配そうに顔をのぞきこまれ、トキメキメーターがぶち上がった。
「だ、大丈夫です。ありがとうございます……」
心のなかでは荘厳な歌が響き渡る。
イケメンに捧げる賛美歌だ。

「あんたも大丈夫か」
心のなかで悶えている間に、ルイスは突き飛ばされた青年にも声をかけていた。
「は、はい。大丈夫です。ありがとうございました」
「子どもがいるんだ。気をつけてくれ」
「わ、悪かった。お嬢ちゃんびっくりさせてごめんな」
「いえ。怪我してませんもの」
ルイスにかばわれるという美味しい経験ができたので、バッチグーです。ありがとうございます。
「それより、どうしたんですの? 揉めていたようですけれど……」
問いかけてから、面倒ごとに首を突っこんだかもとハッとする。
なかったことにしようとする前に、青年が「聞いてくださいよっ!」と、すがりついてきた。子どもにすがりつく青年。絵面がよくない。
「う、なんですの?」
話だけでも聞くか。十二歳でも大人の愚痴を聞くくらいならできる。
でも、ルイスを付き合わせるのは申し訳ない。帰ってもらおう。
「あの、ルイス。もう大丈夫ですので……」
「うん?」
私の話をさえぎって、ルイスは笑顔で威圧した。
一緒にお話を聞きましょうか。
私は青年に向き直った。
「実は……」
そうして、青年は語り出した。
絶対に大ヒットする商品を発明したのに、まともに取り合ってもらえないと。
そう。
海の使族にっ!
ドッキーンッと心臓が飛び出し、冷や汗が吹き出た。なぜ。なぜ今、海の使族の名前が出るっ?
「さっきの方は?」
私は心のなかで冷や汗を流しながら、チラリと家を見る。
「街の役人です。海の向こうで商売をしたいといっても、海の使族の許可がなければダメだと跳ね除けられてしまって……」
それは、そう。
そういう決まりだからね。
「許可をとったらいいのでは?」
「簡単に言わないでくださいよ……。許可を取ろうにも、彼らは忙しいからこんなものに時間をかける暇はないって、一蹴されるんですから」
海の使族に届く前に止められてるってこと?
でもたしかに、お兄さまは毎日忙しそうにしている。家にいないことも多い。
お父上さまはわりと呑気に家にいるけれど、それでも自分の部屋でなにかしている。
「うーん。じゃあ、諦めてこの街だけで商売するとか……」
商売すること自体は自由だ。
海を渡るのが、許可がいるだけで。
私の提案に青年は思いっきり不満そうに口を曲げた。
「たしかに。この街にも材料はあります。だけど、海の向こう側だぞっ? 材料の宝庫に決まってる!」
興奮しているのか、敬語が吹き飛んでいる。瞳をギラギラと燃やし、拳を握ってダンと足を地面に叩きつけ、気合の入ったポーズをとる。とんでもない熱意だ。
「新たな材料がほしいから海を渡りたい、ってことですの?」
「もちろんっ! 研究者なら、誰もが夢を見るんです! 新たな植物、鉱石、生きもの。ああ、成分を分解して分解して分解して、この世のすべてを溶かしてしまいたいっ」
欲望に顔をとろけさせ、男は幻のよだれをたらす。
思考がマッドサイエンティストっぽい。危険だ。
ドン引きしてると、男はごほんと咳払いした。
「まあ、そういうわけなんですよ。私は新たな材料がほしい。そのために、海の向こう側に行きたい」
たしかに、一理ある。
未開拓の土地もいっぱいあるしね。
それにこの世界は不思議いっぱいの宝庫だ。人食い花とか、笑うパイナポーとか、人を眠らせる草とか。ほかにもいーっぱいいると聞いている。
私も、お兄さまたちの不思議話に、いつも心躍らせているから、気持ちはわかる。
うんうんうなずいていると、青年は悔しそうに歯切りした。情熱で燃えたぎっていた瞳に、憎しみが宿る。
「くそっくそっ。あんな法律さえなければ、今ごろ!」
あんな法律って、海の使族の法律か?!
『海の使族の許可なく海を渡ってはならない』という、この世の根幹である法律。
夢で見た、赤い憎しみの瞳を思い出した。ゾクッと背筋が震える。
まさか、海の使族はこうして恨まれていく?!
「あ、あの、落ちついて……」
「落ちついてられますか! 俺の夢が……っ」
男はその場に膝をついて、この世の終わりだと言いたげに頭を抱えてうなだれた。
なんという罪悪感。
それに、ルイスがいるし、海の使族憎しを見せたくない。なるべく清いイメージをつけてほしい。
海の使族って、思っていたよりいい人かもしれないと、そう思ってほしい!
下心もりもりの悪魔が耳元でささやいた。この青年を、救うのだと!
私は一歩足を踏み出した。
「どんな商品を発明したんですの?」
「え?」
「とってもいいものなのでしょう? 見せてくださいな」
青年はパアッと瞳を輝かせ、意気揚々とプレゼンをはじめた。
「私が開発したのは、どんな相手もメロメロにする、メロシャンプー!」
どんな相手もっ、メロメロにするっ?!
私の心は激しくゆさぶられた。
となりにいたルイスが、「それは無理だろう」と、呆れた顔をした。
「どんな香りですの?」
「……リィル?」
ルイスを無視して、青年に食らいつく。
「おおっ。気になります? 嬢ちゃん見る目あるねぇ! サンプルあるよ。ほら」
人差し指ほどの大きさの小瓶に入った液体が差し出された。
受けとってふたをあけて、ふんふん匂いを嗅ぐ。
その瞬間、鼻の奥の粘膜を優しく包みこむような甘い香りが広がった。
うわっ、すっっごくいい匂い。
「どんな香りだ?」
「甘い香りですの」
ルイスにも匂いを嗅がせる。
くんくんと鼻を動かしたルイスも、驚いた顔をした。
「たしかにいい香りだな。でも、そこまで甘くはなかったような」
「そうなんですの? 私は甘いスイーツのような香りがしました」
「俺は、石鹸のような……まぁ、少し甘さもあるか……」
首をかしげてもう一度嗅いでみる。
ん? 匂いが変わった?
というか、どこかで嗅いだことある匂いのような。爽やかで、少し甘くてクセになる香り。
って、これ、ルイスの匂いじゃないか?!
「ふっふっふ。これは、嗅いだ者によって、匂いが変わる、特別製なのです」
「匂いが変わる?」
「嗅いだ者の好みの香りに変わるんですよ。正確には、望んだ香りになるんです。森にあるヘラの花の習性を利用し、改良した特別品です!」
なんとっ!
この青年、ちょっとくたびれた見た目によらず、本当に発明する天才だったのかっ。
「ヘラの花って、毒性がなかったか?」
げげっ、そうなのか。嗅いじゃったけど。安全なのか?
「その問題はもちろん解決済みです。毒性をぬき、習性だけを上手く抽出しました。どうです? すごいでしょうっ?」
たしかにすごい。なにより……。
あの、ルイスが、さっきから何度も匂いを嗅いでいる。私は横目にギンっとルイスを見た。
「これが売り出されれば、絶対大ヒット間違いないのにっ! くそぉっ」
悔しそうに歯噛みしている青年に、神の手を伸ばす。

「私がなんとかしましょう」
「……へ」
「お名前と住所を教えてくださいな。また改めて連絡します」
「えっ、えっ」
「ちなみにこれは、ポプリのようなものもつくれますか?」
「えっ。それは、つくれると思いますが……」
ほほぅ。なるほど。
ポプリとして持ち歩けば、ルイスの匂いがいつでもそこに。そして、『好きな人の香りを、いつもあなたのそばに』というキャッチコピーで売り出せば、間違いなく、売れるっ!
「私が橋渡しをします。私はこれでも、そこそこの力をもっているのです」
海の使族ですから。
青年はポカンと口をあけたあと、ハッとした顔をして私を見た。
「あなたが……?」
「この子は商家の子だ」
ルイスが私のウソを広める。
青年は雷に打たれた顔をして、その場にひざまずいた。
「あ、ありがとうございます! よろしくお願いします!」
名刺がないというので、その場で書き殴られたメモを受け取り、青年に別れを告げる。あとでこのメモに保護をかけないと。
メモ片手に、くるりとルイスを振り返る。
「やることができましたので、ここで大丈夫です。送ってくださって、ありがとうございました」
ルイスは迷うような顔をして、やがて息を吐きながら苦笑いした。
「わかった。気をつけて」
「はい。いつか必ず、この恩返しはしますので。それじゃあ……」
少し名残惜しいけれど、ルイスに頭を下げて歩き出す。
曲がり角を曲がる前に、振り返る。
ルイスはまだそこにいたから、大きく手を振った。
さてと、帰りますか。
海のなかへ。