
記憶を頼りに走って、途中案内板をながめて、なんとか第三広場までやってくる。
この先の道を行けば、森だ。
ルイスたちの飛空船までの道のりを覚えているかといったら微妙だけれど、高台だったから、登り坂を選べばなんとかなるはず。
私は草木が生い茂る森のなかへと足をすすめた。
足場の悪い道を歩いていると、木の枝が頬に突き刺さる。海のなかでは泳ぐことが多いし、街のなかは整備されているから、でこぼこした道に慣れていなくて、石や木の根に足をとられて転びそうになる。
足もとに注意すると、今度は上がおろそかになって葉っぱや枝が攻撃してくる。歩くのがつらい……。
前はルイスが葉っぱも木もよけてくれて、地面も踏み均してくれたから難なく歩けていたけれど、ルイスの細やかな気遣いがないとこんなに大変だなんて。
手で草木を分けながら歩いていると、だんだんと木の数が減っていき、ひらけた場所に出た。正面は行き止まり。というより、高い崖だ。
そして、その崖の下に、白銀の綺麗な毛を真っ赤に染めて、血を流しながら地面にぐったりと横たわっている小さな生きものがいた。
猫に似ている長毛の生きもの。耳の周りの毛がふわっと立っていて、ものすごくかわいい。一瞬見惚れて、すぐにハッとして駆けつける。
「だ、大丈夫?」
その生きものの近くに膝をついて、状態を調べる。おなかあたりから血が溢れ出しているようだった。
「し、止血! 止血しないとっ」
ルイスたちのところに連れて行ったら、手当してくれるだろうか。厄介なものをもってきてと思われたり。
……ううん、ルイスたちはそんなことを思ったりしない。私のことは嫌っていても、軽い手当くらいならしてくれる。
そんな気はするのだけれど、そうやってルイスたちを頼るのは、いいことなのだろうか。迷惑と言えない人のところに、無理矢理押しかけているような。
「う……」
小さな生きものが苦しそうにうめいて、ハッとする。
今はとりあえず止血だ。よけいなこと考えたらだめ。
ポケットからハンカチをとり出し、血で染まった長毛を少し掻き分けて、直接おなかにあてる。すぐに血がにじんできたので、今度はスカートの裾を押しあてた。
毛の奥に隠れている皮膚には、切り裂くような四本の傷があった。
鋭い刃物で斬りつけられたような感じだけれど、それにしては等間隔すぎる。どちらかというと、引っ掻かれたみたいだ。
傷口を圧迫していると、小さな生きものが苦しげに呼吸を荒くする。
「だ、大丈夫? じっとしてね。痛い?」
ふわっふわの生きものが、うっすら目をあけた。
瞳はまんまるな黄金だった。お月さまをそのまんま連れてきて、はめこんだみたい。吸いこまれそうになる魅惑的な瞳に、ドキッとする。
「なにを、してるんですか」
「え? あ、止血を……って、ええっ? しゃべってる?」
しゃべってる!
海の使族は、たしかに海の生きものと話せるけれど。ということは、もしかして……。
「あなた、海の生きものなんですの?」
「はぁ? バカ……なん、ですか?」
弱っているのに口が悪い生きものだ。
「う……それより、逃げ……」
「え?」
「後ろ……っ」
後ろ?
首をぐりんと回して後ろを見る。それと同時に、赤茶色をした大きな大きな体の猛獣が、森の奥からのっそのっそと姿をあらわした。
獣ののどの奥からは、地響きのような威嚇音が鳴っている。
「ひぃっ、お、お仲間なんですの?」
「そんなわけ……。僕があんなブサイクと、同じなわけ……ないでしょう。節穴ですか、その目は」
ふわっふわで小さくてプリティなのに、毒舌だな。
まぁ、たしかに、こっちは両手で抱えられるくらい小さくて、絹みたいになめらかな長毛がキラッキラ光っている。特殊な毛なのかな。光の粒がついているみたい。
しかも、ふれたところは、とろけそうなやわらかさだった。
たいして、あの巨大な獣は、トラのような体に、熊のような顔。たてがみがあって、尻尾は蛇みたい。しかも尻尾は七本ある。顔は筋肉で盛り上がっていてゴツい。
かわいさでは圧倒的に、こっちのふわふわプリティに軍配が上がる。
じろじろ観察していると、巨大な獣の爪に血がこびりついているのに気づいた。
お仲間どころか、あの獣にやられてた!
「なに、してるんですか。はやく、逃げ……」
「う、うん」
こっそり逃げようと、小さな生きものを抱えて立ちあがった瞬間、ゴツい獣が空に向かって咆哮をあげる。大きく鋭い目玉が、ギョロリと私たちを見た。
ギクリと体がこわばる。まずい。ロックオンされた!
大きな獣はぐるぐると喉を鳴らし、前足で地面を掻いている。そして、体勢を低くしてお尻をフリフリ……。って、あれ、飛びかかる前の予備動作じゃないか?!
私は小さな生きものを腕に抱えたまま、必死に横に走った。死ぬ気で足を動かす。今だけは地上最速を誇れるかもしれない!
私が駆けだした直後、ゴツい獣は大きくジャンプし、私たちがいたところを巨大な前足で踏み潰した。少し地面がゆれ、尻餅をつく。
ひぃ、あと少し遅かったら、死んでいた。
ほっとしたのも束の間、心臓がどくどくと嫌な音を立てる。
最近、襲われてばかりだ。もしかしたら呪われているのかもしれない。今度お祓いをしなければ。ヴァルの住む街の近くに、腕っ節の払い屋がいると聞いたことがある。
冷や汗をかきながら考えていると、腕のなかのプリティな獣が小さくうめいた。
「ご、ごめんなさい。痛かった?」
遠慮なくどすどす走れば痛いよね。しかも尻餅ついたし。
血もまだ完全にとまっていないのに、どうしよう。早く治療しないと。
焦っていたそのとき、一発の銃声が響いた。
と、同時に、あのゴツい獣の巨体がグラっとゆらぐ。そのまま崩れ落ちるように地面に倒れこんだ。
な、なにが起きたの?!
「ったく、かってに逃げ出しやがって。あーあ、傷がついてるじゃねえか」
そんな声とともに、森の奥からひとりの男があらわれた。緑がかった髪をオールバックにして、黒のタキシードをぴっちりと着ている。左手で黒いハット帽を押さえて、もう片方の手に銃をもっている。
もしかして、助けがきた……?
ほっと息をはいて、肩の力をぬこうとして、がぶっと手を噛まれる。
「いたっ」
「なに、気を、ぬいてるんですか、あいつですよ」
「へ? なにが……」
男がふと私を見て、いぶかしげに眉を寄せる。
「あ? ガキがいんじゃねえか。邪魔だな。ほら、おじょーちゃん。死にたくなきゃ、そいつを置いてどっか行きな。いや、それともこいつも商品にするか?」
商品……?
ところどころ言葉に違和感を感じて、ふわっふわの獣をぎゅっと腕に抱く。
そして、ふと、体を包みこむような、優しく語りかけてくるような感覚があるのに気づいた。私の証の気配だ。
近くにある?
でも、いったいどこに。
ぐるっと地面をなでるように見ていくけど、ない。
目を閉じて意識を集中させると、すぐ前にあることに気づいた。前にいるのは、あの男だ。
体をなめるように見ていって、ポケットからひょっこりと青いヒレの一部が顔を出しているのに気づいた。
「それ!」
「あ?」
「それ、私のです」
男の人のポケットを指さすと、男はポケットから私の髪飾りをとりだした。青いヒレの形に、先端の濃い青の宝石。間違いない。どこからどう見ても、私の髪飾りだ!
「おじょーちゃん? これは、俺たちが拾ったんだ、俺たちのものだ」
「も、元の持ち主は私だもの」
「証拠でもあるってんのか?」
証拠ならもちろんある。
だって、その青い宝石は、私が生まれたときからいっしょにいる半身だもの。
私は自分の証に意識を集中させた。そして、右手人差し指を前に出す。
「シーア・レディーレ」
青い光が弾けて、男の手から、私の手元に青い石のついた髪飾りがやってくる。
「な!?」
私は髪飾りをいつもの定位置、右耳の上につけた。
なんだか、さっきよりもパワーアップした気がする!
「おまえ、その肌……。はは、そうか。おまえ、海の使族か?」
男が瞳孔をひらいて私を見下ろした。
な、なんだろう。様子がおかしい。
表情が消えて、色のない能面みたいな顔をして、私の動きを見逃すまいとするかのように見下ろしてくる。
全身からにじむ鬼人のような気配に、無意識に尻を後ろに引く。
男はうすく笑うと、サッと周囲を見渡した。
「……はは。ひとりか?」
確認というより、断定のような言い方だった。
私はプリティな生きものを抱えたまま、ごくりと唾を飲む。
男はおもむろに顔をふせて、片手で顔をおおった。
やがて、肩が小さく震えだす。
「はは、あはははっ! こりゃあちょうどいい!」
男は片手を顔にあてたまま、狂気に満ちた目で天を仰いで笑い出した。
「はは。おまえらのせいで、オークション会場もめちゃくちゃだ。このままだと、あの方に顔向けができなかったんだよ」
オークション会場?
まさか……あの、違法オークションの関係者?
浅く呼吸をして、男の動向を見守る。
こわい。なにを考えているのかわからない。
男は、右手にもっていた銃口を私に向けた。
「ははは。おねんねしてな」
ひゅっと息を飲んだ瞬間、私の腕のなかから、綺麗な白銀の毛をなびかせて、プリティな生きものが飛び出した。
小さくなにかをつぶやいたと思ったら、その体があわく光りだし、小さな体がどんどん大きくなっていく。
そして、巨大な前足の爪で銃弾を弾きかえすと、私を守るみたいに前に立ちふさがった。
「だれに銃を向けているか、わかっているんですか」
白く滑らかな長毛が羽根のように見える美しい巨体。のどの奥からは、グルルルと威嚇する音が響く。
白銀の艶やかな毛が風でふわふわとゆれ、大きな耳が天に向かってピンッと立っている。
呆然とする私の前で、ふさふさの長い尻尾が空にたなびいて遊んでいた。
