
な、なに、なにが起きたの?!
この大きな美しい獣は、さっきの小さかったあの子?
状況を把握しようと大混乱の頭を落ち着かせていると、ふと、白銀の大きな子のおなかから、血がしたたり落ちているのに気づいた。
やっぱり、あの子だ。傷口、塞がってないのに。
「ぷ、プリティちゃん、傷が!」
「……プリティちゃんって、まさか僕のことですか」
「な、名前がわからないから……」
白銀の獣からうろんな目が向けられた。
「まぁ、たしかに僕はかわいいですけど」
認めるんかい!
心のなかでツッコんでいると、プリティちゃんを見た緑髪の男は一歩後ろに足を引いた。
「はは。まさか、そんな力をもったバケモノだったとは」
そのまま、私たちから距離をとるように一気に後ろに飛ぶ。
そして、ハットを押さえたまま、帽子の隙間から憎々し気に私たちを睨んだ。
「失態を犯したんだ。……試してみるか。どうせなら、あの方の未来の、礎に」
血走った目が、白銀の獣を超えて私を見た。
夢のなかの、あの、憎しみにこもった血走った瞳が、ふっと男にかぶさる。
背中にゾクっと悪寒が駆けぬけた。なんだろう。なんだか、すごく嫌な予感がする。
緑の髪をした男は、ポケットからなにかをとりだした。手のひらに、コロンっと収まるくらいの大きさの、石。真っ黒のボディに、赤い稲妻模様が散っている。
「それ……」
私がルイスに渡した、黒い石。
どうして、この男がもっているの?
ルイスは、探すように頼まれたって言っていた。まさか、この人に渡すために、黒い石を探していたの?
でも、この人は、オークションの関係者だったはず。どういうこと?
混乱しているあいだに、男は腰のナイフを手に持ち、自分の手の甲をナイフで引き裂いた。皮膚が裂け、血があふれ出す。
そして男は、手の甲から滴り落ちる血を、黒い石の上にたらした。
その瞬間、黒い石が、禍々しい強い光を放って、黒い煙幕のようなものを吹き出す。
「な、なに?!」
おどろいていると、黒い煙が白銀の獣に直撃した。苦しそうにうめいたと思ったら、大きな体がしゅるしゅると小さくなっていく。
「プリティちゃん!」
小さかった姿になってしまったプリティちゃんは、地面に倒れこんで、浅く呼吸をしていた。
血を流しすぎた? それとも、あの変な煙?
石から噴き出した黒い霧が、空に登って森の上空を埋めつくすように広がっていく。
月明かりを、真っ黒の雲がおおい隠した。
森の動物たちが、ギャアギャアと不快そうに鳴く。不気味な風が、皮膚をうすくなでるように駆けぬけていった。
森の様子がおかしい。
緑の髪をした男が、「ぐぅ」とうめいて石を落とした。地面に手をついて四つん這いになって、苦しそうに喘いでいる。
ど、どうしよう。助けたほうがいいの?
とりあえずプリティちゃんを両腕に抱えて、男の様子をうかがう。
男はさらに苦しそうにうめいたかと思うと、とつぜん背中から黒い煙を吹き出した。黒い煙に飲みこまれるように、どんどん体が大きくなっていく。
手に巨大な爪が生え、口には鋭い牙。顔つきがクマのような獣に変わり、首が伸びて、顔が二つに分裂する。
ひゅっと息を飲んだ。
なにこれ……。人が、獣に変わっている?
真っ黒い逆立った毛をした二つの首を持つ未知の生きものは、大きな咆哮をあげると、私をじろりと睨みつけ、そのまま流れるような動きで、巨大な前足を振り上げる。
「ひっ!」
とっさに、私を守ってくれた小さな体を守るように、ぎゅうっと抱きしめる。
痛みを覚悟してぎゅっと目を閉じたそのとき、一陣の風が駆けぬけた。金属がぶつかるような音が響いて、獣の咆哮が響く。
痛みがない。それに、濁った空気を鎮めるような、いい香りがする。
「……大丈夫か?」
耳にこびりついている、穏やかで心地のいい声。ひゅっと、息を飲んだ。
首が取れるような勢いで顔をあげる。
私の前に、獣の爪を剣で受け止めている金色の髪をした王子さまがいた。
……夢?
一瞬、そんなことを思った。
だって、あるはずないもの。ルイスが助けにきてくれるなんて。
「……血が……」
夢のなかの王子ことルイスは、私の服を見て目を瞠ると、前を向いて巨大な獣の前足を剣で弾き飛ばした。

剛腕すぎる。
私がおどろいているあいだに、ルイスは私をひょいと抱えると、そのまま空へと急上昇した。
ゴウゴウと風を切る音がして、キュッと目を閉じる。
助けに来てくれた?
どうして?
私は、嫌われてなかったの?
獣が飛びあがっても届かないような高い場所まできて、ルイスはあらめて私を見た。
「ケガをしているのか?」
「あ。この血は、この子の……。お医者さまに見せないとっ」
抱えていた、白銀の毛を持つプリティな生きものをルイスに見せる。ルイスは目をまるくして、まじまじとその生きものを見た。
「……この毛……まさかアノシシア族か? どうしてこんなところに」
アノシシア族?
聞いたことのない種族だ。というより、海の使族と人間のほかに、種族があるの?
「とりあえず手当をしよう。よかったよ、まだ出発してなくて」
ルイスがそう言って、ぐっと向きを変える。
森の奥に向かっているから、レイヴンの船に行くのだと思う。
私はルイスの腕に抱かさりながら、胸に引っかかっていることを言葉にした。
「ど、どうして、助けてくれたんですの?」
ルイスは空中を飛びながら私を見下ろした。
「森の様子がおかしいことに気づいて、空から見てたんだ。そうしたら、リィルがいたから」
「そ、そうじゃなくて」
「うん?」
「わ、私のこと、嫌いになったんじゃないんですの?」
嫌いなのに、どうして助けてくれたの?
いや、ルイスなら、嫌いでも助けるのかも。そういう人だもの。
腕のなかのふわふわな感触をきゅっと抱きしめる。
ルイスは私を見て、ふしぎそうに首をかしげた。
「どうして?」
「だって……。違法オークションにいたから……」
「そんなこと言ったらお互い様だろ? 俺もあの場にいたよ。リィルが競ってた相手が、俺だよ」
「え……ええ?! そうだったんですの!?」
「うん」
ルイスがおかしそうにクスクスと笑う。
まさか私はルイスの邪魔をしていたのか?!
「まぁ、おどろいたのはたしかだけど。行動力に。まさか、石の場所を突き止めて、闇オークションにくるとは思ってなかったから」
「う……」
ルイスはわからないかもだけれど、下心の悪魔のパワーはすごいのだ。
「だから、うかつに黒い石を探しているなんて言ったことを後悔したよ。子どもの行動力を侮ってた。俺たちのせいだろ? あんな場所に行ったのは」
ルイスたちのせいというより、私の下心のせいというか。
「あのとき……連れて行ったほうがよかったんじゃないかって、ずっと考えてた」
「なんの話ですの?」
「オークションに関わっていた奴らが捕まったと聞いた。リィルの家は商家だろ? ……家がとり潰されたりとか……大丈夫だったか?」
ルイスが言いにくそうに口を動かして、私から気まずそうに視線をそらす。
たしかに、あの場に商家がいたら、海の使族の許可は取り消されるだろうし、家は一気に没落だろう。
「森にいたのは、やっぱり、あれか? 追われているとか……」
ん? もしかして、盛大な勘違いをしている?!
ルイスがジッと私を見下ろす。
「行くところがないなら、いっしょに来るか? 俺たちと」