
「……やぁ、リィル。どういうことだ?」
笑顔を浮かべているが私にはわかる。
とてつもなく、怒っている! 返答次第では雷が落ちる!
「あんなに泣いていたから、てっきり大人しくしていると思ったんだが……。どこへ?」
圧が強い。笑顔の圧が強すぎる。
ぺかーっと放たれる光の圧力の前に、私は屈しかけたが、勇気を奮い立たせる。負けられない。だって、ルイスたちも今戦っているんですもの。
「ち、地上が……」
「地上が?」
うっ。強い。笑顔の裏の般若が牙を剥いている。
「ち、地上が大変なんですの! 生きものが暴走して! 街がめちゃくちゃになっちゃうかもしれなくて!」
私はお兄さまの目を見ないようにして、一息で言い放つ。言った。言い切った!
「ふぅん。それが?」
「……え、そ、それがって。だから、地上が、街の人が」
「それが、僕たちになんの関係がある?」
私は絶句した。
なんの関係がって、だって、地上は、アクアバースは、クラッド家のお膝元で、たくさんの人が、暮らしているのに。
頭の奥で、ブチっと血管が切れる音がした。
「最低。どうしてそんなひどいことが言えるんですの? お兄さまだって、何度も地上に行っているくせに! 悪い人ばかりじゃないって、知っているくせに!」
「リィル、家に帰るんだ」
「触らないで! お兄さまは、なにも見ていない。見ているフリして、最初っから目をつぶっている」
お兄さまから距離をとって、思いっきり吠える。
「地上にいる人は悪い人だって、最初っから決めつけて、自分の目で見たことは、なにも信じていない。いい人がいるって、知っているくせに。お兄さまだって、本当は地上が大好きなくせに!」
「……」
お兄さまはしずかに目を細めた。背後から威圧するようなオーラが噴出している。
「リィル。家に帰りなさい」
「お兄さまの頭でっかち! 最低! 嫌い! うんこ野郎!」
「汚い言葉をどこで覚えてくるんだ」
深いため息をついたお兄さまが、私の手をつかんだ。
「話を聞いていれば、ずいぶんとかってなんですね」
ベオがひょっこり顔をだして、お兄さまにニヒルに笑いかける。お兄さまがベオを見て、目を見開いた。
「白銀の髪に、黄金の瞳……。まさか、アノシシア族か」
「だったらなんです?」
「リィルから離れろ」
お兄さまが殺気をだした。
「ふぅん。あなたは、知っているんですね。この人にだけなにも教えていないのは、やっぱり似ているからですか?」
「口を閉じろ」
「僕たちに牙を剥くんですか。誇り高き海の使族が。すいぶんと、変わってしまったんですね」
お兄さまがぐっと押し黙った。
どういうこと? 知り合い? お兄さまはアノシシア族がなにか知っているの?
「異変が起きているのは普通の地上だけではない、と言えば、話は通じますか?」
「…………」
「僕たちは最初から反対だった。あなたたちの、一方的な決定に」
お兄さまは何も答えなかった。
「ずいぶんと寿命が短くなったそうですね。そんな状態で、これからどうするつもりなんですか。もう、世界は壊れかかってるんですよ」
世界が、壊れかかっている?
私はベオとお兄さまを見比べた。
私に気づいたお兄さまが、殺気をおさめる。
「わかった。詳しい話はまた後日しよう」
「ふぅん。わかりました。そちらの言い分もあるでしょうし、いったん引いてあげます。その代わり、そこをどいてください」
ベオが、黄金の瞳でお兄さまに命令するように言ってのける。
お兄さまは諦めたように息をはいて、軽く肩をすくめて私を見た。
「まったく。お転婆な妹をもつと、兄は苦労するよ」
私はそこそこおしとやかにしているはずだけれど……?
「で、どこに行くつもりだい?」
お兄さまが軽やかに水を蹴って私の後ろに回る。
「パウロのところに。前にお話しした、あの青い石の場所を聞こうと思って」
「先に行って」
「……ついてくるんですの?」
「青い石ってことは、大ダコに襲われたところに行く気だろう?」
言われてみたらそういうことになる。
「僕はリィルの百倍くらい強いからね」
真実なのだが、そんなにハッキリ言わなくても。
私だって、いつかお兄さまくらい強くなる予定だもの。
不貞腐れながら、水を蹴ってパウロの住処に向かった。
パウロが教えてくれた石の場所、お兄さまがわかるというのでパウロには待っててもらうことにした。
パウロはついて来ようとしたのだけれど、お兄さまの「足手まといが増えるなぁ……」というひと言で引き下がった。実の兄ながら空気が凍るような怖さだった。
あとでパウロを慰めに行かないと。
海底を泳いで、見覚えのある場所へとやってくる。
先が赤い海藻があって、その奥に穴があれば、間違いない。私は海藻を手でかき分けた。
「あった! この下!」
穴があった。あのとき見た穴とおんなじ穴。
間違いない。ここで巨大タコに襲われて、石を落としてしまったんだ。
私は一気に潜水した。さいわい、そこまで深くなかったのですぐに底にたどりつく。
「青い石が、あるはずなんですけど……」

底をなめるように見ていくと、緑の海藻とオレンジの花の陰に、濃い青をしたボディが見えた。
「あった! お兄さま! こっち!」
同じように海底を探していたお兄さまを呼ぶと、近づいていくる。ちなみに、ベオは疲れたと言って、ずっと私の背にくっついている。やっぱり、傷が治っていないから無理をしているみたい。
「これが?」
「たぶん。ベオ、これであってますの?」
ベオはかったるそうに石を見てうなずいた。
「そうですよ。まぁ、本当にあるとあんまり思ってなかったんですが、奇跡っていうのはあるものなんですね」
思ってなかったんかい。
心のなかで突っこみつつ、石をポケットに入れる。
はやくルイスたちのところにもどらないと!
海面に向かて泳いでいると、とつぜんお兄さまが私の前に躍り出た。
「お兄さま?」
「しっ。水の流れが変わった」
お兄さまはブローチにしていた海の使族の証を手にとって、力をこめる。
すると、青く輝いた証は、大きな槍に姿を変えた。刃と柄のあいだに、青い宝石がはめこまれている。
もしかして、あの大ダコがいるかもってこと?!
お兄さまの厳しい瞳を見て、私もお兄さまにならって髪飾りを大きな弓に変える。いつでも攻撃できるように、右手に水の矢をつくりだす。
息をひそめて、様子をうかがう。
細い糸が張っているような緊張感。
目玉を動かして、海のなかをあちこち見ていく。変なところは、なさそうだけど……と、気をゆるめたそのとき。
下から足を引っ張られて、海底に引きずりこまれる。
「ひぃ?!」
私の足に、ぶっとい大ダコの腕が絡みついていた。しかも、その腕は黒いまだら模様どころか、ほぼ真っ黒に染まっている。
ルイスたちの言っていた、黒い生きものって、これのこと?!
「リィル!」
すぐにお兄さまが思いっきり槍を投げつけ、続けざまに呪文を唱えて水の刃で大ダコの腕を切断する。
私はその隙になんとかタコの吸盤を外そうと格闘する。切断されているのに、力が強すぎる!
私の背中にくっついていたベオが、やれやれと言いたげにタコ足を引っ張ってくれる。二人がかりでなんとか振りほどくことができた。
お兄さまが私の前に来て、水の壁をつくり出す。
ぐるぐると水が渦を巻いて、私を中心に卵型の水の壁ができた。この壁は、渦の力であらゆる攻撃をはじき返すというウワサだ。私もあんまり見たことはないのだけれど。
お兄さまは投げた槍を呼んで自分の手元に引き戻すと、険しい顔で下にいる巨大タコを見た。
私が見たときは、黒のまだら模様だったのに、今は顔の一部をのぞいて全身が黒く染まっている。どう見ても、普通じゃない。
「……お兄さま」
「……彼は、古くから海の使族とともにこの海を守ってきたクラーケンだ。数千年は生きている長寿の大ダコだよ」
「それが、どうして……」
「長寿だからですよ」
ベオの声が割りこむ。
「あの色を見てください。黒に侵されている。じわじわと蝕まれて、もう意識もほとんど残っていないはずです」
「……」
お兄さまが神妙な顔をして大ダコを見た。
「あなたたちが選んだのは、こういうことなんですよ。いつかは破綻する。そんなこと、とっくに知っていたんじゃないんですか」
そっと、お兄さまの顔をうかがい見る。
お兄さまはなにも答えなかった。
ただ、弔うようにしずかに目を閉じて、そしてゆっくりと目をひらく。
そして、私を水の壁のなかに残すと、お兄さまはひとり前に出て槍を構えた。
「お兄さま!」
「そこにいなさい。弱いと邪魔だからね」
憎まれ口を残してお兄さまは大ダコのほうへと向かっていった。こんなときまでいじわる言わなくていいのに。
むくれていると、ベオの声が届く。
「強いですよ」
「え? そりゃあ、お兄さまは歴代の海の使族のなかでも一二を争うって」
「バカなんですか。タコのほうですよ」
「え……」
自慢をしようと伸びていた鼻がぽっきり折られる。
「これはまだ仮説ですが、あの黒は意識を奪うのと同時に、リミッターも解除するんですよ」
「リミッター?」
「これ以上すると死ぬという防御本能を、強制的に解除するんですよ。だから、通常の何倍も強いはずです」
なんだか急に不安になってきた。
大丈夫だよね? お兄さま。