
水の壁の隙間から、お兄さまと大ダコの様子をうかがう。
お兄さまは善戦していた。海流を操り、大ダコを渦のなかに閉じこめ、槍と水の刃で切り刻む。
「だ、大丈夫みたい」
「どこがですか。あの腕を見てください」
ベオに言われるままに、お兄さまの腕を見る。とくになにもない。
「タコですよ」
「そう言ってくださいな!」
あらためて大ダコの腕を見る。
ん? おかしい。さっきから、お兄さまが腕を切り刻んでいる。はずなのに、腕が八本ある。というより、前にルイスが一本切断していたから、ただでさえ七本のはずでは?
「バカでも気づきましたか?」
ひと言多い。
「どういうことですの?」
「高速で腕が再生してます。こうなったら、最後は体力勝負ですよ」
「再生?! そ、そういえば、タコの腕は何度も生えてくるって……」
じゃあ、ぜんっぜん効いてないってこと?!
「ど、どうしよう!」
「あなた、浄化はできないんですか」
「……浄化って?」
「……海の使族はみんなしているはずです。そのせいで、彼らは寿命をすり減らしているんですから」
どういうこと?
そんな話、聞いたことがない。
もしかして、大人の仲間入りをしてからできるようになることのひとつだろうか。公式に海の加護を授けたり、海の祈りを与えたりと、十三歳を境に公務を行うと聞いた。
「やったことなくても、できるはずです。タコをよく見て。ひたいのところ」
言われるままに、目を凝らして見てみる。
ものすごく集中をすると、ひたい、というより、ひたいの奥。ちょうど真ん中あたりだろうか。そこに、黒い、塊のようなものが、あるようなないような。
「見えたなら、それを射ぬいてください。弓でしょう、あなたの武器は」
「う、うん。わかった。やってみる!」
左手で弓を握りこみ、右手でつくった水の矢をつがえる。そして、水の壁の隙間から狙いを定める。
場所は、頭。タイミングをうかがうけれど、激しく動いているからうまくいかない。
そうこうしているあいだに、お兄さまの腕に巨大なタコ足が絡みついた。
「お兄さま!」
私は焦って、助けようととりあえず矢を放った。
ビュンっと飛んで行った矢は、狙いを大きく外れ、タコの腕に突き刺さった。
「は、はずれちゃった」
もう一本矢をつがえようとしたそのとき、矢が突き刺さったところから、青い光がぶわっと溢れした。目がくらむような強い光。
これ、パウロを助けるときにも起きたやつだ。
眩しくて目を細めて、状況を確認するために目を凝らす。
「リィル!」
お兄さまの声が聞こえたと思ったら、あたりが暗くなった。すぐに、お兄さまの作った水の壁に、なにかがぶち当たった音がした。
「ひぃ?!」
「あ、はずしたから狙われましたね」
「ええええ!? ど、どうしたら」
水の壁にドコドコと腕が叩きつけられている。太鼓みたいだ。
「呑気なこと考えてますよね」
「え! ちゃ、ちゃんとどうしようって、考えてますもの!」
「そんな深刻そうな顔じゃなかったですよ」
うろんな目を向けられて、私は表情を引き締めた。
そして、近づいてきているタコ足に向かって矢を放つ。至近距離で命中して、青い光が炸裂した。これ、眩しすぎてこっちにもダメージが!
目を細めていると、巨大タコが水の渦のなかにとらえられ、ぐんっと奥に引っ張られた。お兄さまだ!
すぐにお兄さまが泳いで近づいてくる。
「リィル! 大丈夫か!?」
「お兄さま! 大丈夫です。この壁があったから」
水の壁様様だ。この壁がなかったら、私は食べられちゃっていたかもしれない。
「お兄さまっ、お願いがあるんですの」
「お願い?」
「あのタコの動き……頭の動きを止めてほしくて」
今は渦のなかにとらえられているから、大ダコはぐるんぐるんと回転している。水車みたいだ。
「動きを止めるか……やってみるよ」
お兄さまはそう言って、力のある海の使族だけが生やせるという、水の翼をつくりだした。
背中かから生えているように見える、青い大きな翼。実際には、体にうすく水をまとい、背中にだけ力を集めて高度を持たせているのだとか。翼はドラゴンの羽根に似ている。この翼は、力が強ければ岩も切り裂けるのだとか。
お兄さまは巨大な翼を生やしたまま海流を生み出し、海を漂う龍に飛び乗るみたいに、海流に乗って高速で移動する。
かっ、かっこいい!
私が大ダコに襲われたとき、パウロがやれと言っていた無茶振りだ。あれはお兄さまだからできるのだ。
「へぇ、すごいですね」
「お兄さまはとっても強いんですの!」
お兄さまはタコの渦を解除すると、海流に乗りながら移動して、タコの足スレスレを泳ぎ回る。捕まってしまうんじゃないかとこっちがヒヤヒヤだ。
お兄さまが近距離で細かく動いているから、タコ足はめちゃくちゃに暴れているけれど、頭は止まっている。
今がチャンスだ!
「頭の黒いところ……」
手が震えて、上手く狙えない。
でも、はやくしないと。
お兄さまも危険だし、ルイスたちも大変なことになっているかも。
あの夢の悲惨な光景が脳裏をよぎって、小さく頭をふる。緊張している心臓を落ちつけるために、何度か深呼吸した。
はやく、地上に行かないと。
その思いをおなかに据えた瞬間、あの、ルイスのものだと思う雫型のネックレスが、私の証と共鳴するみたいに青く光った。胸元で、青い光がふわっと輝いている。
「いったい、なにが……?」
おどろいたのも束の間、スッと、頭に矢を射るタイミングが浮かんだ。水の矢をつがえて、狙いを定め、数字をカウントする。
ビュンっと矢を放った。
私が放った矢は、まっすぐに大ダコの頭に向かっていく。大ダコは少し動いたが、それすらも予測していたみたいに、私の矢は、タコの頭、それも、中心を見事に射貫いていた。
「あたった」
自分でびっくりだ。
放った勢いで、ぐくっとタコの内部に押しこまれた矢は、私の目にもかすかに見えていた黒い塊を貫いた。
その瞬間、さっきの何倍もの青い光が視界をうめつくすように弾けた。目がつぶれる!
手をかざし、目を細めて、なんとか見る。
海域をめちゃくちゃにするほど大暴れしていた大ダコは、とつぜんしずかになった。
暴れるのをやめて、止まっている。足が海を漂うように動いているから、生きてはいるみたいだけれど。
よくよく見てみると、巨大な足先から、細かい泡に変わっていっていた。
「どういうこと……?」
「真っ黒に染まった生きものは、たいてい塵になるんですが、泡ははじめてです」
泡になりかけている大ダコは、安らかな眠りにつくような穏やかな顔をしていた。色も、いつのまにか赤にもどっている。
もしかして、あの大ダコは、ずっと、助けてほしかったのでは、なんて、そんなことを思った。
海の使族なら、黒い苦しみから解放してくれることを、知っていたのかもしれない。
私があの大ダコからギリギリのところで逃げられていたのは、あの大ダコがまだ真っ黒に染まっていなくて、かすかに意識があったからかも、なんて……。
そんなこと、もう、わかりもしないのだけれど。
最後のヒトカケラまで、泡になって、大きなタコは海に帰るように水に溶けて消えていった。
「……お兄さま」
「もう苦しむことはなくなったんだ。そして、海は何度でも生まれ変わる。きっと、またどこかで生まれるよ」
「……そう、ですよね」
海の使族といっしょに、長いあいだ海を守っていたという、巨大なクラーケン。
どうか、安らかな眠りを、としずかに祈りをささげて、私はルイスたちのもとへ行くために水を蹴って海面を目指した。
