
目の前のテーブルにおかれている、平べったい小さな青い箱を見つめる。海のなかに光る貝を閉じこめた感じで、キラキラと細かく光る優美なデザインだ。
箱の大きさは指先くらい。すごく小さいその箱をぱかっとひらけば、オーロラ色に輝く、真珠に似た石が真ん中に埋まっている。
この石こそ、今流行りのどこでも通信機だ。
指先をかざすと、認証者にしか見えない透明なディスプレイが空中に出現する。
この機械で資料を送ったり、文字を送ったり、ホログラムを流したりと、遠くにいても連絡を取りあえるのだ。
しかもこれは、お姉さまが私の誕生日プレゼントにくれた、特別制のオリジナルデザインだ。すっごくかわいい! さすがお姉さま。
石が好きな私のために、キラキラの宝石に似せた小さな四角い箱。箱というより、長方形の宝石だ。
しかも、オシャレなブレスレットとして身につけられるように、横の小さなボタンを押すと、キラキラと反射する細い銀のチェーンが出てくるのだ。かわいすぎる!
この宝石を眺めているだけで幸せな気持ちになれるのだけれど、でもこれは、通信機なのだ。
そう、通信機……連絡手段だ。
通信機を手に入れた、すなわち!
ルイスに連絡ができるっ……の、だけれど……。
通信機のとなりにおかれている紙をじっと見る。丁寧な筆跡で名前と番号が書かれている。
アクアバースで別れる前にルイスがくれた、ルイス直通、個別の連絡先だ。
その紙を手にとって、次にじっと通信機を見る。
今日こそ、今日こそは……。連絡をっ。
ううん、でも、お昼だし、忙しいかも……。
でもでも今日こそ……っ。
紙と通信機を見比べ、心のなかで二人の私が審議しているのを見守っていると、とつぜん部屋の扉がひらいた。
猫のような黄金の目で私を一瞥しながら、堂々と私の部屋に入ってきたのはベオだ。アクアバースで出会った、アノシシア族というふしぎな少年。
「まだ連絡してないんですか」
ベオは小さな両手に、十冊以上の本を抱えていた。
歩くたびに白銀のふわっふわの髪がゆれて、わたあめみたいだ。今日も相変わらず、美少女……じゃなくて美少年。
ベオが言うには、アノシシア族というのは、見るものを魅了してメロメロにする天使のような種族らしい。納得だ。天界の使いのような顔をしている。
そんなふしぎな少年ことベオは、絶賛、私の家に居候中だ。
「もうひと月ですよ。さっさとしないと、忘れられるんじゃないですか」
「うぐっ」
鋭い刃に胸を深くえぐられる。
しかもそれは、私も最近思ってることだった。
忙しいかも、忙しいかも、やっぱり心の準備をって思っていたら、いつの間にか一ヶ月も経ってしまっていたのだ。
今さら連絡して、「だれだっけ?」なんて思われたら、乙女心が悲しみの剣山に落ちてしまう!
ベオは両手いっぱいに抱えていた本を、テーブルの上にドサドサと乱雑においた。
いちおう我が家の資料なのだけれど……。まぁいいか。お兄さまくらいしか読む人いないし。
「というか、もうとっくに、忘れられてるんじゃないですか?」
「ううっ。そ、それは……。で、でもでもっ。ルイスたちはいろんなところを旅しているし、忙しいかもしれないでしょう? だから……タイミングを……」
私は自分に繰り返した言い訳をベオに告げる。
ベオは鼻で笑って、テーブルにおいたうちの一冊を手にとって、本を広げながら、私の向かいのふかふかソファに腰かけた。
「そうやって次こそ、次こそはってやってると、チャンスを逃すんですよ」
真実! 見たくも聞きたくもない真実を突きつけられて、心に致命傷を負う。私は幻の血を口から流しながら話題を変えた。
「お、お兄さまと、話はついたんですの?」
ベオはまた鼻で笑う。眉が寄り、目つきが凶悪になった。どうやら機嫌が悪いようだ。
「あの分からず屋。話になりませんよ。そんな人はいないって、そんなわけないです。ネタは上がってんですから」
交渉は決裂していたか。
ベオはどうやら、海の使族のなかに探している人物がいたらしい。
だから私にくっついてきたのだ。
それなのに、目的の人……アーデル家はいたのだけれど、どうやらベオが探していた人はいないとかなんとか。なんだか複雑らしい。それからベオは不機嫌そうに我が家の資料を読み漁っている。
「手がかりは見つかりそうなんですの?」
「今のところさっぱりですね。あなたは知らないんですよね? アーデル家について」
「ベオは、アーデル家で消えた人がいる、と考えているってことですのよね?」
「そうです。それを隠してるんですよ」
私は十三年のあいだで勉強した知識をあらためて引っ張り出す。
「基本的なことは、いちおう教わっていますのよ? 海の使族には海の御三家と呼ばれる家があって、その三つの家を支える分家のような家柄が三つずつ。クラッド家には、そのアーデル家と、エーテル家とハーディア家」
「それ以外には? アーデル家と顔を合わせてないんですか?」
「顔を合わせるって言っても、みんな忙しそうだからあまり……」
ベオは凍えるような目で私を見た。
そんな目をしなくても! だって、海の使族の集まりくらいでしか顔を合わせないんだもの!
「ベオは、アーデル家の探している人の名前はわかっているんですの?」
ベオはサッと視線をそらした。
まさかと思うが、わかってないな?
私に文句を言えるような立場じゃないじゃないか!
私は一気に気が大きくなり、むっとベオを睨む。
「わからないんですのね?」
「聞いた気はするんですけど、適当に聞いてたので正確には覚えてないです」
このかわいい顔した獣、開き直ったな。
「なんて名前ですの? 名前を聞いたらわかるかも!」
「二人だったのは覚えてます。たしか……し、しえ……」
私は生温かい目でベオを見た。
なんだかんだ、私と似たような記憶力じゃないか。
「その顔、やめてください」
「ベオ、私たちは仲間ですのよ」
「かってに仲間にしないでください。もう一人は、フェザーみたいな名前でした」
本当にまったく覚えてないな。かわいい顔して誤魔化しているが、人のこととやかく言えないぞ。
「顔とかは?」
「さぁ。でも可能性があるなら、青い髪だと思います。それから、青い瞳」
青い髪で、青い瞳。しえかフェザー……。手がかりが少なすぎる。青い髪も青い目も海の使族に多いんだよね。
アーデル家にも、何人かいた気がするけれど、名前は似ていなかった。
「その二人がアーデル家にいたって確証はあるんですの?」
「それはありますよ。僕は、その二人に渡すものがあるんです」
ベオは、そこだけはハッキリと言い切った。黄金の目も真っ直ぐで堂々としている。絶対的な自信があるみたい。
ということは、海にいたはずなのにいなくなった、ってことだろうか。いなくなったとなると、亡くなったとか?
「その二人の年齢はわかりますの?」
「さぁ……。でもあの分からず屋と変わらないくらいだと思いますよ」
「お兄さまと同じくらい……」
お兄さまと同じくらいだと、微妙だ。私とお兄さまは九個離れているし、もしかしたらそのあいだに亡くなってて、私が知らないだけかもしれないもの。
「でも、十年くらい前には海底にいたはずです」
「そうなんですの?」
「はい。だから知らないはずがないんですよ」
ベオの言うことが本当ならたしかに変だ。
十年前というと、お兄さまは十一歳くらいだから覚えているはず。
もし仮に亡くなったのだとしても、それも変。
私の記憶では、お葬式をした覚えはない。ついこのあいだ、私の葬式がひらかれそうになったくらいだ。
となると、おそらく亡くなってはいないと思う。
なら、遠方にいるが一番考えられるけれど、私のバースデーパーティーに、ベオが言うような名前のアーデル家の人はいなかった。
「うーん……。しえ、フェザー……青い髪……」
腕を組んで頭を悩ませて、ふと、ルイスの連絡先が書かれた紙を見て、頭のなかに稲妻が走る。
「……まさか?」
私は立ち上がって、貝殻ベッドに向かった。