目が覚めたら隣にエルクがいた。
混乱した私は、エルクの頬を思いっきり引っぱたいた。
ベッドから落ちたエルクが、昨日のことを話だして、そう言えばそうだった、と納得したのがついさっき。
私が忘れていたことで、エルクは婚約の話を不審に思ったようで、私に誓約書を書かせようとしている。
目の前にグッと紙を突き出され、身を引く。
「私と結婚してもよいと、そう言ったな?」
「まあ、おばば様に認められたなら」
「絶対だ、絶対だぞ。母国の王子に求婚されても、断るのだなっ?」
「そもそも、クリード王子とは全然親しくないもの」
「なら、これにサインをするんだ、アメリア」
興奮したようにまくし立てるエルクに苦笑いをして、サラサラっとサインをする。
「はい、満足した?」
「うむ」
どうやら機嫌は直ったらしい。
ホッと一息ついて、昨日のことを思い返す。
眠かったからたいして考えずに二度寝したけれど、結局、あの魔人は何がしたかったのか。
攻撃してくる気配もなかったし、うーん。
「ねぇエルク。ヘーゼルって知ってる?」
「この世界を創ったとされる神の名前だな」
「……そうなのっ!?」
まさか神様の名前!?
思い出せないけど、もしかしてゲームのプロローグのあのウサギ、神の化身とかっ?
「この国に、木があるのわかるか?」
「このお城からも見える、あの木?」
確かに、やけに大きな木が一本生えている。
けっこう肌寒いのに、緑の葉を付けているちょっと変な木だ。
「この国の民は、スキルカードを持つ。そのスキルカードは、あの木から作られる」
「へえ」
そういえば、前にそんなようなことを言っていたような気もする。
その時はすごいものがあるのね、くらいにしか思っていなかったけれど、それがこの世界の大元の力になっているのなら納得だ。やっぱり、ゲームの主人公にあの力を渡したウサギが、その世界神だったのだろうか。
こうして改めて聞くと、ゲームの中だけどひとつの世界なのねと不思議な気分。
ゲームの裏にこんな物語があったなんて、前世の私は一生知らなかったことだもの。
「あの木は、この世界を創ったヘーゼルが植えたと、そう伝えられている」
この世界でそんな話を聞くのは初めてだけれど、北の大地では有名な神話なのだろうか。
それにしても世界神とは……。
まあ、だからあんなに世界に愛された主人公、なんて押し売り文句が出ていたのね。
魔人なんてものがいるくらいだし、案外本当に世界神とかいるのかもしれない。
まあ、そんなことはあまり興味ないけれど。
神がいようがいまいが、私は自分が生きられるか生きられないかが大事。
「エルク様ーーーっ! 出陣の準備、整いましたっ!」
突然、マルクが扉を開け放ってそう叫んだ。
なんだかデジャヴを感じるわ。ここ、一応は私の部屋だし。いいけどね? 私の部屋だけれど。ノックもないけれど。
でも三度目はないわ。
目の前のエルクが、表情を引き締めて立ち上がる。
「うむ、では参ろう」
◆◆◆◆
冷たい風が、頬をたたく。
夜に紛れたからか、人は少なく、酒場や宿屋にポツポツと明かりが灯っているくらいだ。
黒のマントに付いているフードを深くかぶり直し、石畳の道をなるべく静かに歩く。
私の人生が狂った始まりの土地、ユベール王国。
私は一生涯この地で生きていくのだと思っていた。
この国の民のために生きると、幼いころに誓った。
今となっては、それは意味のないものだけれど。
「懐かしいなぁ、お嬢」
マルクがヒソヒソと囁く。
「この辺りでお嬢と出会ったんですよね」
「そうね。あの時は、まさかマルクに敬語で話される日が来るとは思ってなかったわ」
どこからどう見ても極悪人の顔をしていた。もちろん、今もだけど。
「またまたぁ、俺とお嬢の仲でしょう」
どんな仲よ。
ツッコミは顔に表すだけにして、とりあえず道を急ぐ。
二人分の足音が、かすかに夜の音に紛れる。
「エルクたちも問題ないかしら」
「アルジュがいるから問題ないでしょう」
戦力的バランスを考えて、私たちは二手に別れて街の状態を探ることにした。
全体的な戦闘力がすぐれているアルジュと治癒のエルク。
そして、鎧結界というチートな攻撃が可能な、私とマルク。
エルクの話だと、魔物の臭いが濃いらしい。
この国の王都は、街全体が高い壁に囲われている。だから、門さえ突破されなければ、通常は、魔物が街に入ってくることはない。
だけれども、ゲームのバッドエンドでは門が突破され、壁が破壊され、さらには空からも魔物の軍勢が押し寄せていた。
一応、街全体に結界を張ったけれど、でも何か、見落としているような。
『アォーン』
どこからか、犬の遠吠えが聞こえた。
「なにっ?」
「お嬢、あまり離れないでくださいっ」
とりあえず、私とマルクに結界を張る。
【応用スキル、身体結界を使用しました】
ああ、もう、エルクたち近くにいないと、結界が……っ。
「お嬢っ! アレをっ!」
マルクの厳しい声に、視線を向ける。
「な、うそ……」
ユベール王国王城。
白い壁と、美しい青い屋根がとにかく輝いていたお城が、今は真っ黒の暗黒に包まれていた。