1 追放

 国を守護する役目を担う聖女、リリア・エスカーナは、信じられない思いで椅子に腰かける王太子を見た。

 たった今、リリアは聖女解任を言い渡されたのだ。

「え、と。それは、自由になる、ということでしょうか?」
「おまえの頭は本当に能天気だな」

 王太子は呆れたようにため息をつく。

「おまえが、本物の聖女ではないことがわかった」
「申し訳ございません、殿下。おっしゃる意味がよくわからず……」

 聖女に偽物や本物がいるなんて話、リリアは聞いたことがなかった。
 聖女は聖女として選ばれた瞬間から、死ぬまで聖女だ。神の声を聞いて、人々を癒す。祝福の力を使って国を守護する。
 聖女は世界にたったひとり。

「自分が聖女だと、名乗り出る者がいた」
「どういうことでしょうか……」
「今言った通りだ。本物の聖女を見つけた。シルカ・ロール。おまえも知っているだろう?」
「シルカが?」

 リリアは驚いて目をみはった。

 シルカ・ロール。
 リリアにとっては、馴染みの深い名前だった。
 シルカはリリアにとって親友と呼べる間柄なのだから。

「シルカが、聖女なのですか?」

 リリアは戸惑いながら問いかけた。
 驚きはあったものの、本当にシルカが聖女なのだとしたら、この役目を譲ろうと思った。

 もともと、リリアが望んでなったわけでもないのだ。

「そうだ。聖女選定のとき、おまえとシルカは共にいたそうだな」
「はい、一緒にいました」
「そのとき、魔法陣が地面に浮かび上がった。間違いは?」
「ありません」

 リリアは淡々と答えていく。全部本当のことだった。

 王太子はふぅーと長い息を吐き出すと、射抜くような強い目でリリアを見た。

「本当に選ばれていたのは、シルカだった。それなのにおまえが、自分が聖女だと名乗りあげたそうだな」
「え……?」
「今おまえが持っている聖女の証とされる宝玉は、偽物だろう」

 リリアはとたんに顔を強ばらせた。

「そんな、偽物のはずが……」
「嘘をつくのも大概にしろッ! 七色の石など、どの文献にもなかった!」
「そんな……」
「もともと、変だと思っていたんだ。おまえを見た瞬間からな!」

 リリアはひゅっと息を飲んだ。

「どういう、ことですか……」
「何を企んでいる? 正直に話せ。国の乗っ取りか? 何を命令された?」
「意味が、わかりません」
「嘘をつくなッ!」

 吠えるような怒号に、リリアは身をすくませる。
 何を言われているのか、本当にわからなかった。

「わ、私は何も知りませんっ!」

 悲鳴のような声が口から飛び出た。
 恐怖で指先がカタカタと震えた。いつもは薄いピンクをしている唇も、今は血の気が引いて紫色になっていた。

「埒が明かないな。なら、おまえが本当に聖女だと言うのなら、今すぐここで祝福の力を使ってみせよ」

 リリアは震えながら、左手を首に付けられている宝玉に伸ばし、右手を王太子に向ける。

 だが、どれだけ待っても。
 リリアが何度必死に祈っても。

 何も、起こらなかった。

 神々しい光が出ることもなければ、あたたかな祝福が授けられることもない。
 リリアは呆然と自分の右手を見つめた。何度か握っては開いて、もう一度試してみる。
 けれどもやっぱり、聖女の祝福は起こらない。

 どうして、どうして、どうして。

 そればかりが頭の中を駆け抜けた。焦ってみても、何も変わらないというのに。
 ふと、王太子と目があった。「やっぱり、そうだっただろう」という目をして、王太子はリリアを見ていた。
 失望したような、はじめから期待していなかったかのような目をしていた。

「……殿下」

 リリアはくしゃりと美しい顔を歪めて、か細い声で呟く。

 そんなリリアに向かって、王太子が口を開いた。
 綺麗なバラが、目の前で朽ちていくのが楽しいと言いたげに、その唇は醜く歪んでいた。

「おまえには、失望したよ、リリア」

 突きつけられた言葉に、リリアの心の奥がギシリと軋んだ。

 うまく呼吸ができないほど苦しくて、紫の唇からはくはくと空気が抜けていく。

「人を欺くのは、楽しかったか?」

 リリアはハッとして顔を上げた。

「違います! お待ちくださいっ、殿下! 本当に私は、何も……っ」
「黙れ、この嘘つき女が! 聖女の立場を利用し、国民を欺いた罪は重いぞ! 衛兵! すぐにこの女を追放しろ!」
「殿下……!」

 控えていた兵士たちに後ろから羽交い締めにされるリリアへ、王太子は最後の刃を向ける。

「本当なら、おまえは処刑されるはずだった」

 それは、リリアの居場所はこの国のどこにもないと、そう言っているのと同じだった。

「処刑……」

 リリアはどこか人ごとのように呟いた。
 死んでいたかもしれないというのに、何も思わなかった。

 王太子は生気をなくした目をするリリアを鼻で笑って、餞別だと言いたげに言葉を投げつける。

「シルカの温情だ。本物の聖女は考え方から違う。シルカに感謝することだな」

 自分を憎悪の目で見る王太子が怖かった。いつも、「頑張ってるな、リリア」とそう言って笑っていた王太子はいない。

 どうして、と、心の中で呟いてみても、当然返事はなかった。
 届かない虚しさをかき集めて、何が悪かったのか考えてみるけれど、何も浮かばない。

「おらっ、さっさと動け!」
「や……!」

 腕を乱暴に引かれて、肩が痛む。腕が抜けてしまいそうだ。

 痛みににじむ涙を堪えながら兵士たちを見ると、少しだけ力が緩んだ。それにほっとしながら、リリアはゆっくりと王太子を振り返る。
 目があった瞬間、わずかに眉を揺らし、すぐに連れて行けと顎で扉を示す。

 兵士たちに誘導されるまま、リリアは王太子の部屋を後にした。

 衛兵に両脇を固められながら城の中を進んでいると、前方に見慣れた薄い水色の髪が見えた。

 肩の辺りで切りそろえられた、サラサラの髪。「長いと、邪魔なのよね」と笑って、バッサリ髪を切っていた少女。
 普通とは違うことも、ためらいなくやってしまうシルカのことを、リリアはかっこいいと思っていた。

 リリアとシルカの接点は、リリアが作ったものだった。奇異な目で見られているシルカに近づき、話しかけた。そんなリリアを、シルカは目を丸くしながら見ていた。
 リリアを見ながら儚げな表情をするシルカに、リリアはさらに惹かれた。

 そこからはじまったはずの友情は、どうしてか、今はバラバラに崩れてしまっている。

 ツンと澄ました顔をして歩いて来たシルカは、リリアのことなんてまるで目に入っていないかのように、リリアの横を通り過ぎようとした。

 リリアはカラカラに乾いた口をなんとか動かして、シルカに声をかける。

「シルカ! ねぇシルカ、どういうこと? シルカ、聖女だったの? 言ってくれたらよかったのに……」
「あら。あなた、まだいたの?」
「シルカ……?」

 冷たい、蔑むような瞳で、かつてのリリアの親友は、リリアを見た。そんな目をしているのを、リリアは一度も見たことがなかった。
 悪魔にでも乗り移られたかのような豹変っぷりだ。

「もうあなたの居場所なんて、ココにはないの。さっさと出て行ったら?」
「シルカ、どうしちゃったの? 変だよ。だって、私たち、親友でしょう?」

 シルカは笑う。リリアのことを見下すように。真っ赤な唇で、リリアを祝福する言葉ではなく、地獄に叩き落とすための呪詛を吐く。

「あなたのことを親友なんて思ったこと、一度もないわよ」

 今まで聞いたどんな言葉よりも、それは呪いの言葉に思えた。

 処刑だとそう宣告されたときよりも、リリアの心はギシギシと痛んだ。

 信じていたものに裏切られたのは、はじめての経験だった。

「……っ、な、んで……?」

 溢れ出そうな涙を、必死に堪える。
 シルカはそんなリリアを見て、優雅に口角をあげた。

「どん臭くて、頭も悪くて、お人好しなリリア。私はいつだって、バカなあなたが大嫌いだったの。知らなかった?」

 リリアの口がかすかに開き、ハクハクと口から息が漏れた。

「あんたの顔なんて、もう二度と見たくない」
「……なんで……っ」
「サヨウナラ、嘘つき聖女のリリア」

 ニッコリと笑ったシルカは、ふいとリリアから視線をそらすと、背を向けて歩き出した。まっすぐに伸びた、振り返らない背中を見つめて、リリアは静かに涙を流した。

 大きな紫の瞳がゆらめき、嗚咽が溢れはじめる。

 その場に崩れ落ちて泣くリリアを慰めてくれる人は、どこにもいなかった。

 耳にこびりついて取れない声が、ただただ悲しい。

 ──「リリア。大丈夫。何があっても私が守るわ」

 そうやって、リリアに微笑みかけてくれていたのは、いつだっただろうか。
 リリアの苦手な剣技の授業のときだっただろうか。

 差し出された手を握って、同じだけの歩幅で歩いていたはずだったのに。

 どこですれ違ってしまったのだろう。

 リリアの目から流れ落ちた雫が、輝く床に落ちてキラキラと光るのが、酷く滑稽だった。

 どれだけ泣いたとしても。
 あの日々はもう二度と、帰ってはこないのだ。

 それだけが、リリアの胸を苦しくさせた。

 こうして、聖女になってひと月もせず、リリア・エスカーナは国外追放となった。

 
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