「シルカッ!」
足を押えてうずくまったシルカのそばに、リリアもしゃがみこむ。
撃たれたのは左の太もものようで、みるみるうちに服が真っ赤に染っていく。
「大丈夫。大丈夫よ」
額に皮脂を浮かべ、苦しげに呼吸を浅くしているのに、シルカはそんなことを言う。
リリアはそんなシルカを見て、くちびるを震わせた。
自分のせいだと思った。あの銃弾は、リリアを狙っていたのだ。
リリアは溢れる血を止めようと、傷口を押さえながら必死に祈った。けれども、何も起こらない。
「どうして。かばわないでって、言ったのにっ。どうしてっ!」
「あんただって、いつもするじゃない。どう? 少しは私の気持ち、わかった?」
冷や汗を流しながら、シルカは勝ち誇ったように笑う。
「わかった、けど、でもっ」
頭の中がぐちゃぐちゃで、思った通りの言葉が出てこない。
シルカに傷ついて欲しくない。
リリアがそう思うのと同じようにシルカも思っている。
それはわかるけど、どうしても、リリアは自分の命のほうが軽いような気がしてしまうのだ。
自分に当たればよかった。
自分が死ねばよかった。
シルカが傷つくくらいなら。
「なによ、泣かないでよ。バカねぇ」
「だって、私が、私がっ」
「だから、それが自意識過剰なの」
透明な涙がボロボロとこぼれ落ちていく。
力を貸して。そう何度も祈るのに、聖女の力は応えてくれない。
何が違うのか。
パーティーで力を使ったときと。何が。
やっぱり、リリアは聖女ではなかったのではないか。
嘘つき女とそう罵られたように、リリアは偽物だったのかもしれない。
「リリア・エスカーナ!」
びくりと体を震わせ、リリアは涙を拭くと、シルカを後ろにかばいながら振り返る。
「神はおまえとの婚姻をお望みのようだ」
リリアはぽかんと口をあけた。
意味のわからない驚きで涙も吹っ飛んだ。
「へ、えっ、と?」
聞き間違いだろうか?
混乱するリリアの肩を、後ろにいたシルカがつかむ。
シルカの目は鋭く王太子を睨んでいた。
「シルカ?」
「ダメよ。聞かないで」
「私はあの銃弾をおまえに当てるつもりで撃った。けれども、おまえは生きている」
「は、はぁ……。それがなんでしょう?」
リリアが戸惑いながらそう問いかけると、王太子は顎を上げ、見下したように笑いながらリリアを見る。
「おまえが本当に聖女の力を取り戻したのなら、死罪の罪を、王族に生涯仕えることで帳消しにしてやってもいい。元々、私はおまえと婚姻を結ぶ予定だった」
寝耳に水だと、驚きながらリリアは自分を指さす。
「わ、私と? でも、聖女は生涯独身では……」
身内をつくると平等ではいられなくなるという理由から、聖女は常に独身をつらぬいていた。
「私は王族だぞ? できないことはない。それに、おまえの顔は、好みだ」
シルカが、苦しげに眉根を寄せながら口を開く。
「そのせいで、争いが起きるわ。王族の権利乱用だって。それであんたは、自分がいなくなればいいって、そうやって死ぬのよ」
「……」
死を選ぶ自分が、リリアには簡単に想像できた。
「けれど、一度起きた争いは止まらない。この国はもう、腐っているもの」
リリアはシルカの言葉に耳を傾ける。
前までのリリアなら、腐った国だなんて思わなかったかもしれない。リリアはこの国しか知らなかったから。
けれども、リリアはこの国ではない別の国を知ってしまった。
人々が笑い合い、できないことを咎めるでもなく、助け合っている国。自分たちに誇りを持って生きている人たち。
リリアに微笑みかけてくれた人たちの顔を思い出したら、胸の奥がきゅうっとうずいた。
もう一度会いたいと、そんな欲が湧き上がってくる。
リリアは必死に考える。負傷したシルカも、クヴィスリンも連れて、ここから逃れる方法を。
「リリア・エスカーナ。おまえが私の元に来るならば、そうだな。ここの者たちも助けてやろう」
ビクリと、リリアの肩が揺れる。
「どうだ? 清廉なおまえには、さぞかし魅力的だろう?」
口を歪ませながら、王太子はリリアを見て笑う。
シルカが刺すような目で王太子を睨みながら、リリアの薄い肩をつかむ。
「行かないで。言ったでしょう。争いが起きるわ。私のことを信じてくれるのなら。リリア」
強い、芯の通った声。
嘘をついていないことなんて、リリアにはすぐに分かった。それだけの時間を一緒に過ごしたのだ。
けれども。
他にみんなを助ける方法が、リリアには思い浮かばなかった。
シルカの指先が白くなりはじている。顔色も悪い。血を流しすぎている。
助けたいのに。
今のリリアには、聖女の力は使えない。
約立たずのリリアが、誰かのためにできることなんて、王太子に身を委ねることしか浮かばないのだ。
迷うようにリリアの瞳が揺れる。
それに、心のどこかではやっぱり自分がいなくなるのが一番いいのではないかと、そんなことを思っている。
リリアがいるから争いは起こり、人は死ぬ。
ここにいるシルカたちだって、リリアが巻き込んだようなものだ。
リリアが動けずにいると、王太子は眉を寄せ、目をすがめて血の気が失せているシルカを見た。
「だが、変だな……。おまえは聖女なのだろう? なぜ、力を使わない。まさか……使えないのか?」
王太子の声音が変わった。
「まさか……。おまえたち、また私を謀ったのか?」
「ち、違いますっ」
「黙れ! この嘘つき女がっ! 二度も私を謀った罪は重いぞ!」
怒りに体を震わせた王太子が、血走った目でシルカを睨む。
「おいっ、その女を連れて来い!」
リリアはハッとして、近づいてくる兵からシルカを護ろうと、シルカの体に覆いかぶさった。
けれども、あっさりの引きはがされ、邪魔だと言わんばかりに投げ捨てられる。
地面の上を滑った拍子に、肌が擦れ、血がにじんた。痛みに顔を歪めていると、リリアのほうへ、カランと何かが投げられる。
見ると、それはナイフだった。
「リリア・エスカーナ。そこの短剣で自分を刺せ。自ら死を選ぶことで、その汚い魂を清めよ!」
王太子は動けないシルカの首に、剣を突きつけていた。
「できないと言うのなら、代わりにこの女を殺す」
ニヤリと笑って、軽く剣を引く。シルカの首を、かすかに血が伝っていった。
「わ、私が死んだら、シルカをどうなさるのですか」
「もちろん殺す」
「……っ、なら、できません。助けると約束してください」
「穢れた身の分際で私に楯突くのか」
さらに剣が食いこんだのを見て、リリアは震える手でナイフを手に取った。
そして、ジッと光る刃に映る自分を見つめる。
たくさんの迷いがあったはずなのに、刃を見ているとだんだんと消えていった。
けっきょく、こうするのが一番だったのだと、そんな気さえしてくる。
「シルカを、助けてください。お願いします」
「おまえが死んだら考えてやろう」
「や、約束してくださいっ」
「おまえが遅いから気が削がれた……先にこっちを殺そう」
それを聞いたリリアは慌てる。
「ま、待ってください。わ、分かりました。私が死にます。だから、シルカを……」
「わかったわかった。うるさい女だ。こいつは助けてやる。牢にぶち込むがな」
それを聞いて、リリアはぎゅっとナイフを握る。
シルカの力なら、牢屋に入っていても逃げられると確信があった。
ゆっくりと刃を自分の胸に向けて、ふと、シルカの言葉を思い出す。
「あ、あのね。シルカ。これが最後って、言ってたよね。きっと、こうなる運命だったんだよ。だから、変わらなかった」
「なにをごちゃごちゃ言ってる。さっさとしろ!」
「シルカごめんね。でも、私は、こうするしか思い浮かばないの。たくさん助けてくれてありがとう」
リリアは覚悟を決めた顔でシルカ見る。
シルカは燃えるような怒りの目をしていた。
リリアがギョッと身を引くほどの、すさまじい怒りだった。
シルカの瞳が赤く血に染ったようにチラチラ光って見えた。
「し、シルカ……」
リリアが思わず声をかけたそのとき、
「あーっ、ボス! あそこ、見えましたよ! メガネのオニーサン、案内どうも」
「癪ですが、一度お会いしていたのが役に立ちましたね」
「ははっ。そんなこともあったっすねぇ」
聞き覚えのある陽気な声が響き渡る。
リリアはパッと顔をあげた。空でも飛んできたかのように、リリアの横にふわふわの髪をした男が着地した。
まるで、出会ったときのように。
「って、リリアサン、何してるんすか」
「シーカーさん……」
「なっ、誰だ?!」
突然の乱入者に、王太子は警戒を強める。
サッと状況を確認したシーカーは、空をあおいだ。
すぐに、空からふわりと、人が舞い降りてくる。
黒い髪に、青い瞳。勇ましさを感じさせる、覇気のある顔つき。リリアのすぐ後ろに軽々と着地した。