グレイの執務室のある建物の一角に、客人用の部屋がある。広々としたホールとも言えそうなソコには、壁一面に鏡が付けられていた。
「ボス〜、いいの? この子好きにしちゃって」
「ああ」
「あらそう、じゃあこっち来て? 名前は〜」
「り、リリアです。リリア・エスカーナ」
「リリアチャン。さあ、うんとおめかししましょうね」
ニコリと笑ったマダムに、布で作られた仕切りの中へと連れていかれる。
しばらくすると、何人もの職人のような人たちがやって来た。布地に宝石、髪飾りに化粧品。あまり馴染みのない煌びやかな物が、リリアの周りを囲っていく。
「あ、あの、これはいったい……」
不安げに、リリアは近くにいたナイスバディなマダムに話しかけた。
「あらぁ、ボスから聞いてない?」
「パーティーがあるとだけ……」
「そうそう。ウチは商人の街なのよ。だから、こうやって新作のドレスや宝石なんかも作ってるの」
言いながら、マダムはリリアに何枚もの布地を当てる。
「ウチのはお貴族様にも人気でねぇ。とくに、ボスは毎回見せびらかすために、パーティーには女の子を連れてくのよ。で、興味を示してきた貴族相手に、ウチの新作です、て商売仕掛けるってわけ」
「な、なるほど」
「前の子は嫁いでっちゃったのよねぇ。ボスが振られたって、貴族の間で噂になってたわぁ」
「えぇっ、ボス、失恋しちゃったんですかっ?」
リリアは少しだけ親近感を覚えた。
実際には、リリアは失恋ではなく友情崩壊なのだが、大切な人がいなくなるという点では同じだ。
しかし、マダムは違う違うと首を振る。
「やぁねぇ、ウブなんだから。逆よ、逆。ボスが振られたんじゃなくて、ボスが振ったのよ。貴族は詳しいこと知らないから、憶測で話してるだけよ〜」
「そ、そうなんですか」
「リリアチャンも気をつけなきゃダメよぉ〜? ボスは触ったら火傷する炎みたいな男なんだから。前の子は可哀想なくらい失意のどん底だったわ」
「き、気をつけ、マス」
リリアはこの手の話をどう扱ったらいいのかわからなかった。惚れた腫れたとは無縁だったのだ。
「パーティーって、どんな感じなのでしょうか?」
「そうねぇ。前の子は、ボスの横にくっついて、恋人みたいにしてるって言ってたわよぉ」
「え」
リリアはピシッと固まった。
リリアは恋人たちがどんなふうに振る舞うのか、知らないのだ。リリアが知っているのは、物語の中のものだけ。
自分には荷が重いのではないかと、リリアは不安になった。
そこでふと、気づく。
リリアは物を売るための見本品みたいなものだ。
それなのに、リリアが何か失敗したり、身につけている物が良さそうに見えなかったら、ここの職人たちが丹精込めた物が何ひとつ売れないということになる。
重すぎる責任に、リリアは顔を真っ青にさせた。
「あら、どうしたの?」
「わ、私で大丈夫でしょうか……? き、綺麗に見えなかったら……その、みなさんに、ご迷惑が……」
マダムは目をぱちくりと瞬いて、カラカラと笑う。
「お人形さんみたいだもの。バッチリよ」
「ほ、本当に?」
「あら、じゃあ何か着てみる? ボスにもこんな感じ〜って、見せたいものね」
マダムのその一声で、リリアの周りに目を光らせた職人たちが集まった。
リリアは口の中だけで悲鳴をあげる。
本気になった職人たちというのは、目が炎のように爛々と燃えるらしい。
「ボス〜、ちょっといいかしら」
リリアはマダムがグレイを呼んだことに、肩を弾ませた。大丈夫だろうかと、落ち着かない気持ちで床を見る。
「終わったか?」
「ちょっと試着〜。見て見て」
仕切りの向こうからグレイが顔をのぞかせた。黒い髪が揺れ、青い瞳がふと、リリアを見る。
バチンッと視線がぶつかって、弾けた。
グレイの瞳がわずかに見開かれる。そして、口元に楽しそうな笑みを浮かべた。
そんなグレイを見たリリアは、情けなく眉を下げて視線をさまよわせる。
「ど、どうですか……?」
長い金色の髪は後ろで緩くハーフアップに結ばれている。大きな紫の瞳が際立つように施された化粧は、その瞳を目立たせているからこそ、神秘的で独特の怖さがある。
長い足でリリアの目の前までやってきたグレイは、顎に指を添えて上から下まで舐めるようにリリアを見た。
緊張で体が火照ってくる。
慣れないことをするものではないと、リリアは強く思った。
「上出来だな。黙ってたら生きてんのか不安になるくらいだ」
「パーティーのときはちゃーんと、リリアチャンに合わせたの作るわよぉ。今はちょっとブカブカなの」
「へぇ。そりゃァ楽しみじゃねえか」
リリアはドレスの裾をつまんでみる。
「わ、私、ちゃんと売れそうですか?」
「……その言い方、おまえが売られるみたいだな」
「う、売るんですか?」
「売らねェよ」
即答されたことで、リリアは安堵した。
少しだけ、不安だったのだ。
グレイは、才能のあるやつは、すくい上げると言っていた。なんの才能もないリリアは、いつか放り出されるのではないかと。
少なくとも、今はまだ、大丈夫らしい。
「そうだ、それよりボス。リリアチャンの首の、取れないみたいなのよ〜」
マダムがリリアの首に付けられている聖女の証を指さした。
「あァ? それ、取れねえのか?」
「なーんか、くっついちゃってるみたいなのよねぇ」
交わされる会話にリリアは身を小さくする。
「くっついてる?」
グレイがリリアの首に手を伸ばした。リリアは黙って立ち尽くして、少しだけ顎を上げて首を仰け反らせる。まるで、獣に自ら急所の喉を明け渡す小動物のようだった。
一瞬、ピタリとグレイの手が止まる。
リリアがどうしたのかと思っていると、深いため息が聞こえた。
「……おまえ、それ無意識にやってんなら、とんでもねェ悪女だろ」
「え?」
「オラ、いいから首上げてろ」
リリアは慌てて首を仰け反らせた。
首にヒヤリとした冷たい指先が触れる。反射的に首をすくめそうになった。
そのまま指先が、カリカリと引っ掻くようにリリアの首に付けられているチョーカーとの間に触れる。指先が隙間に入らないかと見てるらしいが、どうにもくすぐったい。
「ぼ、ボス……」
リリアの蚊の鳴くような声に、グレイは顔をしかめ、今度は顔を近づけて首元をのぞきこむ。
リリアの頭の後ろに手を当てて、痛みを感じない程度に優しく髪を後ろへと引いた。
「この七色の、俺たちのと同じか?」
「……へ?」
「耳、付いてんだろ。赤いピアス」
グレイの指先が、己の耳に付けられていた赤い石を示す。
リリアは、はじめてグレイと会ったときに、血のようなピアスを見たことを思い出す。
「そのピアスが、なんですか?」
「ウィング。身体強化ができる石だ。聞いたことないか?」
「……し、知りません。でも、シーカーさんが言ってたような気はします」
人には越えることができないと言われている死の山を飛び越えたときに、シーカーはそんなようなことを言っていた。
「詳しいことはわかっちゃいねェが、扱うには訓練がいる」
「そうなんですね」
リリアは言葉を濁した。あまり、聞かれたくなかったからだ。この石のことを話すとなれば、聖女のことを話さねばならない。
それは、リリアのいた国にとっては国の滅亡にも繋がりうる、危険なことだった。慎重にならなければいけない。
リリアは話題をそらそうと口を開いたが、それはムダな努力に終わる。グレイがカリッとリリアの首元を引っ掻いた。
「おまえのは?」
「……え?」
「それ、どこで手に入れた? リリア」
瞬間、リリアは背中を冷たい汗が伝っていくのを感じた。
獲物を見つけたような、猟奇的な笑みを、グレイは浮かべていた。リリアの喉元を冷たい指先でくすぐるように撫でながら。
まるで、その体を媒介にして、悪魔がリリアに微笑んでいるかのようだった。