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1 不思議使いの奇跡

 雨が過ぎ去ったあとには、不思議の力が輝きを増す。

 そう言ったのは誰だっただろうか。
 村長だったか。
 両親だったか。

 それとも、黄金の瞳を持つ不思議使いだっただろうか──。

偽りの聖女は運命を引く

 ぬかるんだ泥が、土から飛び出した死人の手に見える。
 泥と血にまみれた村娘、エイリー・ファーファイドは、今にも崩れそうなあばら家の前に立ち、オンボロ扉を叩た。
 トントントン、と三度ノックをすると木がギシギシと軋む。しばらくすると扉が開き、温かなオレンジの光が扉の隙間からのぞいた。

「いらっしゃい。って、どうしたっ? 泥だらけじゃないか」

 あばら家の家主である、セス・エリクソン。
 肩につきそうでつかないやや長めの銀糸の髪を、後ろで一括りにして、今は驚きに見開かれている少し気だるげな瞳は、見るものを吸い込むような妖しげな金の輝きを放っている。

 目が合えば、その美貌に誰もが動きを止めてしまいそうなほど、彼は人らしさがなかった。
 精巧に作られた人形のような顔だと、エイリーはいつも思っている。

「ちょっと転んじゃって。雨降るなんてついてないなぁ」
「どう見ても雨の降る雲だろう。怪我は?」

 エイリーはとっさに手を後ろに隠した。
 あまり見られたくなかったからだ。人とは違う手を。

 エイリーは怪我はないと嘘をついて首を振った。さっき転んですりむいたところが、ジンジンと痛んだ。

「手。今隠したな?」
「大丈夫」
「膝も擦りむいてる。ったく、そそっかしいな」

 口調は呆れているようにも感じられるけれど、金の瞳はどうしようもない幼子をみるように緩んでいた。セスはいつだってそうだ。エイリーが転べば呆れて笑い、小さな奇跡をかける。

 後ろに隠した手をつかまれ、少しだけ乱暴に引っ張り出された。

 じっと黄金の瞳に手のひらを見つめられ、エイリーはソワソワと視線を足元に向けた。エイリーの右手の甲には、薄く星型のあざがある。人とは違うそれをあまり見られたくなくて、手を後ろに隠したというのに。

 マジマジとエイリーの手を見たセスは、小さくため息をついた。
 そして、なでるようにエイリーの手のひらを指先で辿ると、不思議の言葉を紡ぐ。

「《セルチェ》」

 甘く優しく、ささやくような音色。

 ぽうっと淡く光って、セスの顔を儚く照らす。

 その夢みたいな光景に見惚れていると、嘘みたいにエイリーの体についていた泥も、傷も、ずぶ濡れの服も、綺麗に元通りになっていた。

「わっ、すごい! ありがとう」
「どういたしまして。ほら、温かい飲み物いれてやるから。入んな」

 うながされて、小さく「おじゃまします」と口にしながら家の中に上がり込む。オンボロあばら家だけれども、家の中は綺麗に整理整頓がされている。というよりも、物がないのだ。
 テーブルとイス。テーブルの上には本がいくつかあるだけだし、見える範囲にあるキッチンの周りには、食器や調理道具があるくらい。
 少し寂しい家だとエイリーはいつも思う。

 二脚しかないイスの片方に腰掛けて、テーブルにぐったりと体を預けながら、キッチンへと歩いていくセスの後ろ姿を見つめる。
 そして、たった今見た、夢のような奇跡を思い浮かべた。

 『《セルチェ》』

 そう、優しくささやくような、不思議な音。

 世界には、長命な不思議の力を持つ者がいると、それがおとぎ話でもなんでもないとエイリーが知ったのは、セスに出会ってからだ。

 エイリーの住む小さな村には、不思議の力使いなんていないし、たまに耳にすることはあっても、どこか遠い国の話のような気がしていた。

 その全てがひっくり返ったのは、エイリーがまだ十もいかない年齢のときだ。セスはふらりとこの村にやって来て、そのまま村外れのあばら家に住み着いた。
 それから五年以上は経ったはずだけれども、セスは何も変わっていない。その美貌も、不思議の力も、包み込むような優しさも。

 不思議の力でどんなことが出来るのか、全てを知るわけではない。
 それでもエイリーは、きっと、不思議の力使いならば、なんでも出来るのだろうと思った。

 怪我を治すことも、濡れた服を乾かすことも、火を出すことも、空を飛ぶことだって、きっと。

「お茶、何がいい?」

 不意にそう声をかけられて、エイリーはぐでっとテーブルに頬をつけたまま、視線を上に向ける。

「あれ、何かいい匂いのするお茶」
「……適当すぎないか?」

 胡乱気な瞳を返されて、エイリーはぼんやりと脳裏に浮かんでいた物を形にするために、記憶の扉を辿る。

「ん、と。花の匂いがしたかなぁ。ピンク色で、なんかふわっとしてて、ちょっと溶けそうな甘さの」
「ああ。セルクティア茶な。あれ、甘すぎて嫌だとか文句言ってなかったか?」
「そうだっけ。でも今日はそんな気分なんだぁ。なんか、舌がいーってなるお茶飲みたいの」

 おどけたように舌を出すと、セスは口元だけをおかしそうに緩めて、戸棚に手を伸ばす。
 透明な瓶に詰められたピンク色の茶葉と、ふたつの揃いのカップ。鍋で湯を沸かそうとしているのを見て、エイリーはその背中に声をかける。

「ねえねえ、あれやって! あれ見たい」
「ん?」
「指振ってお茶いれるやつ」
「好きだなぁ、あれ。そんな見て楽しい?」

 エイリーはパッと顔を輝かせて、大きく頷いた。

「ティーカップたちのダンスを見てるみたいで、すっごく楽しい!」

 セスは小さく笑うと、茶葉の入った瓶も、カップも置いて、人差し指を弾むようにして振るった。
 とたんに、静かに鎮座していたカップたちが、くるくると踊り出すように、ひとりでに動き始めた。
 火にかけていないのに、鍋の水が沸く。
 コポコポと沸騰する音をダンスミュージックにして、宙で踊るポットに茶葉と湯が注がれる。戸棚からティースプーンと、シュガーポットが躍り出て、エイリーの前にソーサーとカップ、ティースプーンが置かれた。
 そうして、イスに座るエイリーよりもずっと高いところから、円を描きながらポットからピンク色の液体が注がれる。
 夢のようで。ドキドキと、ワクワクが詰まった宝石箱を開けてしまったみたいな、ソワソワする気持ちを抱えたまま、エイリーは目の前の不思議の世界に釘付けになる。

「わ、あっ。すごい!」

 最後の一滴が注がれて、エイリーは「すごいすごい」と拍手をした。
 パッと、目の前のイスに腰掛けるセスを見た。

「セス、ありがとう!」
「どういたしまして。あんなのを見て喜ぶの、エイリーくらいだけどな」
「そんなことないよ」

 首を振って否定するけれど、セスは曖昧に笑っただけだった。

「セスはいつもそう言うね。こんなに素敵なのに」

 エイリーもセスの真似をして指先を振るってみる。当然、何も起きない。夢のような奇跡は不思議使いにしか起こせないのだ。それをずるいと思ったことはない。でも、自分にも使えたらどれだけ楽しいだろうかと考えたことはある。
 満天の星空の中飛ぶ。そんな夢みたいな空想をしたりした。

「私にも、セスみたいな力があったらなあ」

 小さく呟くと、セスは微妙な顔をした。

「……そんないいものじゃないよ」
「なんでも出来るのに?」
「なんでも出来るからと言って、なんでも手に入るわけじゃない」

 セスの言葉の意味は、エイリーには少し難しかった。
 なんでも出来るのならなんでも手に入るんじゃないのか。
 そう思っても、セスが寂しげに苦笑いをしていたから。エイリーはそれ以上何も言えずにぐっと言葉を飲み込む。何か上手い言葉を探すけれど、エイリーの中にそれは見つからなかった。

「何か食べるか? お茶だけだと微妙だろ」

 そう言って立ち上がり、背を向けたセスの手を、エイリーは掴もうと手を伸ばす。
 何か言いたかった。それが何なのか、上手く形には出来ないけれど、何かを伝えなくちゃと思った。
 エイリーの指先が、セスの手に触れた。
 瞬間。
 バチン! と、青白い閃光が弾けた。キラキラと光の粒が舞って、振り返ったセスの美貌と相まって一枚の壁画のような美しさだった。
 手に痛みはなかった。ただ、指先が熱くなったような感覚があった。
 驚いて、パッと手を引く。セスを見ると、セスも目をまんまるにしてエイリーを見ていた。

「い、今の、なに? セス何かした?」
「いや、俺は何もしてないよ」
「あれかな。たまに手が当たるとビリって痺れるやつ」
「ああ、静電気な」

 エイリーは自分の手に異常がないか眺めて、あることに気づく。

「あ、れ。あざ、薄くなってる」

 右手の甲にあったあざ。年々濃くなっていたそのあざが、確かに薄くなっていた。今日何かしたかと言えば、転んだくらいだ。そのあと泥にまみれたから、あざがどうだったか覚えていない。
 うんうんとあざが薄れた理由を考えるエイリーの手を、大きな手が掴んだ。そのまま乱暴に引っ張られて、エイリーは少し前のめりになる。

「わっ、なに、セス……」

 顔を上げて、息を飲む。エイリーの手を掴んだセスは、視線をエイリーのあざに向けていた。驚愕の表情を浮かべながら。

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