6/3 中編新作公開しました

2 隠し事

「……セス?」

 そっと声をかけると、セスはハッとしたようにエイリーを見た。金色の瞳が、揺れていた。ろうそくの火のように、その瞳の奥に小さな光を灯らせて。

「ど、どうしたの?」
「いや……なんでもないよ」

 エイリーの手を離したセスは難しい顔をしてイスに座った。食べるものの存在は忘れたようだ。ちょっと期待していたエイリーはチラリとキッチンのほうに視線を向けて、すぐにセスに戻す。
 ぼんやりとカップの中のピンク色のお茶を見つめていたセスは、ゆっくりとティーカップを持ち上げ、カップに口をつけると眉を寄せた。甘いお茶なのを忘れていたようだ。一口飲んだだけでカップを置く。
 エイリーもカップに口をつけ、やっぱり舌の痺れるような甘さにカップを置きながら、舌先を冷ますように出す。

「うっ、あっまい」
「甘いな……」

 セスも同意して、溜息を吐きながら右手で頬杖をついた。

「セス甘いの苦手だよね? どうしてこれ買ったの?」
「エイリーは甘いの好きだろ? 甘いお茶って言ったらこれを勧められたんだよ」
「ふぅん」

 エイリーはカップの中にあるピンク色の液体を眺めた。こんな色をしたお茶をエイリーは見たことがない。いったいどこで買ってきたのか。

「これ、どこに売ってるの?」
「ああ、王、と……」

 言いかけて、セスは口をつぐんだ。

「王都? セス、王都に行ってたの?」

 エイリーは驚いてセスを見た。この村から王都は決して近いとは言えない距離だ。王都直通の馬車もない。セスがどこかに出かけるのはあまり見たことがないが、そういえばどうやって暮らしているのか、エイリーは気になっていた。
 てっきり村の男たちと同じように、狩でもしているのかと思っていたけれど。よくよく考えると、セスは畑も持ってないし、狩りをしてるところも見たことがない。それに、セスは博識だった。読み書きも出来るし、計算も出来る。たまに星を見ていることはエイリーも知っていた。星の動きがどうのと、セスはたまに予言のようなことをするからだ。

「あー……、いや、まあ、たまにな」

 セスは歯切れ悪くそう言うと、テーブルの上に置かれていた本を手にした。

「それよりほら、勉強するんだろ?」
「え、うん……」

 気にはなるけれど、セスはパラパラと本を捲っていて聞かれたくなさそうな雰囲気だ。もとよりエイリーは文字や計算の勉強をするためにセスの家に通っている。
 エイリーは少し視線を上に向けて、当たり障りない会話の中でセスのことを聞き出せないかと考えた。
 もっと知りたいと思う欲は、むくむくと膨れ上がってエイリーの頭の中をいっぱいにする。

「セスはどこで読み書き覚えたの?」
「それなりに長く生きてるからな。自然と覚えただけだよ」

 不思議使いが長生きというのは知っていたけれど、実際にどのくらい長生きしているのか、エイリーは知らなかった。

「どのくらい生きてるの?」
「さあ……。あまり覚えてないけど、数百年くらいは」
「お、おじいちゃん!」

 エイリーは目をまるくしてセスを見た。エイリーとそう変わらないくらいの見た目なのに、この村の長老よりも長生きなんて、世界の不思議はいつだってびっくり箱だ。
 セスは小さく吹き出して、軽く肩を揺すって笑った。

「エイリーから見たらそうかもしれないな」
「そんなに長い間、何して生きてるの?」
「んー? ナイショ」

 明確にはぐらかされたことにエイリーは口を尖らせる。

「俺は長く生きてるから読み書きも覚えたけど、エイリーは無理して覚えなくてもいいんじゃないか?」
「うーん」
「そうすれば、ここに来る必要もないだろ?」

 エイリーは小さく息を飲んだ。
 暗にここに来るなと言われているのかもしれない。セスのことに踏み込みすぎただろうかとエイリーは考える。
 人には誰しも、聞かれたくないことはあるものだ。ただでさえセスは長生きなのだから、それが普通の人よりずっと多いのかもしれない。
 湧き上がる好奇心を押さえつけ、少し反省しながらエイリーは首を振る。

「だって、こんな小さな村じゃ読み書きを教えてくれないから」
「まあな」
「それに。セスと話すのは、楽しい」

 エイリーがそう言うと、セスは驚いたようにエイリーを見た。そして、拒絶ともとれるような曖昧な笑みを浮かべる。

「私が来ると、迷惑?」

 エイリーはおそるおそる尋ねた。
 迷惑と言われたらだいぶショックだ。想像してみるだけで心臓がちぎれそうに痛い。それでも、嫌だと言われたらセスの思いを尊重したかった。

「いや……」

 セスは困ったように眉を下げて笑った。

「迷惑じゃないから、困る」

 エイリーは目を瞬いた。迷惑じゃないならいいじゃないかと。何が困るのか、エイリーにはさっぱりわからなかった。

「エイリーの家族は、読み書きが出来ないんだったか?」
「う、うん。おばさんは出来るから、この間手紙書いたんだ」

 エイリーは手紙の代筆をした時の話をした。いびつな文字で、それでも教わったことを思い出しながら書いた。

「おばさんの住んでるところは、日照りなんだって。季節外れの日照りで困ってるみたい。もしかしたらこっちに来るかもって」
「そうなのか」
「……最近、いろいろおかしいよね」

 エイリーは窓の外を見た。土砂降りの雨は止んでいた。水滴が窓に張り付いて、静かに落ちていく。
 世界各地で異常気象が発生しているというのは、エイリーの住む小さな村にも伝わっていた。竜巻、地震、日照りに、川の氾濫。どこかでは空から七色の光が降ってきたそうだ。

「私たち、どうなっちゃうのかな」

 不安げに呟いたエイリー。
 重苦しい沈黙が落ちた。
 紙を捲る音だけが静かに響く。しばらくして、セスが本を閉じた。

「雨も止んでるし、また降り出さないうちに帰ったほうがいい」

 エイリーはいつの間にか暗くなっていた外を見て、頷く。テーブルに広げられていた本や紙を片付け、帰り支度をして立ち上がる。

「送っていく」

 セスのその言葉に、エイリーはぎょっとして必要ないと首を振った。

「また転ぶんじゃないか?」
「慎重に歩くから大丈夫。それに、もう暗いし」
「暗いから送って行こうとしてるんだろ」

 嬉しいやら困るやらで、エイリーは眉を下げた。
 セスのところに行っていることを、エイリーは両親に秘密にしていた。今日も、黙って来たのだ。

「小さな村だし、大丈夫だよ」
「いや、でもなあ……」

 セスは窓の外を見て、かすかな溜息を吐いた。
 そして、小さく不思議な音をささやく。

「《セルチェ》」

 エイリーの体がほのかに光った。

「何したの?」
「一回くらいなら転んでも大丈夫にした」

 エイリーは苦笑いをした。
 嬉しいやら信用がないやら、複雑な気持ちだ。

「ありがとう、セス。じゃあまた」

 オンボロ扉を開けて外に出る。緩やかな坂を下っていると、ずるりと滑った。そのまま転倒するけれど、どこにも痛みがない。驚いて立ち上がる。傷もないし、泥もついていない。
 反射的に振り返る。セスが扉を開けたまま、苦笑いをしていた。それに大きく手を振って、エイリーは坂を下っていく。たくさんの不思議の奇跡を見て、心がワクワクしていた。踊り出したい気分だ。

 やがて、自宅の目印である木彫りのうさぎが見えて来る。鼻歌を歌いながら、扉を開けたエイリーは、瞬時に表情を凍りつかせた。

「エイリーッ! どこへ行っていた!?」

 楽しい気分を全て吹き飛ばすような、野太い怒号が響いた。

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