3 異変

 家に入ったとたん響き渡った怒号にエイリーは身をすくめる。
 バレないように家を出て来たと思ったが、どうやらそう上手くはいってくれなかったらしい。

「た、ただいま、父さん」

 引きつった顔で、エイリーは扉を閉めた。
 自分とよく似た薄茶の瞳が、機嫌悪そうに眇められているのを見て、エイリーはこの手負いの獣のような父をどう言いくるめるか、必死に考える。

「どこに行っていた?」
「えーと、ちょっと散歩に」
「雨降っていただろう」
「あー、うーん、そうだね」

 考えていたから、深く考えずに適当に相槌を打った。すると、父親の瞳が獲物を捕らえた狼のように細くなった。

「エイリー。どこも濡れてないが、本当に、散歩だったのか?」

 エイリーは飛び上がる思いで自分の服を見た。そういえば、セスが不思議の力を使ってくれたのだ。今のエイリーは、下手をすれば家を出たときよりもピカピカに磨かれている。くたびれていたはずのワンピースも、卸したてのように見えてしまうほど。
 エイリーはジリジリと追い詰められるような嫌な恐怖に飲まれる。言い訳がいくつも頭に浮かんでは消えていった。

「え、と」
「あの男のところじゃないだろうな」

 エイリーの心臓がひゅっと縮まった。あの男というのはセスのことだ。バレている。ごまかす暇などないくらい、筒抜けだろう。それでもエイリーは言葉を探して視線を彷徨わせる。

「エイリー!」
「ち、違うよ。セスじゃない」

 責めるような声に慄き、エイリーはとっさに首を振っていた。そして、嘘をついたことに小さく胸が痛む。
 その罪悪感から逃げるように、エイリーは父の脇をすり抜けた。そんなエイリーの背中に、声がかけられる。冷たい声が。

「何度も言っているだろう。あの男には、関わるな。いいな?」

 エイリーはそれには応えず、黙ったまま自分の部屋に向かった。
 自室の扉を閉めて、ベッドに倒れこむようにして枕に顔を埋めた。

「どうして誰も、わかってくれないの」

 過去に、不思議使いたちによって災いが降り注いだらしい。それから、不思議使いは忌避される存在になったと言われている。
 でもエイリーは、不思議の力は怖くない、優しい力だと思う。
 エイリーと同じように、近くで見たことがあったなら、関わるなだなんて言えないはずだ。だって、セスの力は、いつだって夢みたいな奇跡を呼ぶ。
 くるくる踊るティーカップ。
 薄汚れてしまったエイリーを一瞬で輝かせる。そんな力だ。
 セスはエイリーを傷つけたことは一度もない。
 なのに、よく知りもしないで否定する。

 うつ伏せになったまま、エイリーはぎゅうっと強く布団を握り締めた。
 セスは、エイリーにたくさんの奇跡を見せてくれるのに、エイリーは、セスに何ひとつだって返せやしない。

 ゆっくり体を起こすと、エイリーは窓から外を眺めた。少し離れたところに、セスの家がある丘が見える。その背後には、満天の星空。キラキラとした光の粒が、静かに大地に降り注いでいるのが見えた。

 次の日、目が覚めるとすぐに、エイリーは両親に呼ばれた。

「お使い?!」

 手渡されたお金と、一通の手紙。
 港町にまで届けて欲しいと言う。どうして急にとエイリーは戸惑った。港町まで行って帰って来るとなると往復で一月はかかる。けっこうな長旅だ。

「町長から頼まれてな」
「わ、私に?」
「そうだ。これであの男に会うこともできないだろう」

 父親はおおらかに笑って、エイリーの肩を叩いた。
 やっぱり、バレていたのだ。昨日、雨の中、エイリーがセスのところに行っていたことが。言いつけを守らない娘に対する仕置ということだろうか。
 エイリーは小さく溜息を吐いて、お金と手紙を手にする。

「……行って来る」
「馬車は一日一本しか通らないからな。乗り遅れるなよ」

 エイリーは黙って頷いて、旅支度をするために自分の部屋に戻った。急がなければ乗り遅れてしまう。そうなれば、父親の機嫌がまた悪くなることは目に見えていた。
 簡単に持ち物を整えて、エイリーは走って馬車乗り場に向かう。何とか馬車に乗り込むことが出来て、ほっと息を吐いた。

 何本か馬車を乗換えること数日。
 エイリーは国有数の港町に到着していた。潮の匂いが鼻の奥をくすぐって、少しベタついた風が吹き抜けていく。
 船乗りが多く、活気のある爽やかな街だ。

 田舎者丸出しで忙しなく街の中を見ながら、エイリーは足を進める。ひとまずお使いを終えようとしていた、その時。

「聞いたか? 今起きてる異変、全部不思議使いたちの仕業だって話しだ」

 そんな声が聞こえて、エイリーは足を止める。来た道を少し戻って、露店を見ているフリをして耳をすました。

「でも王宮にも不思議使いは居るんじゃなかったか? 大賢者とか呼ばれていたような」
「どうだかな。本当にいるのかも怪しいもんだ」

 言葉の節々から、嫌悪の色が見え隠れしていた。エイリーは、ただぎゅっと唇を引き結ぶ。知らない人に突っかかってしまわないよう、戒めるように拳を握りしめた。

「不思議使いなら、豪雨も日照りも竜巻も大津波も、なんでも引き起こせるって話だ」
「なんだそれ、人じゃねェ」
「元から人じゃないだろ、アイツらは」

 耳をそばだてながら、エイリーは胸の奥にモヤモヤとした黒いものが広がるのを感じた。

「お嬢ちゃん、何か買うかい?」

 露店のおばあさんに声をかけられて、エイリーは胸にモヤモヤしたものを抱えたまま、キッと露店を見た。

「リンゴ! 一個!」

 エイリーは歩きながらリンゴをそのまま齧る。

(いくら不思議使いだって、天変地異が起こせるはずがない)

 そう考えて、首を捻る。
 本当に、そうだろうか、と。
 セスがどんなことまで出来るのか、エイリーは知らない。それに、世界にいる不思議使いは、セスだけではないのだ。

(帰ったら、セスに聞いてみよう)

 セスは世界の異変について、どこまで知っているのかと。

 お使いをすませ、エイリーは帰りの馬車に乗り込む。お土産にと、星の形をした砂の入った砂時計を買った。セスの瞳の色に似た、金色の砂だ。

 来た時と同じだけの日数をかけ、いくつもの馬車に乗り換え、ようやく村へと向かう馬車に乗った時だった。
 道の途中で、馬車が止まる。

「えっ、どうしたんですか?」

 エイリーは驚き声を上げた。
 エイリーと同じように動揺する乗客たちに、御者の男の声がかけられる。声が震えている。馬車の中からだと顔は見えないが、怯えているようだった。

「竜巻だ!」

 一瞬の、沈黙。
 馬車の中で乗客たちは顔を見合わせ、ゆっくりと意味を噛み砕くと、とたんに馬車の中は騒めいた。
 パニックになる者、いるのかも分からない神に祈る者、泣き出す者、様々だ。
 その中でも、パニックになっていた一人の男が馬車から飛び出した。そして、声を張り上げる。

「スティアラ村のほうだ」

 その声に目を剥いたのはエイリーだった。乗客たちを押しのけて、外に出る。そして、空に伸びるように渦を巻く荒々しい風を見て、息を飲んだ。

「父さん、母さんっ!」

 スティアラ村は、エイリーの住む村だった。
 それが、今まさに巨大な竜巻に襲われている。エイリーは、絶望がヒタヒタと足音を響かせてやって来たのを感じ取った。エイリーの耳元で息を吹きかけ、怪しく笑う。
 人が止めるのも構わず、エイリーは止まってしまった馬車を置いて駆け出した。

 何度も石に躓きそうになりながら、悲鳴を上げる肺にムチを打って、走って、走って、ようやく、村の近くにたどり着く。
 人がいた。何人かの村人たちが避難していたらしい。ほっと息をついて、エイリーは自分の両親の姿を探す。だけれども、どれだけ探しても見つからない。

「父さん、母さん!」

 パニックになっている人の中、声を張り上げながら、何度も何度も探した。

「エイリー!」

 しわがれた声に振り返る。そこには、杖をついて頼りなく歩く、スティアラ村の村長がいた。

「村長! 父さんと母さん知りませんかっ?」

 村長は、黙って視線を竜巻のほうへ向けた。意味を理解して、エイリーは息を飲む。確かに、竜巻はエイリーの家のほうだ。
 すぐに駆け出そうとするが、村長が前に立ち塞がり、エイリーの行動を遮った。

「どいて!」
「落ち着くんじゃ」
「落ち着いてなんて居られるはずないでしょ!」

 エイリーは村人たちが止めるのも構わず、竜巻のある、自分の家のほうへ走り出した。

 強い風が吹き抜ける。簡単に吹き飛ばされてしまいそうな、荒々しい風がエイリーを襲った。足を進めたいのに進めない。風の抵抗が強すぎて、目を開けることも困難だ。
 エイリーは、地面に生えている木にしがみつきながら歩く。その木も、今にも浮き上がって、空へと飛ばされてしまいそうだった。

 エイリーの顔の横を、木の枝がかすめていった。その拍子に、頰に赤い亀裂が入る。家だっただろう木の破片や、石、瓦礫が四方八方から飛んで来る。
 薄目を開けたエイリーの瞳に、木彫りのうさぎが映った。エイリーの家の前にあった置物だ。しかも、うさぎの耳には血の跡があった。
 ひゅっと息を飲む。
 動悸が激しくなり、嫌な予感が止まらない。

(どうして、こんなことに)

 ふと、港町で耳にした噂話を思い出した。
 天変地異は、不思議使いが起こしている、と。
 そんなまさかと思いながらも、エイリーは丘の上に視線を向けた。竜巻の進路から離れていたのか、最後に見た時と変わらないあばら家があった。
 ぎゅっと唇を噛み締め、エイリーは首を振る。

(違う、セスはそんなことしない)

 それでも。この竜巻を止められるのは、セスしかいないのかもしれない。
 木を伝って歩きながら、エイリーは竜巻の中心地までやってくる。とても巨大で、エイリーなんて簡単に吹き飛ばせてしまえるはずなのに、どうしてか、エイリーは立つことが出来た。見た目よりも、ずいぶんと風が弱いのだ。
 木につかまったまま、自分の家があった場所へと視線を向けて、エイリーは息を飲む。

 風に揺らめく、銀色の髪。いつも括っているはずの髪が解けていて、突風になびいている。辛そうに歪められた顔。うっすらと、汗が滲んでいた。
 黄金の瞳を持つ不思議使いは、巨大な竜巻の前に立って両手を突き出し、その進行を食い止めていた。
 そして、そんなセスの後ろには、村人たちがいた。
 怪我をして、不安げに震えている人たちが。そこには、エイリーの両親もいた。
 胸の奥が、ぐぐっと詰まる。息が苦しい。鼻の奥がツンとした。

「せ、セス!」

 大きな声で呼びかけると、黄金の瞳がエイリーを見た。そして、ほっとしたように、泣きそうに、その瞳が緩んだ。

 形のいい唇が、「よかった」と動いたのを見た。

 ああ、そうかとエイリーは思う。
 言っていなかった。馬車に乗り遅れないようにと急いでいたから。セスに、しばらく留守にすると、伝えていなかったのだ。

 胸の奥が、静かに優しく、締め付けられたような気がした。


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