4 光の粒子

 胸の奥が苦しくて、エイリーはなりふり構わずセスに駆け寄ろうとした。
 そんなエイリーを、セスは鋭い目で見つめ、怒号を飛ばす。

「来るな!」

 ピタリと足を止め、エイリーは不安げに瞳を揺らす。行っても何も出来ないことは、わかっていた。それでも何かしたかった。何も出来ないのに。セスの役に立ちたかったのだ。

 枝が宙を舞い、そのままセスの頬を切りつけた。赤い血がかすかに飛ぶ。

 エイリーから見て、セスはひどく疲れているように見えた。肩で息をして、額から汗を流している。顔色も、何だかあまり良くないように見える。

 どうしようと考えて、ふと、エイリーは木につかまらなくても立っていられることに驚いた。自分の周りに物も飛んでこない。さっきまで瓦礫やら木の枝やらが突撃して来ていたはずなのに。
 視線を走らせて、エイリーは気づく。エイリーに触れる直前。そこで、何かに弾かれたように、木の枝も、石も、瓦礫も、風でさえも、向きを変えていた。

(これ、セスの力だ)

 そしてエイリーは、セスの後ろにいる人たちも、同じように瓦礫が弾かれているのに気づく。

「セス!」
「だから、来るなって……!」
「そうじゃなくて、その人たち、避難させるから!」

 セスはエイリーを見て、ふっと口元を緩めると、小さく頷いた。

「任せていいか? 少しの間なら、物を弾くように出来る」

 エイリーは頷く。村人たちも守っていたから、セスはこの場を動けないでいた。村人たちが居なくなれば、多少はマシになるはず。
 エイリーはさっそく村人たちに声をかける。
 だけれど、怯えきった村人たちは立ち上がろうとしない。恐怖に呑まれてしまっていた。ガタガタと震えながら、奥歯を鳴らす。唇の色は紫になってしまっていた。

 エイリーは焦りながら、大丈夫だということを必死に伝える。急がなければと思うのに、エイリーの気持ちなんて見向きもせず、ひたすら首を振る村人たちに。良い歳をした大人たちに。エイリーの中の何かが、プツンと切れた。

「父さん」

 エイリーのドスの利いた声に、呼ばれた父親は肩を震わせた。エイリーはポケットを漁ると、砂時計を取り出し、真っ二つに手折った。
 バキンッと、嫌な音がした。骨が折れたみたいな、背筋が冷える音だ。
 固まる父親の手に、エイリーは無理矢理折った砂時計を押し付ける。港町で買った、あの砂時計だった。

「それ、私に投げて」
「え、ああ」

 エイリーに言われるままに、投げつけられた砂時計。だけれど、エイリーに当たる前に弾かれる。星の形をした金色の砂が、サラサラと舞った。竜巻がすぐそこにあるのに、風に巻き上げられることもなく、砂粒は地面に落ちていく。

「わかったでしょう? 今なら、物は当たらないの。あっちに村長たちがいる。そこに行けば、竜巻は来ない。動けない人は動ける人が手伝って。それでも信じられないのなら」

 エイリーは冷たく目を細めた。

「勝手にここに残ればいい。どうなるかは、知らないけれど」

 ゴクリと、村人たちは唾を飲んだ。小さな村だ。村人たちはみんな、エイリーの性格をよく知っている。そもそも父親は、残忍な顔で何匹もの獲物を取る、狩の天才だ。

 のそのそと動き始めた村人たちの尻を、エイリーは容赦なく叩く。

「早くして! 時間がないの!」

 村人たちが全員立ち上がったのを見て、エイリーはセスを見る。目をまるくして、セスはエイリーを見ていた。エイリーが早く、と捲し立てると、セスはぎこちなく頷いた。
 そして――

「《セルチェ》」

 あの、不思議な音を響かせる。
 ぽうっと、優しい光が村人たち、一人一人を照らす。

「安全なところまで行けるか?」
「大丈夫! 任せて!」

 エイリーは安心させるように笑顔で頷いた。
 突風が吹き抜け、木の枝や葉、瓦礫が舞っている上に、砂煙によって視界は最悪の一言だが、エイリーは先陣を切って村人たちを誘導した。
 やがて、薄茶の視界の中、かすかに人の姿が見えて来る。その人影は大きく手を振って、エイリーたちにその存在を示す。

「村長たちだ!」

 エイリーの一言に、村人たちは表情を緩め、ほっとしたように深く息を吐き出した。

「村長!」
「エイリー! みなも、無事じゃったか」

 村長や、はぐれた家族と出会えた人たちは、とたんにその場に座り込んで涙を流し始めた。だけど、エイリーは泣いてなどいられない。来た道を振り返る。巨大な竜巻は、まだそこにあった。

「村長、あれ、何があったの?」

 エイリーは後ろ手に竜巻を指差しながら、ぐっと小柄な村長に詰め寄った。

「ワシにもわからん。いきなり竜巻が現れたんじゃ」
「どこから?」
「あの森じゃ」

 村長が示したのは、村の近くにある森だった。野生の動物がいて、村では狩の場として、男たちが日々足を踏み入れる場所だ。確かによくよく見ると、森の木はなぎ倒されていて、大蛇でも這ったかのように地面が抉れている。
 そしてふと、エイリーは森の中にキラキラと輝く光の粒子があることに気づく。

「村長、あれ、あれ何?」
「どれじゃ」
「あの光ってるの」

 エイリーは森の中心部を指差した。村長はエイリーの指先を追って、首を捻る。

「何もないぞ」
「え、あるよ。キラキラした、宝石みたいな光の粒」

 エイリーは必死に説明するが、村長は首を傾げるばかり。他の村人たちにも聞いてみたけれど、誰一人として見えると口にする者はいなかった。

(なんだろう、あれ)

 エイリーはその光に、見覚えがあるような気がした。
 じっと睨むように見つめて、記憶を巡らせていくと、パッと頭の中に光が射した。
 満天の星空のときに見える光の粒子に、似ている。キラキラと大地に降り注ぐ、光の宝石たち。
 それに、セスとの間に光が弾けたとき、セスの周りをキラキラ漂っていた光の粒も、あれによく似ていた気がする。

「私、ちょっと行ってくる」

 あの光が何なのか、エイリーは気になって仕方がなかった。適当に地面に落ちていた弓矢を拾い、肩にかけると、そのまま森に向かって走り出した。村長たちの止める声も聞かずに。

 森の中はひどく荒れていた。竜巻が通ったおかげで、木はなぎ倒され、道は削れ、光の粒子までの道のりは拓けているも同然だった。真っ直ぐ、一本道。何もない道を、ただ進み続ければいい。
 そう思っていたけれど、竜巻の通っていない、木の生い茂っている脇道から、突然イノシシか飛び出して来た。何の心構えも出来ていなかったエイリーは、矢をつがえる暇もなく動揺する。けっこうな勢いだ。あれで突撃されたら、相当痛い。
 そう思って、体に力を入れて身構えるけれど、イノシシはエイリーには目もくれずに走り去って行った。

 ほっと息を吐いて、また一本道を歩き始める。と。
 背後の脇道から、木の擦れる音がした。さっき、ものすごい勢いでイノシシが飛び出して来たところだ。無性に、嫌な予感がした。エイリーの米神を、冷や汗が伝っていく。
 後ろから、足音が、聞こえる。なんだかとても大きな、足音が。一歩一歩を踏みしめているのか、それだけ重たいのか、地面から振動が伝わってくるような気がした。

 エイリーは弓に手を伸ばしながら、そっと、振り返った。何もいなければいいと、気のせいだと、心に言い聞かせながら、後ろを見る。
 そして、すぐに息を詰めた。その場に縫い付けられたように一歩も動けなくなる。

 エイリーの倍はありそうな巨大な図体。鋭く伸びた爪。開けられた口からは、牙が見えている。黒い毛だけ見たならかわいいけれども、当然ながら、今はかわいいなどと言える状況ではなかった。
 クマだ。それも、とびきり大きな、大人のクマ。

 エイリーは逃げる算段を必死に考える。下手に攻撃して刺激したくはない。もしもクマが怒り狂ってしまえば、エイリーなんて簡単に食われてしまう。
 見逃してもらえるか、一か八かの賭けになる。
 命の危機に、口の中が乾いた。エイリーは息を殺してその場で動かず、じっと固まった。
 このままどこかに行って欲しいと、心の中で激しく願う。けれども、クマは鼻を揺らすと、ふと、エイリーのほうを見た。
 ドキンッと心臓が飛び上がる。
 来ないでというエイリーの願いも虚しく、巨大なクマは、一歩一歩、確実にエイリーに近づいてきた。目の前に来られると、その迫力は一入ひとしおだ。足がガクガク震えた。クマの顔が近づいてくる。生ぬるい獣の息遣いが、エイリーの命を掌握する。
 このまま食われるのだと、エイリーは覚悟した。
 そして、食われるくらいなら何か抵抗してやろうと、矢に手を伸ばす。目を射ることが出来れば、生き残れる可能性がある。

 クマの動きを慎重に見極めながら、足を後ろに引く。そのまま一気に矢をつがえ、目玉に狙いを定める。
 エイリーの命を賭けた一撃を放とうとしたそのとき、どこからともなく、小さな鳴き声が聞こえた。クマが顔を上げ、その声の主を探す。エイリーはクマが出てきたのとは反対の脇道から、小さな黒い毛が覗いているのに気がついた。そっと弓を下ろして、指先を黒い毛玉のほうに向ける。

「……あっち」

 意思が伝わったのかわからないけれど、クマはエイリーの指先のほうを見ると向きを変え、足音を響かせながら去って行った。

 しばらくその場に立ち尽くし、命の危険が消えたのだとわかると、一気に全身の力が抜けて、その場にヘタリ込んだ。

「クマがこんな浅いところにいるなんて」

 この森のクマは深いところにしかいないと聞いていたのに、見事に裏切られた。
 安心したとたん吹き出た冷や汗を袖で拭い、エイリーは震える足を何度も叩きながら立ち上がる。光の粒子まではあと少し。

 行かなければ。

 木のなぎ倒された一本道を進み、やがて、竜巻の発生場所だからなのか、多くの木が吹き飛ばされて、開けた広場のようになっているところに着いた。
 その中心地に、キラキラと、細かな光の粒が集まっていた。虹色にも、銀色にも、金色にも見える、不思議な光だ。エイリーは、その光にゆっくりと手を伸ばした。指先が震える。ゴクリと唾を飲んだ。
 触れるのを少しだけ躊躇う、神聖な光に見えた。

 エイリーの指先が光に触れたと思った、その瞬間。
 光の粒子は輝きを増すと、エイリーの右手の甲、あざに集まって、そのまま吸い込まれるようにして消えてしまった。
 それと同時に、吹き荒れていた風がピタリと凪いだのを感じて、振り返る。
 さっきまで、エイリーの村を好き勝手荒らしていた風の渦は、ぱったりとその姿を消してしまっていた。

 エイリーは何が起きたのかと、さっきまで光があった場所を見て、次に自分の手を見た。そして、目を見張る。

「あざ、濃くなってる」


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