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7 偽りの優しさと孤独

「なに、聖女って。世界を救うとか、無理だよ。だって、私にはセスみたいな力もない。ただの村娘だよ」

 エイリーは拒絶するように首を振った。

「その手にあるあざが、聖女の証だと聞いています。世界の危機に聖女様が現れ、救ってくださると、王が」

 エイリーはあざの刻まれている右手を後ろに隠した。
 兵士たちから向けられるギラギラとした、すがるような、それでいて期待しているような瞳が恐ろしく、一歩一歩、後ろに下がっていく。
 エイリーはただの村娘だ。不思議の力だって使えない。世界を救うと言うのなら、セスのほうがよっぽど当てはまるんじゃないのか。
 エイリーは、戸惑いながらセスを見た。

 セスの口から、セスの言葉でなら、聞きたいのに、そのセスは口を閉ざしたまま何も言おうとはしてくれない。ただ、地面の一点をじっと見つめている。瞬きもしないその顔は、黙っているからこそ、魂の宿っていない人形のようだ。

「……セスが、私に優しくしてくれてたのは。最初から、全部、わかっていたからなの?」

 エイリーとセスは、散砂のような脆い関係だったのかもしれない。
 気づいたときには、震えるエイリーの唇からはセスを責めるような言葉が零れていた。

「監視の、ためなら、優しくしたほうが、楽だもんね……」

 セスが顔を上げる。黄金の瞳が、戸惑いを滲ませながらエイリーを見た。

「違う、そうじゃない。エイリー……」
「うそ。誰だって、そうするよ。別にセスが悪いわけじゃない。私が。私が勝手に……。仲良なれたって、そう……思って……」

 言葉の先が、吹き消されたろうそくの火のように、静かに消えていく。
 口に出してしまったら、一気に苦しさが募っていった。息が、上手くできない。
 エイリーは胸元を押えながら、無理矢理地上に打ち上げられてしまった魚みたいに、はくはくと息をした。
 だんだんと、目の前が滲んで、見えなくなる。

 これ以上何かを話したら、きっともう、我慢が出来ない。きっと、沢山のひどいことを言ってしまう。
 悪魔の呪いにも似た言葉が頭の中でぶつかりあっていて、今のエイリーはとてもじゃないが平静ではいられなかった。
 エイリーはきゅっと唇を引き結んで、セスから顔を背けた。

「ごめんね、帰る」
「エイリー」
「話は、今度、聞くから。今は帰りたい」

 エイリーは少しずつ後ろに下がり、そしてそのまま、セスたちに背を向けると一気に地面を蹴った。

 セスのエイリーを呼ぶ声が背中に響いて、何も聞きたくないと、両手で強く耳を塞いだ。

 仲良くなれたと、そう思っていた。

 でもそれは、思い上がりだったのかもしれない。人の心は見えない。
 エイリーが文字を知りたいと言ったときに了承してくれたのも、エイリーの傷を治してくれたのも、エイリーのお願いを聞いてカップのダンスを見せてくれたのも、全部、全部。セスの意思とは関係のないものだった。
 そうしたほうが、都合が良かった。きっと、ただ、それだけ。

(バカだなあ……)

 エイリーは笑った。どうしようもない自分を嘲笑うように、皮肉るように。
 走る度に、降り出した雨みたく、小さな小さな雫が目の端から地面へと落ちていく。
 走って走って、エイリーは自分の家を目指す。

(父さんの、言う通りだったのかな……)

 不思議使いは信用出来ない。
 そう言って、何度も何度も、エイリーとセスが関わるのを拒絶した。
 今までは、そんなことないと胸を張って言えたのに、今のエイリーは何を信じたらいいのかわからなかった。

 走って走って、ようやく、自分の家が見えてくる。もうすぐ家に着くとほっと気を抜いたそのとき、追いかけてくる足音が聞こえた。エイリーの名を呼ぶ声も。

(あと少し、で、着くのに)

 家に入りたくて。この場から隠れてしまいたくて手を伸ばした。扉をつかもうとしたエイリーの手が、あと少し届かず、宙を掻く。

「エイリーっ!」

 グッと後ろから手を引かれた。走っていたエイリーは勢いを上手く殺せずに転びそうになる。ひっくり返りそうになったエイリーを、おなかに回ってきた手が強く支えた。セスの手だった。

「……っ、は、悪い、乱暴に、引っ張って……」
「離してっ」

 セスの手を振り払おうと、エイリーは両手両足、なんなら全身を使って暴れる。暴れ馬のようなエイリーを、セスが強く抱き締めた。

「ごめん、エイリー」
「いいよ。もう、何も聞きたくない。セスなんか、大っ嫌い!」

 エイリーが叫ぶように、拒絶するようにそう言うと、おなかに回っていた拘束が、ギュッと強くなった。

「……ごめん」

 覇気のない、か細い声に、エイリーは振り返る。セスは情けなく眉を下げて、ひどく傷ついた顔をしていた。キュッと唇を引き結んで、エイリーを見ている。金色の瞳も不安げに揺れていて、頼りない。
 放り出されてしまった子どもみたいだ。叱られて、どうしようもなく怯えているような。

「ずるいよ……。どうしてセスが、そんな顔するの……」

 自分が、とても悪いことをしてしまった気持ちになる。
 責め立てる言葉はいくらでも浮かんできていたはずなのに、今は何も浮かんでこない。
 荒波のようだった気持ちも、セスの顔を見たら凪いでしまった。
 エイリーは少し目を伏せて、地面を見た。

「セスの仕事って、私を見張ることだったんだよね?」

 小さな声でそう問いかけると、たっぷりと間を置いて、セスは頷いた。

「……そっか」

 義務の優しさに溺れていたのだと思うと、滑稽に思えた。

「ねえ……」
「ん……?」

 エイリーはキュッと唇を噛んで、そのまま乾いた唇を舌で濡らすと、うつむいたまま掻き消えそうな小さな声で尋ねた。

「私と一緒にいて、セスは、ほんの少しだけでも、楽しいって、思ってくれてた?」

 エイリーの監視のために、ただそれだけのためにエイリーに付き合ってくれていたのなら、嫌々エイリーといたのではないか。
 迷惑なのを迷惑と言えずにいたのではないか。
 エイリーがしてきたことは、独りよがりの仲良しごっこだったのではないか。

 見たくない真実が目の前に浮かんでは、エイリーの前で怪しく笑う。そんなことも気づかなかったのかと、悪魔のような顔をしてささやく。

 エイリーを抱きしめているセスの腕の力が強くなった。背中にセスの体温を感じる。頭の後ろに重さを感じた。セスが額をエイリーの頭に押し付けていた。

「……思ってたよ。だから今、どうしようもない自分が腹立たしいんだ」

 セスの言うことは、エイリーにはよくわからなかったけれど。小さく息をついて、肩の力を抜いた。

「そっか。それなら、よかった」

 静かに、エイリーは笑った。
 何がウソでも、何が本当でも。エイリーがセスと一緒にいて楽しいと思った時間だけは、変わることの無い、エイリーだけの気持ちだった。

「話は、明日、ちゃんと聞くから。今日は、帰ってもいい?」
「送ってく」
「いいよ。だって、家、もう目の前だよ」

 エイリーは苦笑いして自分の家を指さした。セスは前に視線を向けて、つられるように苦笑した。

「お城の人たちにも、伝えてくれる?」
「わかった」
「うん、じゃあ……また」

 解けかけていたセスの拘束を解いて、エイリーは背を向けて自分の家の扉を開ける。バタンっと扉を閉めてすぐ、扉を背にしてずるずるとその場にうずくまった。

 いろんなことが起きすぎて、頭の中がぐちゃぐちゃだ。

「世界を救うなんて、出来るはずないよ……」

 エイリーの涙声は、誰も居ない家の中に静かに溶けて消えていった。

 次の日、エイリーは約束通りセスの家に向かっていた。その道すがら、セスの話し声が聞こえて、とっさに近場の家の影に身を隠した。そぉっと、目だけをのぞかせて様子をうかがう。
 セスと村人だった。
 何を話しているのだろうと、エイリーは耳そばだてた。すると。

「殺さないでくれ!」

 悲鳴にも思える声が空をつんざいた。

 エイリーはぎょっとして二人を見た。セスにひたすら頭を下げている村人。今にも地に膝をつけてしまいそうな勢いだ。
 一瞬、エイリーはセスが何かしたのかと思った。けれども、セスの顔を見て、すぐにそれは違うと思い直す。

 セスは、やるせない、悲しそうな顔をして村人を見ていた。

「城のヤツだなんて知らなかったんだ! 悪く言ってすまなかった! この村を取り壊したりしないでくれ!」

 それを聞いたエイリーは苦い顔をした。
 きっと、セスが王都から、それもお城からやって来た不思議使いだと、村中に広まったのだ。そりゃあそうだ。城の使者だと名乗る兵士たちが、セスを敬うように「大賢者様」と、そう呼んでいるのだから。

「言わなかった俺が悪いんです。気にしないで」
「本当だな?! 何か必要な物があれば言ってくれ、何でも用意する!」
「……、何も。必要ありませんよ」

 セスがそう言っても信じきれないのか、仕切りに確認しながら、足を震えさせて村人の男は去っていった。
 エイリーは、なんとも言えない苦い気持ちになる。見てはいけないものを見てしまったような気さえした。

 その場に一人取り残されたセスは、深い溜息をついて、泣きそうに目を細めた。そして、じっと自分の手を見つめていた。
 エイリーは首を引っ込め、建物の壁に背を預けて空を見た。

 傷つかないはずなんてない。
 セスにだって、ちゃんと、心がある。

 エイリーは、セスと一緒に過した時間で、確かにそれを知っていたはずだった。

 みんなと同じでは無い。
 ただそれだけで拒絶される悲しさを、エイリーも知っていた。
 エイリーは自分の右手の甲を見る。こんなもの、無ければよかったのにと、何度も思った。でも、これがあったから、エイリーはあの日、セスと出会えたのだ。
 あの日。
 みんな嫌いだと思って足を抱えていた日、お星様が落ちてきたような、キラキラした人に出会った。銀色の髪がなびいて、少し気だるげな金色の瞳が瞬く。
 エイリーにとって、あの日から、セスは空から落ちてきた星のような存在だった。ただ、そっと、エイリーの話を聞いてくれる。夜空にある星のように、優しく寄り添うように。エイリーはその時間が好きだった。
 小さくため息をついたその時。

「エイリー」

 と、自分の名前が響いて、エイリーの心臓が跳ねた。のぞいていたのがバレたのかと思ったけれど、どうやらそういう訳ではないらしい。
 エイリーは再び、そっとうかがい見るように建物の影からのぞく。

 セスがエイリーの家のあるほうを見ていた。行こうか迷っているのか、悩ましげな表情を浮かべている。そうして悩んでいる間に、また一人、村人がやって来た。セスが目を伏せ、その顔に影を落とす。

 そしてまた、村人はセスに向かって頭を下げたのだ。
 何度、そのやり取りをしたのだろうか。セスの瞳は、村人を見ながらも諦観しているようにも見えた。

 そうして、そのとき初めて、エイリーはセスの抱える孤独の片鱗を、ハッキリとのぞいた気がした。

 もしも。
 エイリーに向けられたあの優しさが、作り物だったとしても。
 セスといて楽しいと思った自分の気持ちは本物だ。星に憧れる、どうしようもない、ちっぽけな人間のように。エイリーはセスに憧れた。

 エイリーはじっと右手の甲にあるあざを見つめると、そっと、その場をあとにした。

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