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16 万能ではない力

 夜を引き裂くような遠吠えが、不気味に森の中に響き渡った。

 いくつもの獣の足音と、息遣いが聞こえる。視線を走らせてみても、何も見えない。光の消えた空間は心細い。死の世界につながる扉の前に立っているような緊張感が全身に絡みつく。
 体を強張らせたまま、エイリーはセスの作った防御壁の中でじっと息を潜めた。

 息が詰まるような沈黙が続く。
 耳を澄まし、神経を張り巡らせる。
 目が暗闇に慣れ始めて、ぼんやりと周囲が認識できるようになったころ、草木をかき分けて、三頭の狼が現れた。長い舌を出して興奮したように息をしながら、獲物を捉えた喜びで濡れる瞳を輝かせる。

 エイリーは背中の弓矢に手を伸ばした。矢を番え、ゆっくりと弦を引き絞ろうとした。それを、セスの右手が制する。

「《セルチェ》」

 セスの魅惑的な声が木霊した。
 興奮したように唸り声を上げていた狼たちは、突然、糸が切れたように、パタンとその場に倒れて動かなくなってしまった。

「えっ!?」
「しぃ。眠らせただけだよ。起きたら困るから静かに」

 エイリーは両手で口をおおって、コクコクと細かくうなずく。

 一瞬で、狼三匹を眠らせるなんて。

 セスがいたら、この世の怖いものなんて何もないかのような万能さだ。あっという間に戻ってきた静寂に、エイリーは息を吐く。
 そしてふと、狼たちの毛に、枯れた枝が絡みついていることに気がついた。

「ねえ、セス。あれ」

 狼のほうを指差すと、セスも気づいたようで片眉を上げる。

「枯れ木か?」
「たぶん。まだ木が枯れる時期じゃないよね。どっちかって言うと生い茂る時期」

 エイリーは真上を見る。暗くてよく見えないけれど、空の光を隠してほどには葉っぱが頭上を覆っていた。

 セスが慎重に眠っている狼に近づく。狼の前に屈み、じっと枝を見つめると、顔を上げて真上を見た。

「エイリー」
「何かわかった?」
「こっち」

 手招きされて、エイリーはセスに近づく。隣に並んだとたんに、セスの手が伸びてきて、ひょいとエイリーを抱きかかえた。片腕に乗せられているような不安定さに、エイリーはギョッとしながら仰け反った。

「わっ、なに!? なになになに!?」

 ふわりと、地面が遠ざかった。違う、浮かんでいるのだ。エイリーを抱きかかえたセスが。

「そ、空、飛べるの!?」
「ちょっとだけなら」
「うそっ、何それ! お、落とさないでねっ」

 すぐに両腕をセスの首に回す。
 地面はどんどん離れていって、ついには木のてっぺんを越えて、満天の星の下に躍り出る。

「う、わ、すっごい……!」

 空との距離が近い。手を伸ばしたら届いてしまいそうだ。
 いつか、満天の星の中を飛びたいと思ったエイリーの夢が、思わぬところで叶ってしまった。

「セス! すごい、空!」

 片手をセスの首に回したまま、エイリーは右人差し指を宝石箱のような星空へと向けた。

「星はまた今度な。それよりエイリー、あっち」

 エイリーを抱きかかえたままのセスは、顎で森の奥を示す。
 エイリーは首だけを後ろに向けて、セスの示す方向を見た。そして、動揺をその瞳に走らせる。

「何、あれ……」
「あれが異変の正体だろうな」

 森の奥。きっと人が立ち入らない深いところ。動物たちの楽園であるだろう場所に生えている木々が、枯れてしまっていた。
 丸く切り取られたように、その場所だけが一面枯れ枝となっていた。葉がひとつもない。

「木が枯れちゃったから、動物たちは居場所を追われて人里に降りてきたのかな?」
「そうだろうな。それにしても一部だけ枯れるって、不気味だな」
「だね……。あそこだけ、お化けの棲家みたい」
「お化けねぇ。まあ、何かしら原因はあるだろう。行ってみてもいいか?」

 異変を調査しに来たのだから、行くしかないことはセスにもわかっているだろうに、エイリーに尋ねるセスの誠実さにエイリーは笑った。

「早く行ってパパッと解決しよう!」

 エイリーは森の奥を指差した。

 見渡すかぎり枯れ枝しかない空間に降り立ったエイリーとセスは、地面に草が一本もないことに驚いた。花も、草もない。干からびた蛇の抜け殻のような木があるだけだ。

「な、なんか、近くで見るともっと不気味だね」

 ぐねぐねと曲がった木の枝が、人の腕に見える。暗い森の中という現実が、そんな幻覚を見せているのだろうけれど。

「エイリー、前に見たという光の粒はないか?」
「あ、そ、そうだった。ちょっと待ってね」

 エイリーはぐるりと周囲を見渡す。見える範囲にはない。歩きながら光の粒子を探していく。
 降り立ったところからさらに奥に進んだ場所。丸く円状に枯れ木が手を広げている空間の、中心地。
 空から降りて来たように、細かい光の粒子がキラキラと輝いていた。

「あった」

 エイリーは、七色に煌めく光の粒の前で足を止める。隣にセスが立った。セスは四方八方へと視線を投げかけて、眉間を寄せる。

「悪い、どの辺りにある?」
「目の前だよ。セスにも見えない?」

 セスは顔を正面に向けて、じっと黙って前を見つめた。しばらくして、細く長い息を吐き出す。

「俺にも見えないな……。エイリー、右手見せて」
「え? うん」

 セスに右手を差し出す。セスは舐めるようにエイリーの右手の甲を見たあと、再び正面を向いた。

「前は触ったら消えたんだったか?」
「うん。触ってみる?」
「……、そうだな。体に異常とかもなかったんだよな?」
「うん」
「わかった。触れてみて」

 エイリーはうなずいて光の粒子に手を伸ばした。見惚れてしまうような光の輝き。空の星が転げ落ちて来てしまったみたいな美しさ。
 そっと、光に触れたと思った瞬間、たくさんの光の粒たちはエイリーの手の甲に吸い込まれるようにして消えてしまった。

「やっぱり、消えちゃった」

 エイリーは左隣にいるセスを見上げた。
 セスはエイリーの右手をそっととって、視線を走らせると、真顔になった。どうしたのかとエイリーも自分の手を見て、「あ」と声を漏らす。

「あざ、濃くなった?」

 エイリーの右手の甲にあった星型のあざが、濃く、はっきりとした黒に変わっていた。

「……濃く、なってるな。さっき見たから間違いない」
「なんでだろう。あの光、聖女と関係があるのかな?」

 エイリーは問いかけたつもりだったけれど、セスから返答はなかった。黙って、難しい顔をして宙を見ている。
 しばらくそっとしておこうと、エイリーは肩をすくめて周囲を見た。そして、すぐにセスの服の裾を軽く引く。

「セス」
「ん? どうした?」
「森、枯れたままだよ。やっぱりあの光は関係なかったのかな?」

 セスもぐるりと森を見回して、さっきよりも難しい顔をした。

「この森、何とかできない?」
「うーん……」

 考え込んでいるセスの横で、エイリーも考える。空を飛んだり、光を出すことができるのなら、森を元に戻すこともできるのではないかと、エイリーは思う。だけど、具体的に何をしたらいいのかわからない。木を伸ばすのか、成長を早めるのか。
 じっと地面を睨んでいると、ふと、持っていたカバンの端に、くるりと巻き付けられている白い花が目に入った。ここに来る前に、セスからもらった小さな花だ。エイリーは閃く。

「ねえ、セス。時を止めることができるなら、戻すこともできる?」

 セスはふとエイリーを見て、次に枯れ木を見て、首をひねった。

「……やったことないな。現象じゃなくて物体なら、できるか?」

 セスはそう言って枯れ木に歩み寄ると、一本の木に手を添えた。

「《セルチェ》」

 あの、不思議な音が小さく響く。
 ふわりと淡い光が木を包んで、吸い込まれるようにして消えていく。さっきまで死人の手のようだった木は、時間を巻き戻したみたいに、枝いっぱいに葉をつけた。

「わっ、すごい!」

 エイリーは感動して手を叩いた。セスに駆け寄って笑顔を向けるが、セスは肩で息をして額から流れる汗を拭っていた。

「セス? どうしたの?」
「これ、けっこうきついな……」
「だ、大丈夫? どうしたの?」
「ん……ちょっと力を使いすぎた」

 木に背を預け、ずるずると座り込んでしまったセスを見て、エイリーは息を飲む。

 不思議の力は万能ではないと、確かにセスは言っていた。
 使いすぎると疲れるとも。

 セスはここに来る前にも、たくさんの力を使っている。光を出したり、防御壁を張ったり、眠らせたり空を飛んだり。疲れているそぶりなんて全然なかったから、エイリーはセスが限界になるまで気づかなかった。

「ご、ごめんなさい、無理させて。大丈夫? どうしよう。何したらいい?」

 エイリーはセスの横にしゃがみ込んで、ポケットからハンカチを取り出すと、そっとセスの額から流れる汗を拭った。

「木は、また今度にしよう? 一旦、帰って──」

 そのとき、エイリーの言葉を遮って、夜の闇を搔き消すような遠吠えが響き渡った。

 そして、すぐ後ろから、地を蹴るような、足音も。

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