言えない、言えない、お互い様

 



 
 
 
 
 
 
 
 
 いつもよりも少し遠回りをして帰ろうと、普段通らない細くて暗い道を歩いていると、道の端にうずくまっている怪我をした子犬を見つけた。

 首輪をつけていたから飼い犬だと思う。
 迷子にでもなったのかもしれない。
 体はやせ細って、足にある怪我のせいで歩けもしないのだろう。
 この場所を死に場所と決めたかのように、犬はただじっとしていた。

 何もかもを諦めてしまったようなその姿が、なんだか少し、自分と重なった。

 だからちょっとした、気の迷い。

 
「……おいで」
 

 しゃがんで、声をかける。

 
「キミだよ、キミ」
 

 人差し指で子犬を示す。

 
「そこにうずくまってる……えーと、名前は……」
 

 すっかり汚れていたけれど、その犬はまるで靴下を履いたみたいに、足の先だけ毛の色が違った。
 

「ソックス」
 

 ピクリと、子犬が顔をあげた。

 
「決まりだね。私とおいで。ソックス」
 
 

 子犬を抱き抱えて家まで連れて帰る。
 待つ人のいない家では、子犬を連れてこようが、子猫を連れてこようが、文句を言う人はいない。
 

 動物のことなんて詳しくわからないから、ネットで必死に調べて必要なものをそろえた。
 体をキレイに洗うと、ソックスは見違えるように美しくなった。白と茶色の毛が、ツヤツヤと輝く。触り心地も良いし、大事にされていたのかもしれない。

 
「キミの飼い主さんも見つけてあげるからね。今の時代はネットが優秀なんだよ」
 

 キレイになったソックスの写真を撮って、迷子犬として拡散した。

 
「きっと見つかるよ。本当の飼い主」
 

 次の日、足の怪我を治療するために、ソックスを動物病院に連れて行った。
 さいわい、軽い怪我だったらしく、後遺症もなく一週間ほどで完治すると言われた。

 
「よかったね、ソックス」
 

 ソックスは何も答えてはくれないけれど、尻尾を左右に振って密かに返答をしてくれる。

 家に戻って、寝てばかりのソックスを横目に、ごはんの準備をしていると、スマホに通知がきた。

 ソックスの飼い主と名乗る男からだった。

 
『はじめまして。では、この子の首輪の色を教えてください』
 

 そう返信して、スマホを置く。

 数分後、また通知がくる。

 
『首輪の色は忘れてしまいました。でも、その犬は俺のです。いつ会えますか?』
 

 無表情に画面を見つめる。

 
「…………ふーん?」
 

 スマホを手にして、返信を打つ。

 
『では、あなたのお名前、年齢、住所と顔がわかる写真をお送りください』
 

 数分後、きた内容はこんな感じだった。

 
『なぜそんなものが必要なんですか』
 

 その文を見て、私はポイとスマホを放り出した。

 寝ているソックスの前にしゃがみこんで、優しく小さな体をなでる。

 
「首輪の色、知らないんだって」
 

 ソックスがうっすらと目を開けて私を見た。

 
「こんなに毛並みもキレイで、大事にされてるのに」
 

 ソックスの拡散写真は、首輪を外して撮った。

 
 しばらくすると、またスマホが鳴った。
 見ると、ソックスの飼い主だと名乗る別の男だった。

 
「ソックス、見てー? ソックスの飼い主さん、たくさんいるよ」
 

 同じようなやり取りを何人かと繰り返す。

 
『首輪はしてなかったはずですが』

『住んでいる場所は東京です』

『首輪はたしか茶色だったかと』
 

 どれもこれも、適当なことばかり。
 スマホを置いて、ベッドにダイブする。

 
「世の中、ウソばっかり」
 

 ベッドの上で微睡んでいると、ベッドが少し沈んで、何かがのそのそと歩く気配がした。
 片目をあけて見ると、ずっとうずくまっていたソックスが足をかばいながらもベッドの上を歩いていた。
 それが可愛いくて、ソックスに向かって手を伸ばす。

 
「なーに? 一緒に寝る?」
 

 ソックスは私の横にうずくまった。
 小さく笑って、ふわふわな毛に顔を埋めて目を閉じる。

 
「おやすみ」
 
 

 ふと目が覚めたときには、日が沈み、部屋が暗くなりはじめていた。

 
「ん……けっこう寝ちゃった……」
 

 横を見ると、まだソックスがすやすやと寝ていた。

 
「見つけてあげるからね」
 

 頭をひとなでして、放ったらかしにしていたスマホを手にする。またいくつか通知がきていた。
 とりあえず簡単に流し読みして、ひとつの文面に手が止まる。

 
『はじめまして。うちのソックスを保護していただきありがとうございます。その子犬の飼い主です』
 

 という文章からはじまっていた。

 
『おそらくソックスだと思いますが、一応特徴を記述するのでご確認いただければと思います。探しているソックスは、まだ一歳にもなっていない子犬です。白と茶の毛色で、足の先が綺麗に白になっています』
 

 丸まって寝るのが好きだとか、いなくなってしまった時の状況が詳しく書かれていた。

 少し迷って、

『首輪の色、何色ですか?』

 とだけ返信した。

 
『赤です。レッドソックスというのをご存知ですか? ソックスという名前にちなんで、せっかくだからと首輪を赤にしました』
 

 思いもよらない返信に小さく笑う。
 なるほど、首輪の色にはそんな意味があったのか。

 何度かやり取りを交わし、最後に送られてきた写真を見て、寝ているソックスを揺すって起こす。

 
「本当の飼い主、見つかったかもしれないよ。見覚えある?」
 

 写真を見せると、ソックスは「ワンっ」と一度だけ吠えた。尻尾がブンブン揺れている。

 それを見て、また返信をする。
 自分の情報と、近くの駅まで来れますか? と添えて。
 
 
 
 三日後、私はソックスを連れて駅に立っていた。
 写真を見てるからわかると思うけれど、それらしき人はまだ来ない。
 と、思っていると。

 
「あの、みなとさんですか?」
 

 真横から声をかけられて、顔を上げる。

 
「あ……ソックスの飼い主さん、ですか?」
「はい。改めて、松本真司まつもとしんじと言います」
 

 涼し気な黒髪と、優しげな目元。けっこうな爽やかイケメンだ。服装も相まって、写真で見たよりもずっと大人びて見えた。

 
「私は、湊一花みなとひとかです」
 

 軽く頭を下げて、抱えているソックスを見る。
 うれしそうに尻尾をブンブン振って、本当の飼い主さんである松本さんに前足を伸ばしていた。

 なんだかちょっぴり、寂しいかもしれない。

 小さく苦笑をして、抱いていたソックスを松本さんに手渡す。

 
「はー、よかった。このばか、探したんだぞー」
「ワンっ」
 

 ソックス、あんなに元気に鳴くんだ。
 やっぱり本当の飼い主には敵わないや。

 私は一時だけの、仮初の飼い主。

 
「あ、では私はこれで。ソックス、じゃあね」
 

 頭を下げて、背を向ける、と。

 
「あ、待ってくださ……」
「ヴーーー」
 

 松本さんの声と、ソックスの唸り声。
 ソックスのそんな声ははじめて聞いたから、驚いて振り返る。
 松本さんも、困ったようにソックスを見下ろしていた。

 
「おい、どうしたんだ」
「ヴーーー」
「帰って欲しくないって?」
「ワンっ」
「わかってるよ」
 

 ……すごい。
 まるで、本当に会話してるみたいだ。
 犬と人なのに。

 呆然とやり取りを見ていると、顔を上げた松本さんが私に気づいて苦笑した。

 
「すみません。あの、まだお時間ありますか? お礼もしたいのですが……」
「あ、いえ。そういうのは、大丈夫です」
 

 キッパリ断ると、松本さんは困ったように眉根を寄せた。

 
「あーー、うーーん……ちょっと卑怯だとは思うんですが……ソックスも、まだあなたといたいみたいなんです」
 

 私はソックスを見た。
 同意するように尻尾がブンブン揺れている。
 かわいい。

 
「もう少しだけ、お時間いただけませんか?」
 

 そう言って、少し困ったように微笑む松本さんが、なんだか犬みたいに見えて。
 飼い主に似るって本当なんだな、と思いながらも、私はうなずいていた。
 
 
 
 
 
――――
 
 
 
 家でポチポチとスマホをいじっていると、メッセージがくる。すぐにメッセージアプリを開いて内容を確認すると、私は壁にかけられているカレンダーを見た。

 
 そっか、明日は――
 

 かわいいかわいいソックスと出会って、一年だ。
 
 
 
 次の日は朝から出かけた。
 家の前には、黒い車と、その前に立つちょっと大きくなった犬と、出会ったときとあまり変わらない松本さんの姿。
 私を見ると、くしゃりと目尻を下げて笑って、車の助手席を開けてくれる。
 失礼しますと、一言、車に乗り込んだ。
 そして、ソックスが割り込むように助手席に上がってくる。

 
「ワンっ」
「そんなに久しぶりでもないのに。甘え坊だなぁ」
 

 尻尾がブンブン。
 顔をべろべろ舐められそうになって、それはさすがに拒否した。

 すぐに運転席側が開いて、松本さんが車に乗る。

 
「うちでいいですか?」
「いいですよ。ソックスが行けるところ、あまりありませんし」
「……そうですね」
 

 チラリと、松本さんが一瞬視線をよこす。
 なんだろうと思っている間に、車は発進した。

 
「一花さんって、猫みたいですよね」
「え……」
「ソックスの受け取りの時も、かなり念入りでしたから」
「変な人に連れて行かれては困るので」
「そうですね。本当に、警戒心強くてよかったです」
 

 クスクスと笑う顔に、胸の奥がぎゅっとなって、次にザワザワした。
 この気持ちの正体には、気づいている。

 私は、たぶんこの人、松本さんが好きだ。
 やわらかい笑顔も、真っ直ぐな人柄も、全部、私にはないもの。
 この人といると、見る景色が変わる。

 人生も悪くないな、って、そう思える。

 
 でも、松本さんと私の、飼い主とその犬を助けた人、というこの微妙な関係は薄っぺらくて、壊れやすい。友達かって言うと、どうなのだろうと首をかしげてしまうようなものだし。

 それに、失恋して、ソックスに会えなくなるのはイヤだ……。

 モフモフの体に顔を埋める。
 
 また、次でいいよね?
 また今度、今度伝えるから。
 
 チラリと横を盗み見ると、松本さんと目が合って、心臓が大きく飛びあがった。

 それを隠すために、ソックスをギューッと抱きしめる。

 
「ワフッ」
「ん? なーに?」
 

 ソックスが、グリグリと鼻先を私に押し付けてくる。
 すると、ピリリリと、着信音。
 聞き慣れてしまった、松本さんのスマホの音だ。

 
「はい、もしもし」
 

 ドキドキしながらソックスを抱きしめ、聞き耳を立てる。

 
「今日は、人が来るから。……うん、うん……っ、うるさいな、わかってる」
『し……は、……もの……ふふ』
「あのな……」
 

 また、女の人の声だ。

 かすかに漏れる声は、もう何度も耳にしたもの。上品そうな女の人の声。
 連絡、頻繁にとっているんだ。

 しかも……。

 チラッと松本さんの方を見ると、同じタイミングで松本さんも私の方を見て、視線が、合わさる。

 ドキッとして、すぐにソックスの体に顔を埋めてごまかした。

 聞き耳立ててたの、バレバレ、だろうな。

 
「悪いけど、今運転中だから」
 

 そんな声が聞こえて、すぐに車内がしんっとする。

 き、気まずい……。

 
「すみません、一花さん」
「え、あ、いえ……何がですか」
「うるさかったですよね」
「い、いえ、大丈夫、です……」
 
 
 大丈夫じゃ、ない。

 本当は、誰と話しているのか気になって気になって……。それに。
 
 私にするのとは違う、話し方。
 本当の松本さんは、ああいう話し方をするらしい。
 
 あの電話を聞く度に、私と松本さんの間にある距離を実感して……胸の奥が、ツキツキと痛む。

 誰なんだろう。
 彼女とか、いるのだろうか。

 
「もう着きますよ」
 

 その声に、ハッとして顔を上げる。
 大きなマンションにも、もう慣れたけれど。
 よく考えたら、私は松本さんのこと、何も知らない。

 車を停めたら、松本さんの自宅がある13階までエレベーターで昇っていく。
 
 何をされてるんですか?
 あの女の人は誰ですか?
 彼女いますか?
 
 
 ……好きです。
 
 
 
「どうぞ」
「おじゃまします」
 
 
 
 結局今日も、何も言えないまま。

言えない、言えない、お互い様

「おまえなー、一花さんに甘えすぎだぞこら」
「ワンっ!」
「おまえのじゃないだろー。でもほんと、猫みたいでかわいいよな」
「ワンワンワンワンっ」
「……っ、次は、ちゃんと言うって」
「ワフゥー」
「……ヘタレ言うなよ……」

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