1 はじめまして、壊れた世界

 物心ついたころから不思議な感覚があった。

 ふとしたときに、見覚えがあるような。なんとなく、知っているような。
 小骨が喉を突っついてくるような、小さな違和感。

 お兄さまに言ったら、一瞬真顔になって、「なんだろうね?」とあしらわれた。

 そうしているうちに、今度は不思議な夢を見るようになった。
 妙にリアルで、起きてからも覚えている夢。起きてすぐはどっちが現実かわからなくなる夢。

 夢の中で私はいつも本を読んでいた。
 文字と絵が描かれた本。主人公は男の子。空飛ぶ船に乗って世界中を冒険して、困っている人を助けていく。
 夢とロマンに溢れたドキドキの世界!

 それは、十歳になるまで地上へは行けない私の、ちょっとした楽しみになった。

「リィル様、また変な夢見たの?」

 一緒に海底を泳いでいる魚のパウロが、胡乱気に見つめてくる。

「不思議な夢!」

 きっちり訂正しながら、私はパウロの自慢のオレンジのヒレを指先で突っついた。

「すーっごくリアルなんですの。今日は平べったい箱……えーっと。すま、ほ? ていうのを触っててね、ぽんって触れるといろんなものが見れるの」
「いろんなもの?」
「映像とか、絵とか?」

 思い出せる範囲でパウロに説明していく。
 動く絵がすごく楽しかった話とか、聞いたことのない音楽を聴いた話とか。

 そういえば、形は違ったけれど、一部で普及しだしている貝殻型の通信機に似ていたかも?

「立体映像?」
「平面映像」
「遅れてない?」
「夢ですもの」

 しょせんは夢だ。ケチをつけたってしかたがない。

「ふーん。リィル様が今日はすっごい話があるって、キラッキラしながら飛び込んできたから期待してたのに。リィル様のすごい話って、いっつも夢。同じ話ばーっかり」

 真実のつるぎでさっくりと斬られる。
 つまらない人というレッテルが顔の前でたなびいた。
 致命傷を負いながらも、私は必死に反撃を繰り出す。

「でもでも、今日はちょっと違ったんですの!」
「そう~?」
「いつもは絵を眺めているんですの。絵というか、本?」

 パウロは「ああ」という顔をして、興味をなくした。
 私の必死の説明も右から左へ流れていく。パウロの相槌は適当だ。それでも私は信頼を取り戻すため一生懸命話した。

「それでね、パウロ」
「まぁまぁ、リィル様。今日はボクも大ニュースがあるんだよね。そんな夢よりも、ぜーったいリィル様喜ぶよ!」

 パウロは「ふふん」と自慢げにおなかのあたりをそらす。
 そしてぐんっと泳ぐスピードを上げた。

「もう、パウロ! 待って!」

 私も海を蹴って泳ぐ速度を上げる。
 長いくるくるの薄茶の髪が海に溶けて混ざり合う。
 今日も海底を照らす白い花たちが、懸命に魚や貝たちをキラキラと輝かせていた。

「リィル様~! こっちこっち!」

 深く潜り、パウロの声がするほうへと向かう。
 パウロは海藻に埋もれていた。手で海藻をかき分けると、岩と岩が重なり合った場所に小魚なら入れる穴があった。

「ここ?」
「そう! ここにすーーんごいお宝が!」

 『お宝』
 こんなにも短い言葉で、こんなにも心はずむ言葉があるだろうか?

「お、お宝って、どんなのですの?」

 興奮で声が上ずる。
 パウロはくいっと横穴を示した。私もそっと視線を動かす。
 手を入れろってことか……。

「変なもじゃもじゃしたのとか、いない?」
「前はいなかったよ」
「今は?」
「も~、リィル様意気地なしだなぁ」

 言葉の刃がぐさりと刺さる。

「見てくるから待ってて~」

 勇敢な魚パウロは意気揚々と小さな横穴の中に入っていった。
 私はすることもなく、そわそわとパウロを待つ。

 お宝って、どんなのだろう?

 小さな穴だから大きな宝箱ではないよね。巨大な宝石もない。
 どんな攻撃も跳ね返す盾とか、一撃で敵を倒す伝説の剣でもない。

 ……いや、そもそも海の使族に攻撃してくるような者、この世にいるはずがない。
 いるとしたら同じ海の使族くらいだ。そう、赤毛のライバルグリタとか。

 片目で穴をのぞき込んで目を凝らす。うーん、少し光っているような……そうでもないような。
 やがて薄暗い穴の奥からパウロのオレンジ模様が姿をあらわした。

「いなかった!」
「本当?」

 よし。ならばいざ、手を。お宝との邂逅のためだ。
 勢いよく小さな穴に右手を突っ込む。ちょっとさわさわしてる。これは、海藻?

「んんっ、パウロどのへん?」
「届かない?」
「ん〜っ、あっ!」

 指先に何かがあたった。
 のに、あたった瞬間、コロンと転がって奥にいってしまった。

「ああああっ、パウロ!」
「どうしたの!?」
「手、手に何かあたった!」
「それ! それだよ! お宝!」

 パウロの弾んだ声が胸を刺す。

「その……奥に転がってっちゃった……」

 シーンと嫌な沈黙がやってくる。パウロが真顔で私を見た。
 ……そんな目で見なくても。わざとじゃないのに。

「リィル様、もっと慎重に行動しなさいっていわれない?」
「うっ」
「しかたないなぁ〜。ボクが中から押すからリィル様取ってね」
「ほんとっ? さっすがパウロ!」
「あ~あ、このきれいな体に傷つくかもなぁ」

 パウロはこれ見よがしに私の目の前でひらひら舞った。

「貝の身いっぱいあげるから。ね、ね?」

 パウロは満足そうに笑い、また穴の中に姿を消した。
 商売上手な魚だ、まったく。

 ふぅ、と息を吐いたそのとき、水の流れが変わったのを感じた。
 綺麗な水に、どろっとした濁りが混ざったような不思議な感覚。

 はじめての感覚に戸惑いながらゆっくりと顔をあげる。視線の奥には、キラリと光る花たちに混ざって小さな黒い影が。

「なんだろう?」

 だんだんと、近づいてきているような。

「リィル様~? 早く取って~っ!」

 パウロの必死な声にハッと視線を横穴に戻す。

「あ、ごめんねパウロ」

 今度は慎重に手を突っ込む。そろ、そろ、っと、指先で探るように動かした。

「もう少し右〜」

 パウロの案内の通り手を動かすが、何もない。

「あ。ボクから見て右だから、リィル様から見たら左だった」
「……」

 まったく、おっちょこちょいな魚め。
 今度はそぉっと左側に手を動かす。

 コツンッと、硬いものに手が触れた。

「それ! それだよ、お宝!」

 パウロの弾んだ声に促され、伝説の宝刀を引き抜くかのように勢いよく手を引き、真上に掲げた。

 その瞬間、ぱあっと、光の花火が咲いた。

「どう? どうすごいでしょう? リィル様も持ってない新種のはずだよ!」

 パウロの声が頭の中を通り過ぎていく。
 視線はその『お宝』にくぎ付け。

 透明感のある濃い青をした綺麗なボディ。
 真ん中には金色の細かな星がちりばめられていて、ゆらゆらと揺らすたび、淡い光の粒たちはキラキラ輝く。光を反射しているのだろうか。
 夜空の輝きをそのまま閉じ込めたみたいなそのお宝は、石コレクターの私もはじめて見る原石だった。

「す、ごい……すごい! パウロっ!」

 パウロを振り返った瞬間、パウロの背後から伸びる巨大すぎる触手に気づく。
 うねうねと海底を漂う巨大な八本の手足。

 大ダコだ。

 赤と黒のまだら模様のそのタコは、突然柱ほどありそうな巨大な腕を振り下ろす。

「きゃあああっ」
「うわあぁぁああ!?」

 水圧で後ろに吹き飛ばされた。その拍子に、手に持っていた石が滑り落ち海底に沈んでいく。

「リィル様大丈夫!?」
「だ、だいじょうぶ……パウロは?」
「ボクも生きてる。一応」

 一緒に吹き飛ばされたパウロと無事を確認していると、あたりが暗くなる。
 顔を引きつらせたまま、そぉっと上を見る。
 天を覆いつくすように四方へと巨大な足を伸ばした、あの大ダコだった。

「な、何か用事ですの?」

 話しかけてみて、血の気が引く。

「リィル様?」

 怪訝そうにパウロが私を見た。
 私はごくりと唾をのんで、慎重に言葉を紡いだ。

「パウロ、言葉が通じない……」
「え?」
「あの大ダコと話せないんですの」

 パウロがいぶかしげに私と大ダコを見比べる。

「海の使族と言葉が通じないなんて、ありえないよ」
「……でも」
「海の使族はこの世界中の海の生き物と会話ができる。だって、海の使族は海の化身だから」
「……」

 私だって、それは知っている。
 海の使族はこの世で頂点に立っているって、お父さまやお兄さまたちから聞かされた。
 とくに海の生き物は、生まれながらにそれを知っていて、海の使族に攻撃してくることは絶対ないって。

 でも、じゃあ、さっきのは?

 あれは、絶対に攻撃だった。明確な敵意があった。
 九年間生きてきて、はじめてだもの。あんな風に吹き飛ばされたの。

「でもパウロ……」

 言いかけて、口を閉じる。

 もしかして、私がおかしいとか?
 他の海の使族が攻撃されたなんて話は聞いたことがない。

 欠陥品の海の使族とか?

 自分の考えがグサリと胸に突き刺さる。
 そんなことあるはずがない。私はクラッド家の子だもの。海の御三家の末っ子だ。

「リィル様……」

 何かを言いかけたパウロに、巨大な腕が伸びてくる。
 ぐるんとパウロに巻き付いたその腕は、そのままパウロを勢いよく引き寄せた。

「うわぁぁああああ!」
「パウロ!」

 まずい! パウロが食べられちゃう!

「は、離して! その魚は私の友だちよ! 聞こえないの?!」

 ダメだ。通じない。力が何かに弾かれているような変な感覚がある。早くしないと、パウロが食べられちゃうかもしれないのに。
 どうしよう。何かないの?何か……。

 必死に考えて、けど何も思い浮かばなくて。
 ググッと悔しさが喉の奥からせり上がってくる。鼻の奥がツーンとした。

 私が欠陥品じゃなかったら。
 ちゃんとあの大ダコと話せたなら、パウロを簡単に助けられるのに。

 手を強く握りしめて、無力さを噛み締める。

 他に助ける方法なんて、ひとつしかない。

 ぶるぶる震える手を、頭の右側に伸ばす。まっすぐ前を見据えた。
 パウロが何か気づいた顔で叫ぶ。

「リィル様! 逃げて!」

 わかってる。
 こんな巨大なタコ、私じゃ勝てるはずがない。

 パウロの言う通り、このまま逃げるのがきっと正しい。
 一目散に逃げて、家に駆けこむ。お父さまたちなら、あの大ダコでもきっと追い返してくれる。
 そうしたら、私は今までと同じ生活をすることができる。

 だけど。

 きっと、そこにパウロはいない。

 海の中の退屈な毎日に、パウロは彩りをくれた。海の七不思議を教えてくれたり、キラッキラの宝石を見つけてくれたり。海の花がたくさん咲く秘密の場所を教えてくれたり。

 パウロは私の友達。大切な。
 その友達を見捨てて、今までと同じ生活なんて、きっとできない。

 助けなかったことを一生後悔するくらいなら、私は戦って大切な人を守るほうを選ぶ。

 右耳の上につけられている、命と同じくらい大切なヒレ型の髪飾りを手に取って、強く握りしめる。

 どうか。

 どうか奇跡が起きるのなら、無事に生き延びることができますように。

「シーア・レディーレ」

 
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