2 運命は回る

 強く握った髪飾りはゆっくりと形を変えていく。

 上下に伸び、しなやかに湾曲し、真ん中には青い石。最後に細い水の弦がピンッと張った。

 私の体くらい大きな弓を強く握り込み、右手に力を集めて水の矢を作りだす。
 そのまま矢をつがえ、何度か深呼吸してから、細い水が張られた弦をゆっくりと引き絞っていく。

「……パウロを離して」

 威厳を込めて言い放つ。

 一瞬も油断できない緊張感の中、ジリジリと睨み合いを続ける。
 やがて、大ダコはぶわっと体を広げた。

 パウロを食べる気だ!

 顔を出した巨大な口を見て、心の中がスッと凪いだ。
 しっかりと前を見据え、狙いを定めたまま矢に力を送り、一気に放つ!
 水の矢は海の中を弾丸のように突き進んでいく。

 そして矢は、パウロを捕えている腕に突き刺さった。
 その瞬間、突き刺さった矢を中心にぶわっと青い光があたりを覆いつくす。眩しさに目がくらんだ。

 何が起きたの?!

「うわぁああああ!」

 パウロの悲鳴が聞こえた。
 まさか、食べられちゃった!?

 焦りながら目を凝らす。パウロはものすごい勢いで投げ飛ばされていた。その先には、大きな岩が。

「パウロ!」

 慌てて海の中を駆け、岩に激突する前になんとかパウロを抱きとめる。そしてそのままくるりと回って岩を蹴り、一気に泳ぐ。
 とりあえず逃げよう!
 耐久戦になったらこっちが不利だ。敵うわけない!

 泳ぎながら腕の中で伸びてるパウロをペシペシ叩く。しばらくするとピクリと反応した。

「大丈夫?」
「ううっ、目が回った……。リィル様! うしろ!」

 ハッと振り返ると、そこには血走った目をした大ダコが。
 げげ、追いかけてきてたの?!
 なんて執念深い。

 振りあげられた腕を間一髪よける。死ぬ死ぬ死ぬ!

「リィル様、もっと! もっと速く泳いで!」
「むちゃ言わないでよぉ」

 チラリとうしろを見る。
 速すぎる! あの太い腕に捕まったらお終いだ。あたってもお終いだ。右も左も綱渡りだ。

「リィル様、アレできないの?!」
「あれ!?」

 あれってどれ?!

「海の使族が持ってる、翼!」

 パウロの純粋な言葉が、胸をさっくりと突き刺す。

「で、できない」
「どうして!?」
「大きくなって、海の力をうまく扱えるようになったらできるって、お兄さまが」

 パウロの瞳から希望という輝きが消えた。
 あああ、パウロが、パウロが死んでしまう。

「あっ! でも、あれならできるっ。海流をつくるやつ!」

 右手の人差し指と中指に力を込める。ぽうっと青く光り出した。

「シーア・セレーネ」

 目の前の海が、うねりはじめる。
 やがてそれは大きくなり、この世のすべてを飲み込む巨大な龍のように……は、ならなかった。
 おだやかな川のせせらぎのように、ちょろちょろっと流れている。

 うーん、ちょっと失敗しちゃったかも?

「……」

 パウロの目は死んでいる。

「パウロ、しっかり!」
「リィル様ぁ、なんかしょぼくない?」

 そういうことは言わなくていい。
 見ればわかる。あまりにもしょぼいことが。

「ボク、オルキ様の見たことあるけど、大きなドラゴンに乗ってるみたいだったよ」
「うっ、お兄さまは天才だもの」

 歴代の海の使族の中で、一二を争うくらい優秀だという話だ。そんなお兄さまと比べられては、月とすっぽんだ。
 まあ、こんなしょぼい海流でも、ないよりはマシだろう。パウロを抱きかかえたまま、海流に乗って速度をあげる。

「あっ! そうだ。あのタコには逆方向の海流を……」

 ぽうっと指先に力を込める。
 そのまま青い光を、大暴れしているタコに向ける。

「シーア・セレーネ」

 海底がぐるりと渦巻いた。
 私たちの進行方向とは逆に、海流が流れていく。川のせせらぎのようなゆるやかさで。

「効いてないっ、効いてないよぉ! リィル様ぁ!」

 やっぱりダメか。
 どう考えてもタコが大きすぎる。

「パウロどうしよう?!」

 こっちのほうが多少速さで有利とはいえ、大きさが違いすぎる。

「あっ! リィル様、前っ、前! 行き止まり!」

 なんだって?
 ついに天は私を見放した!?
 目の前に巨大な壁が立ち塞がった。

「ど、どうしよう!」

 壁際に追い詰められる。目の前には、怒り狂ったように腕を振り回す巨大なタコ。

 ああ。これは、死んだかもしれない。

「リィル様! あそこ、穴!」

 パウロの声で視線を下げると、たしかに洞窟のような横穴があった。私二人分くらいの穴だ。あの大きさなら、巨大タコは入れない。

 でも、もし、中が行き止まりだったら。

 迷ったのは一瞬だけだった。
 ぐんっと方向を変える。一気に下降して、そのままのスピードで横穴に突撃した。

 中は光るコケが生えていて、思ったより明るかった。
 分かれ道もなく一本道な洞窟の中を進む。

 そして、恐れていたことが起きた。

「行き止まり!」

 ごつごつした岩肌が道を塞いでいた。

「リィル様〜」
「だ、大丈夫。けっこう進んだもの。ここまでこれないはず」

 さすがにこんなところまで追いかけては来ないはず。
 よっぽど執念深くないかぎり。

「リィル様! あいつ、腕!」
「え?」

 振り返って、ぎょっとして奥の壁に張りつく。
 足をつけてギリギリまで体を薄っぺらくした。
 あの大ダコ、腕だけ伸ばしてくるなんて!
 鼻先をタコの腕がかすめた。あわてて、頭を引く。
 壁と同化する勢いでぐいぐい押しつけた。

 すると、どこからともなくピシ、ピシっと、嫌な音が聞こえた。

「……パウロ何か聞こえない?」
「変な音が……」

 パウロがそう言いかけた瞬間、背中にあったはずの逞しい支えが消えた。
 ふわっと、背中が浮き上がるような感覚が襲ってくる。

「え、ええぇぇええええ!?」

 なんと! 背中の壁が私の重みに耐えかねたのか、突如崩壊した!

 背中から倒れて地面に体を打ち付ける。何なら少し擦りむいた。

「リィル様大丈夫!?」
「だ、大丈夫……」

 痛いけれど。
 打ったとこをさすりながら、上半身を起こしてあたりを見回す。

「中、空洞になってたんだね」

 パウロの言う通り、崩れた壁の先は少し広い円形の空間になっていた。
 そして、その空間の真ん中に、こんな海底には似つかわしくない物が突き立てられていた。

 錆ひとつない、磨き抜かれた長剣。

 剣の柄の部分に、五つの宝石がはめ込まれている。
 赤、青、緑、黄、白。石の真ん中にはそれぞれ不思議な紋様が刻まれている。

「きれい……」

 石コレクター魂がうずいた。
 剣に近づいて、じろじろと石を観察する。

「すごい、パウロ! これ全部新種の石みたいなんですの!」
「じゃあ、リィル様もらってったら?」
「え! い、いいのかな………」

 莫大なお宝を前にし、欲望に目がくらむ。
 パウロの顔と剣を見比べた。

 こんな海底にあるくらいだし、きっと捨てられた剣に違いない。
 なら、私がもらっても、いいはず……だよね?

 ドキドキしながら剣に手を伸ばす。
 そして指先が触れた瞬間、ビリっと手が痺れ、頭の中に稲妻が走った。
 瞬間的に、いくつもの映像が流れた。

「あっ! リィル様! 石がッ!」

 パウロの声でハッと現実に戻ってくる。
 目の前の剣が淡く光り、はめ込まれていた石が剣から外れ宙に浮かんでいた。

「ええええ?! 何これ! ど、どうしようパウロ!」
「わからない! けど、石! 早く!」

 パウロに言われるまま、慌てて石に手を伸ばした。指先が触れ、つかみ取れると安堵したとたん、石は勢いよく四散した。四方の壁に向かっていき、そのまま姿を消す。

「どっか行っちゃった……」

 呆然とその光景を見送った。何が起きたのかわからないまま、パウロと顔を見合わせる。
 そしてふと、地面に突き刺さっていた剣がくたびれているような気がした。
 まるで急に老け込んだみたいな。

「うーん? あっ! 色が薄くなってる?」

 最初に見た時よりも、輝きが消えている気がする。
 剣に手を伸ばそうとしたそのとき、入口の方からドォンと岩を破壊するような音が聞こえてきた。

「わ、わっ! なに!?」
「あいつだ! 無理やり入ろうとして来てる!」
「入口を壊して進んできてるってこと?!」
「たぶん」

 げげっ。怖すぎる。
 あの巨体だから、入り口も壊そうと思えば壊せるのかも。

「リィル様! 出口! 探さないと」

 ドォン、ドォンと破壊音は続く。
 確かにこのままだと、追い込まれてパクリと食べられちゃうかも。
 なんとか脱出しないと!

 腕を組みながら、ない知恵を振り絞って考え、閃く。

「石! どこかに飛んでったってことは、穴が開いているはず!」

 パウロと手分けして、石が飛んで行った方向の壁を調べる。
 すると、この空間にはいくつかの横穴が開いていることに気づいた。
 といっても、穴は小さいから私は通れない。パウロならかろうじて通り抜けられるくらいの大きさだ。

 私は横目にパウロを見た。むっすりとした顔をしていたパウロの目は死んでいる。

「パウロ」
「やだ」
「大ダコがここまで来たら、二人とも死んじゃうかもしれないでしょう?」
「……」

 パウロは苦悶の表情を浮かべていたが、やがてのろのろと小さな横穴に近づいていった。

「リィル様、死んじゃダメだからね」

 そんなセリフを残して、パウロは穴の中に消えていった。

 私は剣の横に座り込んで、光を失った刃をじろじろと眺めた。
 石が飛んで行った瞬間くたびれたから、あの石が何かしらの原動力だったに違いない。
 私が触った瞬間、石はどこかへ行ってしまった。

「もしかして、私が壊しちゃったってことですの?」

 小さなつぶやきにもちろん返事はない。
 そぉっと剣に触ってみる。
 とくに何もない。最初に触った時、何かを見た気がする。

 たしか、男の人だったような。
 金色の髪をした、綺麗な人。

 私は、あの人を、どこかで見たことがあるような……。

 すでにおぼろげな記憶を引っ張り出して考え込んでいると、あたりが静まり返っていることに気づいた。
 さっきまであの大ダコが暴れまわっていたのに、今は何の音もしない。

 じっと身を小さくして聞き耳を立てる。
 何かがいる気配はない。諦めた? それとも作戦?

 しばらく待ってみても、何も変化はなかった。

 立ち上がって、気配を探りつつ足を進める。油断したところをパクリという可能性もあるから、慎重にね、慎重に……。
 警戒に警戒を重ねたけれど、外に出て拍子抜けした。

「いない……」

 右を見てもいない。左を見てもいない。上も下もななめも、いない。

「助かったの……?」

 音のない中で、ゆっくりとその事実を噛み締める。
 緊張の糸が切れて目の前がじわっと歪んだ。

 だめだめ。まだ泣いていられない。帰らないと!

 きゅっと最後の糸を張って、海の中を進みはじめた。

 しばらく海の中を進んで、だんたんと、嫌な予感が広がっていく。
 大ダコに追いかけられたとき、私はどこをどう進んだ?
 そもそも、あのお宝のあった場所だって、パウロの案内で進んでいたし……。

 地上の光を映し出す花が、だんだんと薄くなっていく。海底で夜に輝く貝がチカチカ瞬きはじめた。

 これは、まずい……。

 迷ったかもしれない!

 魚たちに話しかけようにも、みんな寝ているのか誰もいない……。
 危機感で心臓がドキドキする。
 なんとか道がわかれば。そうしたら帰れる。何か目印になるようなもの……。
 必死に考えて、ピカッと閃く。

 海の塔!
 私の住む街には、空高く伸びる塔がある。
 あれだけの大きさなら、多少離れていたとしても位置を確認できるはず!

 早速海面に向かって泳いでいく。
 もう少しで海面というところで、空から何かが落ちてきた。
 目の前までやってきたそれをキャッチする。

「うわぁ、きれい……」

 私の目の色に似た、アイスブルーの雫型宝石がついたネックレスだった。

 そういえば、今日はたくさんの石に出会ったのに、結局何も手に入れていない。
 私はしばらく悩んで、空からの恵みだとそのネックレスをネコババした。

 そして今度こそ、海面から顔を出す。

「すごい……大きい……」

 夜空に浮かぶ、丸く大きな黄色い物体。
 きっと、あれが月だ。本で見たことがある。
 キラキラ輝く月に目を奪われる。いろんな宝石を見てきたけれど、月があんなに大きくて魅惑的だなんて。

 うっとりと眺めて、ハッとする。
 まずいまずい。呑気にうっとりしている場合じゃない。帰る方向を確かめないと。
 えーっと、海の塔は……。

 右、左、と視線をあちこちにめぐらせる。
 でも、空にまっすぐ伸びる塔の姿がない。

 さあっと血の気が引いた。

 まさか、海の塔が見えないほど遠くに来ちゃったってこと!?

 心臓が嫌な音を奏でる。たくさんふり絞った勇気が、砕けて消えていくのがわかった。
 瞳に薄く膜が張っていく。鼻の奥がツンとした。

「……かえりたい…………」

 消えそうな声でつぶやいた。

「……どうした?」

 声が、聞こえた。

 いやいや、こんな海のど真ん中で人の声が聞こえるはずない。
 そう思うのに、その声は、魚たちの声とは違った。はっきりとした、男の人の声だ。

「遭難したのか?」

 声は、上からした。驚いて空を見上げる。

 金色の月を背負って、輝く金の髪をなびかせながら、男の人が空から舞い降りてきていた。
 宝石のような緑の瞳が私を見ている。

 あ、れ……。

 なんだろう。

 わたし、この人を、知っているような……。

「あなたは、だれ……?」

 
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