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34 始まりの予感

 私の問いに、エルクは顔を上げた。

 妖精のような美しい顔が、私を見つめる。真っ直ぐな視線に射抜かれて、体がこわばった。

 
「そうだ」
 

 エルクはうなずいた。
 あっさりと。

 
「どうして。だって、あれを見て」

「あの紙のことか?」
 

 私はうなずいた。
 あんな汚名が書かれた紙を見て、それでも自分のことを好きだというなんて、正直気が狂っているとしか思えない。

 普通、人はそれが真実だろうがそうではなかろうが、先入観を持つ。
 前世の世界でも、この世界でも、ありふれたようにある悪口。
 ひそひそと囁き、まるでそれが真実であるかのように語られる。

 話したこともないような人が。あの人はこういう人『らしい』と、そう口にする。それが人だ。

 
「私はあの時も言ったはずだが」

「……」

「私は紙に書かれた主ではなく、今目の前にいる主に言っている」

「私が、猫を被っていると、そう思わないのですか」

「嘘をついているかは目を見ればわかる」

 
 エルクは手を伸ばした。私に。
 そしてそっと、指の腹で私の目の下をなでた。

 
「主は綺麗な瞳をしている」

 
 キュッと、唇を引き結ぶ。

 実の父親だって、そう簡単には信じてくれないというのに。
 ただ、目が綺麗だと、それだけの理由で人を信じるなんて――本当に、大バカだ。

 
「そんなんじゃ、人に騙されてしまいますよ」

「人に騙されたことはない」

「本当ですか?」

「本当だ」

「気づかなかっただけではなく?」

「主は私をなんだと思っているのだ」
 

 エルクは呆れたようにため息をついた。

 
「私は感知というスキルを持っている」

「はぁ……それが?」

「嘘をついていればわかる」

「……スキルで?」

「うむ。嘘をついている者の目は濁る」

「それって、反則では?」

「何を言う。自分の持つ力を有意に使っているだけだ」

「……」

 
 それはそう、だけど。正論なんだけど。
 この人。何から何までチートな存在だ。

 私は少しだけ身を引いた。

 
「だから」

「はい?」

「主が去って行こうとした時も、本気だとわかった」

「……」

「ついて行くと、そう言った時も」

「……それは、そうですが」

「振り返りもせずに去って行くのを見て、身を引き裂かれるような思いだった」

 
 息を飲んだ。
 エルクの瞳が、ほんのわずかに、熱を孕んだ気がしたから。

 心臓の鼓動が速くなっていく。

 妖精みたいな顔をしていても、エルクは、男――。

 喉が張り付いたみたいにカラカラになった。声が、かすれる。
 

「……だって、まだ、会ったばかり……」

「人を好くのに時間は関係ない」

 
 何も言えず、ゆっくりと口を閉ざす。

 
 ふと、アルジュの言葉が蘇った。
『人を好きになるのに時間は関係ないって、誰かが言ってたけど』

 まさか、その『誰か』て、エルクのこと――っ?

 
 視線がそらせなくて、吸い込まれるように紫の瞳を見つめた。
 

「返事は急いでいない。嫌だと思ったのなら辞めてもかまわない」

「私は……」

「そう気負わなくてよい」

 
 エルクがそう言って笑う。今、私がやっぱり辞めると、そう言ったとしても、エルクは私を責めないだろう。

 でもきっと、そうしたらもう二度と、会うことはない。

 私は……。
 アメリアとして、公爵家の令嬢として生を受けた時から、恋愛というものをするとは思っていなかった。貴族は政略結婚が当たり前だ。家の力を強めるという大切な役目がある。
 だから、いざ自由に選んでいいと言われると、戸惑う。

 それに、私はこの国ではよそ者だと言うのに。

 
「ひとつだけ、お伺いしてもいいですか?」

「うむ」

「私は、この国では貴族でもなんでもありませんが……」
 

 エルクは目を瞬いた。そしてしばらくして、合点がいったように軽くうなずいた。

 
「この国に、貴族は存在しない」

「え」

「この国は個の力が全てだ。スキル適正で職が決まる。だから誰がどこの家の者という括りは存在せぬ。もちろん財を持つ者はいるが。全てそれ相応の働きをしているからだ」

 
 私は息を飲んだ。
 確かに、考えて見れば至極当然のこと。

 
「むろん、王もそうだ。王の資格は治癒があるかどうかで決まる」

「そんなことが……?」

「うむ。現状、治癒持ちの子が同等のスキルを受け継いではいる。だが、それが確実ではないことは、王も民も理解している。王だから民だからと、優劣はないと」

 
 この国は、血筋ではなくスキルという個で決まるのか。それをどう伸ばして行くかが、一番重要だと。
 自分のことを理解し、自分の力を伸ばすことが一番必要な能力だなんて、なんだか不思議だ。

 
「アメリア、主は自分の気持ちに素直に従えばよい。誰も、責めたりしない」

 
 私は小さくうなずいた。
 エルクは満足そうにうなずくと、パッと立ち上がる。

 
「せっかくだ、王宮を案内しよう」
 

 その誘いにうなずこうとした時。

 ドォン! と、何かが衝突するような音がして、王宮が大きく揺れた。

 
「きゃっ」

「アメリア!」
 

 テーブルをたやすく飛び越えたエルクが、私を守るように抱きしめて身を屈める。
 ふと顔を上げて、あまりの近さに驚く。
 でも、エルクはぎゅっと眉を寄せて険しい表情をしていた。

 なんだろう。嫌な予感がする。

 とてつもなく、嫌な予感が――。

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