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 人と人が楽しそうに会話を交わす、そんな心地良い人のざわめきの中、ガシャーンッ! と派手にガラスの割れる音が響き渡った。

 店の中にいる客の何人かは、「またか……」と悟った表情を浮かべ、何人かは何事かと奥をのぞく。

 酒場で働き始めていたリリアは、砕け散ったグラスを前に半べそをかいていた。

「す、すみません、すみませんっ!」
「いやぁ、良いけどねぇ……いや、良くないけどねぇ。これで五回目だよ、リリアちゃん」

 リリアは肩を小さくして、何度も頭を下げる。
 と、そこに。

「よぉ、やってんな。どうだ、調子は」
「リリアサン、頑張ってるすかー? って、あらら」

 低く落ち着いた声と、陽気な声の二つが店の中に響いた。店の中にいた客が「ボス!」と呼びかけて沸き立つ。
 すぐ近くまでやって来た革靴に気づき、リリアは怯えたように肩を竦ませた。

「ボス、ちょうどいい所に。リリアちゃん、重いもの持ち慣れてないみたいだ。ちょっと可哀想で見てらんないよ。ウチじゃないところに回してやってくれないかい?」

 リリアは気まずさに顔を引きつらせたまま、床の木目をなぞった。あんなに張り切っていた手前、恥ずかしさと申し訳なさで顔が上げられなかった。

「……まァ、そんなことだろうと思った。悪かったな、使えない奴寄越して」
「いやぁ、可愛いし、ウチとしては欲しかったけどねぇ。ほら、夜の店だと酔っ払い客も多いし、あまりオススメはしないよ」
「悪いな。おい、リリア」

 呼びかけられたリリアは、体を震わせ、勢いよく頭を下げた。

「ご、ごめんなさいっ!」
「あァ? 別に怒っちゃいねェよ。誰にだって向き不向きはあるだろ。いいから帰るぞ。おまえが居ると邪魔になる」

 乱暴に腕をつかまれ、引きずるようにして店から出される。リリアは後ろ髪引かれる思いで振り返り、店主を見る。リリアに気づいた店主は、笑ってヒラヒラとリリアに手を振っていた。

 情けない気持ちで、リリアは前を歩くグレイとシーカーの後に続いた。これからどんな罵声が浴びせられるかと思うと怖かったが、八つ裂きにされたとしても文句は言えなかった。
 店の中のグラスを、軽く十は粉砕したのだ。

 まさか、自分がこんなに何もできなかったなんて。リリアは泣きたい気持ちで夜の街の中を歩く。

「リリア」
「は、はいっ!」
「なんか食ったのか?」
「……え?」

 首だけ振り返ったグレイが、リリアを見て面倒くさそうに目を細める。

「だから、メシ」
「あ、いえ……まだ、です」

 覚えることも多かったし、グラスも粉々にしたしで、食事どころではなかった。
 それに気づいたとたん、リリアのおなかが悲しそうに鳴き始める。リリアはおなかを軽くへこませて、それを押さえようとした。

「シーカー、おまえもまだだよな?」
「あー、俺も食ってないですねぇ」

 前で交わされている会話を聞きながら、リリアはため息を吐いた。こんなに消えてしまいたい気持ちになったのは初めてだ。
 おまえは聖女ではないと、そう言われて罪を負ったときよりも、期待されたのに返せなかったときのほうが苦しいのだと、リリアは学んだ。

「おい、そう気を落とすな。店主が怒ってなかったろ。おまえが真面目にやろうとしてたのは伝わってんだよ。できないことを嘆くな。シャンと胸張ってろ」

 リリアはゆっくりと顔を上げる。青の瞳がキラキラと夜の街の中輝いていた。光をたくさん吸い込んで、まっすぐ前を見て輝く。リリアはその瞳をとても綺麗だと思った。

「ただし、割ったグラス代はおまえの給金から天引きな」
「う、は、はい」

 「容赦ないですねぇ」と笑っているシーカーとグレイの後ろ姿をリリアは見つめた。

 聖女ではない自分。
 聖女に選ばれなかったのなら、リリアはお城で働きたいと思っていた。お城に住まう聖女に仕える女官がいるのだ。リリアはその女官になりたかった。

 けれども、これだけ要領が悪いと女官になれたかどうかさえ怪しい。
 あのとき、聖女に選ばれていなかったなら、今ごろリリアは何をしていたのだろうか。

 なんだかんだ、平穏に暮らしていたのだろうか。

 今ではもう、自分が聖女だったのかさえ怪しい。ただ、首に巻きついているチョーカーだけが、リリアが聖女だったのだと伝えてくる。

 右手を首のチョーカーに当てて、軽く引っ掻いてみる。やっぱり、ビクともしなかった。


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