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12

「なんで、どうしてシルカの名前が……」

 契約書に書かれている名前の筆跡も、間違いなくシルカのものだった。美しいけど力強い文字は、女学院で一緒に学ぶ中で何度も見たものと同じだ。

 一枚の紙を握ったまま、床に散らばった本なのかに埋もれるリリアは、部屋の外から話し声が聞こえることに気づいてハッと顔を上げた。

 片付けないと。

 首を動かして左右を見る。床にばら撒かれた本。部屋の惨状を確認して、慌てて立ち上がろうとするけれども、リリアが動くよりも速く扉が開いた。

「それでボス。明日のことなんですけど──って、リリアサン?」
「あ? リリア? 何して……」

 部屋に入ってきたシーカーとグレイが、部屋の中にいるリリアと、その手に握られているものを見て沈黙した。

 グレイが黙ったまま長い足で近づいてきて、リリアの手から紙を乱暴に奪い取る。そして、紙とリリアを交互に見て、重々しく口を開いた。

「見たのか」

 威圧するような声色に、リリアは肩を震わせた。見てはいけないものだったのだと、わかるような声だ。

 冷たさを感じる声音に怯みながらも、リリアはしっかりとうなずいた。

「……み、見ました」

 グレイが、高圧的に目を細める。
 ピリピリとした張り詰めた空気の中、リリアは床に座り込んだままグレイの顔を見上げた。

「どういう、ことですか」

 揺らがないように、真っ直ぐと。睨み据えるような、それでいてすがるような瞳で、リリアはグレイを見た。

「私は、売られたんじゃないんですか? どうして……、シルカの名前が、そこにあるんですか」
「……」
「ボス!」

 リリアの追求の言葉を、グレイは面倒くさそうなため息でかき消す。自分の黒い髪を雑に掻いて、そのまま紙を自分の懐にしまい込む。

「おまえに話すことは何もねェ」
「……っ、わ、私のことなのに、どうしてですか」

 泣きそうに呟いて、リリアは口を閉ざした。
 唇を震わせ、うつむいたまま拳を握り締める。

「……たく、めんどくせェな。確かに、おまえの王子様はここに来た。したたかで面倒な女だったぜ」
「ボス、いーんですか? 話しちゃって」
「しかたねェだろ。泣かれても面倒だ」
「甘いですねぇ」

 リリアの隣にシーカーがしゃがみ込む。散らばった本や紙を、淡々と片して、チラリとうつむいたままのリリアに視線を向ける。

「リリアサン、そんなとこ座ってちゃ汚れますよ。ほら、立って」

 差し出された手に無理やり立たされて、リリアはハッとして床を見る。

「あ……、ご、ごめんなさい。片付けさせてしまって」
「いいんですよ、このくらい。ほんと、バカな人ですねぇ」

 リリアはソファに腰掛けて、黙って膝の上の自分の手を見つめた。

「あの、私の保護って、どういうことですか?」
「この話は終わりだ」
「納得できませんっ」

 リリアは睨むように顔を上げる。自分の椅子に座っていたグレイは、なんの感情もないような瞳でリリアを見た。

「知って、どうする」
「……それは……」
「おまえは国外追放になった。それだけだろ」

 ぐぐっと言葉を詰まらせて、リリアは深くうつむいた。

 きっと、何を聞いたとしても、答えてはもらえない。

「……わかりました」
「……、明日のこと、シーカーに聞いとけ」

 リリアは小さくうなずく。

「はぁ、俺に丸投げですか。まあいいですけど。じゃあはい、リリアサン。とりあえずこれ読んどいてください」

 リリアはシーカーから紙を受け取って、連れられるままに部屋を出る。
 後ろ髪を引かれる思いで振り返ったが、グレイは紙に視線を落としていて、リリアのことは見ていなかった。

 明日の最終調整だと、リリアはシーカーと共に職人たちの元を回った。身支度の手伝いに何人かはついてくるらしいが、ほとんどの人は街で留守番だ。

 リリアに魂を込めた自分たちの作品を預けて、じっと帰りを待つ。

「じゃあリリアチャン、頑張ってきてね! 大丈夫、お人形さんみたいに可愛いもの」
「はい、ありがとうございます」

 リリアは微笑んで頭を下げた。

 確認を終えて、宛てがわれている家に戻る。
 すっかりと、日は暮れてしまっていた。

「シルカに、聞かないと」

 どういうつもりなのか。何を考えているのか。きっと、本人に聞かなければ、リリアの望む答えはもらえない。

 ならば、直接会って聞けばいい。

 けれどもそれは、今ではないとも思った。

 リリアチャン、とそう言って笑っていた人たちの顔を思い浮かべて、リリアは目を閉じる。
 ゆっくりとまぶたを押し上げて、リリアは部屋を出た。

 月明かりが、街の中を照らしていた。
 夜特有の静けさと、少し冷たい空気が流れている。

 建物の入り口から外へと出たリリアは、歩きながら空を見上げた。

「どこに行く?」

 リリアは驚いて、声のした後ろを振り返った。
 建物の壁に背中をあずけ、リリアをじっと見ている青い目がふたつあった。

「ボス……」
「逃げようとしても無駄だ。この街は壁に囲まれてる。それ以外は山だ。諦めろ」
「……逃げようなんて、思っていません」

 リリアは力なく笑う。
 信用ないのだなぁと思うと、少し悲しくはあったが、同時にそれもそうかと納得もした。

 グレイにとってリリアは、保護対象にしかすぎないのだから。

「逃げるためじゃねェなら、なぜ外に出た?」
「眠れそうにないので、外の空気でも吸おうかなと……」

 グレイは黙って目を細めた。
 リリアはその眼差しを受け止めて、困ったように微笑みながら小さく肩をすくめる。

「シルカのことは、気になります。でも、何か、理由があったんだと思います。そうしなければいけない理由が。それが何かはわからなくても、何か理由があるんだとわかっただけでも、嬉しいです。だから、今すぐ問いただそうとは考えていません」

 知りたくないわけではない。いつか必ず、聞きに行こうとは思っている。けれども。

「それに……」

 リリアは、顔を上げ、真っ直ぐグレイに向き合った。

「ぱ、パーティーがありますから」
「……」
「たくさんの人たちが心を込めて作ったものを、任されたんです。その思いを、踏みにじるようなことは、できません」

 グレイは目をまるくしてリリアを見ると、ふっと息を吐いて小さく笑った。

「ばァか」
「……ど、どうしてですか」
「こんな街のことなんてほっといて、自分のことだけ考えりゃァいいだろ」
「ええ、ダメですよ。だってここは、ボスの大切な街ですよね?」
「……」
「私に優しくしてくれていたのが、そういう契約だったのだとしても。私にはまだ得意なことが見つかっていないだけだって、そうやって言ってくれたボスの言葉が、嬉しかったんです」

 リリアはくるりと背を向ける。月明かりが照らす街を見て、目を細めて笑うと、金色の美しい髪を翻して振り返った。
 たくさんの幸せを詰め込んだ、草原いっぱいに咲き誇る花のような顔をして、グレイを見る。

「私も、この街が好きなんですよ」

 小さなひみつを打ち明けるように、リリアは悪戯に笑った。紫色の瞳が、月明かりでキラキラと輝く。

 目を見張ってリリアを見ていたグレイは、深く息を吐き出した。ガシガシと乱暴に自分の髪を撫でて、壁から背を離す。

「っとに、どうしようもねェな」

 どこか、諦念にも似た響きを持っていた。

 グレイはゆっくりとリリアへと歩み寄る。

「リリア」

 一歩、さらに距離が近くなる。
 すぐ目の前に立った男を、リリアは首をかしげながら見上げた。

 グレイの指先が、優しくリリアの前髪をかき分ける。そっと、撫でるような手つきで、リリアの髪を耳にかけた。

「ボス……?」
「あの国には帰るな。いいな?」

 グレイが身をかがめる。リリアの顔に影が落ちた。

 額に、冷たい唇が触れた。

 一瞬だけ、やわらかくくっついて、すぐに離れる。

 唖然として固まるリリアを見て、グレイはニヤリと口角を上げて笑うと、そのまま指を滑らせてリリアの頬を撫でた。

「じゃあな。とっとと部屋に戻れよ」

 そう言って背を向けると、ひらりと片手を振って去って行く。

 残されたリリアは、石像のように固まって、やがてその場に崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。やけに熱い額を両手で押さえる。

「……っ、え、えっ、なに? 今の……」


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