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20

「ん……。あ、れ、ここ……」

 リリアが目を覚ましたとき、見えた景色は見覚えのないものだった。
 ゆっくり体を起こし、ぐるりと首を動かしてリリアは周囲を見た。
 空間を仕切るようにベッドの上から垂れている、白いレースのカーテン。それから、触れたこともないような、ふかふかなベッド。聖女としてお城にいたときだって、ここまで柔らかなベッドではなかった。

「ここ、どこ……?」

 混乱と不信感の中、目が覚める前の記憶を必死にたどって、リリアはハッと思い出す。

 仕立てのいい執事服に身を包み、トレードマークの眼鏡をかけている男と出会ったことを。
 差し出された手を拒んだら、突然気を失ったことを。

「あの人……。クヴィスリン宰相様のところの、執事、さん? じゃあ、もしかして、ここは……」

 嫌な予感にキュッと唇を引き締めたそのとき、かすかに扉の開く音がした。
 リリアは驚きながら四つん這いになって、そっとベッドを囲っているカーテンに手を伸ばした。ゆっくりと隙間を作り、片目でカーテンの向こう側をのぞく。そして視界に映った部屋が、あまりにも豪華な造りをしていることに驚いた。精緻な細工が施された、高そうな家具がいくつも並んでいる。

「な、なんで……?」

 リリアは国外追放になった。
 ここがクヴィスリン宰相の屋敷なら、どうしてリリアを丁重にもてなすのか分からない。
 まさか本当に、まだリリアが聖女だと思っているのだろうか。

「お目覚めですか? リリア様」

 突然声をかけられて、リリアは飛び上がりながらつかんでいたカーテンから手を離した。
 逃げ場を探してジリジリと後ろ向きにベッドの上を移動していると、「失礼いたします」というかけ声と共に、ゆっくりとカーテンが開かれる。

 そこにいたのは、やっぱりクヴィスリン宰相の遣いだと名乗った男だった。冷たく見える瞳の奥を、わざとらしく穏やかにゆるめて、リリアに一礼する。

「朝食をお持ちしました」
「ちょう、しょく……。今は、朝ですか?」

 リリアの間抜けな問いかけに、男は笑みを浮かべたままうなずく。

「あの、私はどうしてここにいるんでしょうか?」
「あなたをお迎えするようにとの、宰相様からのご命令です。どうぞ、おくつろぎください」

 リリアは戸惑った。おくつろぎくださいと言われて、はいそうですかとくつろげるほど、呑気な性格ではいられなかった。
 だってリリアは、何も言わずに来てしまったのだ。
 リリアがいなければ眠れないと、そう言っていたあの人に。

「あの、元いた場所に、帰してください」

 リリアはまっすぐに男を見た。譲る気はないと、そう伝えるために、強く男を見据える。

「それはできません」
「どうしてですか!」
「食事はテーブルに置いておきます。部屋のなかの物はご自由にお使いください。ご用件はベルを鳴らしていただければ、外に控えている者がお伺いします。それでは」

 男は一方的に話すと、リリアに一礼してさっさと部屋を出ていった。
 とたんに、音のない世界がやってくる。よく耳をすませば、鳥の鳴き声が聞こえた。リリアはベッドの上で足を抱えて体を丸める。

「どうしよう」

 どうしてこんなことになったのか。
 どうやって逃げればいいのか。
 どうしたら、もう一度、グレイに会えるのか。

「ボス……」

 リリアは膝に額を押し付けて、胸の中に渦巻く不安と孤独を吐き出すようにため息をついた。
 そうして一度固く目を閉じると、ぱっと開いて顔を上げる。

(逃げなきゃ)

 帰りたいと、そう思っている自分がいた。
 あの人に会いたいと、そう心が強く訴えかけてくる。
 ならば、リリアがすることはひとつだ。

 ここから逃げ出して、もう一度、会いに行く。

 たとえ、どれだけ時間がかかったとしても。

 リリアはベッドから出ると、改めて部屋の中を見た。まるで、お姫さまでも迎え入れているかのような、手入れの行き届いた空間だった。家具はピカピカに磨かれているし、どれも質が良さそうだ。床も天井も、なんだか光っている気がする。

 リリアがグレイたちの街でお世話になっていた石造りの家とは、まるで違う。
 けれども、リリアはあの家のほうが好きだった。小さなこぢんまりとした家。リリアが選んだものだけが並ぶ部屋。
 なんだかホッとできたのだ。あの空間は。

 ぐるりと部屋を見たリリアは、部屋に唯一ある扉へ近づいて、目を瞬いた。
 鍵が、ない。
 そぉっと、ドアノブを回し、押してみる。ビクともしない。ならばと引いてみるけれども、これまたビクともしない。
 リリアは扉をノックしてみた。すると、カチャンッと鍵の外れる音がして、そっと扉が開く。

「いかがなさいました? リリア様」
「い、いえっ。その、お手洗いはどちらですか?」
「お手洗いでしたら、部屋に備え付けられておりますよ。右手にございます」
「そ、そうですか。ありがとうございます」

 リリアは引きつった愛想笑いをして、そっと扉を閉めた。そうして、視線を下げてドアノブを見つめる。

(外鍵だ……っ)

 内側に鍵はない。外からしか、開けられない部屋。それが、今、リリアがいる部屋だった。
 理解したとたん、サッと血の気が引く。だって、こんなのは、まるで。
 監禁しているようなものだ。

 良くない考えを首を振って追い出し、リリアはまた部屋の中を見て回る。
 お手洗い、バスルーム、簡易キッチン。この部屋だけで生活ができそうなほど、必要な物はすべて揃っていた。
 クローゼットを開ければ、どこかのお姫様が着るようなドレスばかり、ぎっしりと詰められている。
 ほかにも、アクセサリーや、化粧品。女の子が喜びそうなものは、全部置いてあった。

 部屋だけを見れば、とても居心地の良さそうな空間だ。
 なのに、部屋の外には一歩も出さないという意思がひしひしと伝わってくる。

 そんな逃げ道がない部屋にも、ひとつだけ、大きな窓があった。窓の向こうはバルコニーになっているようで、真っ白の手すりがあった。
 けれども、その窓も外側から鍵がかけられているのか、開けることはできない。

「……どうしよう」

 何度目か分からないため息をついて、リリアはソファに腰を下ろす。テーブルの上には、朝食というには豪華すぎる食事が並んでいた。
 それをじっと眺めているとお腹が空いてくる。
 のろのろと手を伸ばして、少し冷めてしまっているパンをちぎって口に入れる。冷めていても十分すぎるくらい美味しかった。

 どうしてこんなに良くしてくれるのか、理由が分からない。こんなに良くしてくれるのに、どうして監禁みたいなことをするのかも。

 クヴィスリン宰相は、リリアを聖女だと信じているのだろうか。数回しか会っていないというのに?
 あの王太子ですら、リリアではなくシルカが本物の聖女だと、そう言ったというのに。

「そういえば、シルカはどうしてるのかなぁ」

 きっと今、リリアはシルカのそばにいる。手を伸ばせば届くくらい、近くに。
 あの理由のわからない契約書のことだって、知りたかった。
 シルカが何を考えていたのかも。
 どうして、リリアには何も言ってくれなかったのかも。

 リリアは大きな窓を見つめる。逃げるとしたら、きっと、ここしかない。

(でも、だめ。ちゃんと考えなきゃ。ボスならきっと、そうする)

 短い期間ではあったけれども、リリアはたしかにグレイの近くにいた。その仕事ぶりを見てきた。
 細かいことは分からなかったけれども、グレイが念入りに計画を立てることは知っていた。じっくりじっくり、獲物を追い詰めるように、徹底的に囲い込むのだ。リリアにそうしたように。

 リリアがここから逃げ出すのなら、きっと、チャンスは一度だけ。
 それをムダにしないためにも、屋敷にいる人の数や、道を知らなければ。

 リリアはギュッと唇を引き結び、覚悟を決めた。と、同時に、部屋の中に扉をノックする音が響く。
 リリアは驚いて立ち上がり、扉を見る。しばらく待つと、また、ノックが響いた。

「……ど、どうぞ」

 リリアがおそるおそる声をかけると、ゆっくりと扉が開いていく。
 扉の隙間から、ゆっくりと人影が現れる。顔を出したのはふくよかなおなかと、立派な白いヒゲが印象的な、ルーザー・クヴィスリン、その人だった。
 リリアは息を飲んでしばらく固まったのち、ハッとして慌てて頭を下げた。

「あ、えっと。お、お招きくださり、ありがとうございます……?」
「よいよい。ああ、食事の途中だったのか。すまないねぇ、お邪魔だったかな?」
「え、あ、いえ……」

 リリアは力なく首を振って、リリアの前のソファを進める。いそいそと腰かけたクヴィスリン宰相は、リリアを見てにこにこと表情をゆるめた。

「きみが無事でよかった、リリア」

 リリアは眉を下げて笑って、そのまま黙り込む。悪意は感じなかった。それどころか、あるのは純粋な善意だけに思えた。
 やり方は、とても、横暴だけれども。

「部屋はどうだね? なにか気に入らないところがあればすぐに言いなさい。必要な物は足りたかな?」

 リリアは大丈夫だと首を振り、そして言葉にするか迷ってから、口を開く。

「……あの、どうして、宰相様はそこまでしてくださるのですか? 私は、国外追放となった身です」

 リリアがそこまで言うと、クヴィスリン宰相はキッと目を釣りあげてテーブルを叩いた。

「きみが国外追放などありえないっ! あの王子は本当に無能だな!」

 クヴィスリン宰相は鼻息荒く語尾を強めて、やがてハッとしたように笑う。

「すまない。少々頭に血が上ってしまった」
「い、いえ」
「きみを庇う理由だったかな?」

 リリアがうなずくと、クヴィスリン宰相は苦笑いをして、目を細めた。リリアを見ていたけれど、見ていないような、リリアの向こう側を見ているようにも見えた。

「そうだね。正直に話すのなら、私情だよ」
「……え?」

 クヴィスリン宰相は一度目を伏せると、その顔に影を落とし、哀愁をにじませた顔で微笑んだ。

「私は、私情を捨てきれない、ダメな男さ。国の上に立つには、相応しくないのかもしれないね」

 それだけ言うと、クヴィスリン宰相は立ち上がり、「今度は夕食を一緒に食べよう」と、そう言って部屋を出ていった。
 残されたリリアは、ぽかんと口を開けて、扉を見ていた。そしてしばらくして、頭を抱える。
 クヴィスリン宰相は、私情でリリアを助けたと言う。

 それはつまり、リリアが聖女だと確信していたから助けた訳ではない、ということだろう。

 いろんなものが、上手く噛み合いそうで噛み合わない。そんな不快感があった。
 シルカが聖女だと名乗ったのも。
 グレイがリリアを助けたのも。
 クヴィスリン宰相がリリアを匿おうとしたのも。

 繋がりそうで、繋がらない。
 リリアが知らないところで、たくさんのことが動いているような感覚だ。
 リリアだけが、何も知らない。
 蚊帳の外で、事の成り行きを見守るしかできないような、疎外感を感じた。

 そうして、よくわからないまま、リリアはクヴィスリン宰相の邸宅で過ごすことになる。不自由なことは何ひとつなかった。外に出られないことさえのぞけば。

 リリアが逃げ出す機会をうかがいながら過ごしていた、三回目の夜。
 外が恋しくて、リリアは大きな窓から外を眺めていた。
 月明かりが眩しく、リリアの顔を照らす。空が恋しくして仕方がなかった。今のリリアは、翼をもがれた鳥のようだ。いいや、はじめから、リリアに翼なんてなかったのかもしれない。
 いつだって、リリアは流れに身を任せていた。よく言えば従順。悪く言えば無気力。リリアは自分から何かを望んだことなんてほとんどなかった。聖女に選ばれたときだって、いつのまにかそうなってしまっていただけだ。リリアがそうなりたいと望んだものではなかった。

 ──『おまえは、自分の命に、興味も関心もないんだな』

 そう言っていたグレイを思い出す。その通りだったのかもしれない。リリアは、これまで生きることに執着したことなんてなかった。与えられたものを何も疑問に思うことなく受け取る。そうやって生きてきた。それが悪かったとは思わないけれども、リリアはもう、知ってしまった。
 何かを欲しいと、望むこと。
 知りたいと、そう思うこと。
 そしてきっと、誰かを愛おしいと思うこと。

 瞳の奥に、人としての願望をにじませ、リリアは空を見る。焦がれる星は、泣いてしまいたくなるほど美しかった。
 しばらく外を眺めていると、ふと、影ができた。驚いて前を見る。ガラス越しに、人と目が合った。

 青い、肩の辺りで切りそろえられた髪が、風に揺れていた。

 リリアは大きく目を見開いて、叫びそうになった口を両手でおおう。それを見た窓の向こうの人は、満足そうに微笑んで、指先でリリアの背後を示す。
 下がっていろ、という指示だと理解したリリアは、窓から距離をとって、その人を見守った。
 バキンッと、何かが壊れた音がした。どうやら、鍵を壊したらしい。
 そうして、ゆっくりと、窓が開く。
 開いた窓から、外の空気が流れ込んでくる。夜の涼しさをまとった、優しい風が。

 リリアは唇を震わせながら、その光景を見ていた。月の光に照らされて、影が部屋の中に伸びてくる。
 ざあっと風が吹き、リリアの長い金の髪を巻き上げた。視界がおおわれ、リリアは溺れるようにもがきながら髪をよけていく。目を離したくなかった。一時たりとも。目を離したら、幻のように、消えてしまうんじゃないかと思った。
 
 リリアは必死になって声を出した。夢ではないと、そう自分に言い聞かせたかった。

「……っ、シルカ!」

 やがて風が止み、リリアの視界も晴れていく。

 その名を呼ばれた青い髪をした少女は、堂々とした立ち姿で不敵に笑い、じっとリリアを見下ろしていた。


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