「わ、わたしが泣いていたから?」
メルティアは思わず自分を指さした。
「心ない噂に心を痛めて、毎日泣いていらしたでしょう」
「そ、そんなに泣いてないよ」
実際メルティアは毎日泣いた記憶はない。
仲が良かったはずの人がいなくなるときに泣いてはいたが。
「泣いていましたよ」
「……」
「いつも、心ない言葉を聞くたび。あなたは傷ついた顔をして、すぐになんでもないと笑っていました」
メルティアは混乱した。
笑っているのに泣いているとはどういうことか、と。
「だから俺なら……あなたを心ない言葉から護れるんじゃないかと思いました」
ジークがじっとメルティアを見つめる。
妙にドキドキして、メルティアは視線を彷徨わせた。
ジークはすぐに目をそらして、自嘲するように小さく笑った。
「ただ、予想外だったのは……あなたがいつまでも子どもだったことです」
「え。ど、どういう意味?」
「行きましょう、メルティア様」
話は終わりだと言いたげにジークはメルティアをうながして歩き出す。
メルティアは釈然としないままそれに従った。
足元はふわふわしていた。
ジークの声が、頭にこびりついている。
『俺なら……あなたを心ない言葉から護れるんじゃないかと思いました』
メルティアはきゅっと胸元をつかんだ。
たしかにジークがメルティアの騎士になってから、嫌な噂は減っていった。
ジークが問題ないのだから、やっぱり今までの人がおかしかったのではという雰囲気になった。
そして人が何人か入れ替わったのもあって、大きな騒動が起きなくなってから、そのことはだんだんと忘れられていくようになった。
今流れる噂といえば、恋の噂ばかりだ。
ジークがメルティアの騎士になってから約七年。
今ではもう、あの時のことを覚えている人がいるかどうかも怪しい。
覚えていたとしても、「おかわいそうなメルティア様」と、そういうだろう。
メルティアの騎士と言っても、騎士らしい仕事は何もない。
そう思っていたのに。
ジークはずっと、誰よりもメルティアの心を護ってくれていたのだ。
心の奥がぎゅっと痛くなる。
嬉しさと、同時に悲しさも湧き上がってきた。
もしも今、ジークのせいでメルティアの心は泣いていると伝えたらどうなるのか。
メルティアを好きになってくれるのか。
将来の伴侶にメルティアを選んでくれるのか。
そんな意地悪なことを思ったけれど、ジークを困らせるだけなのはわかっていたから。
メルティアは言えなかった。
メルティアとジークがメルティアの部屋にたどり着くと、すでに皿に盛りつけられたクッキーと、ピンクの花をあしらったティーセットが用意されていた。
メルティアに気づいたエルダーはパッと嬉しそうに顔をほころばせる。
「よかった。茶葉蒸らしすぎるかと思いましたよ。さあさあ座ってください」
バルコニーにある真っ白な椅子を引いてくれたエルダーにお礼を言って、メルティアは椅子に腰かける。
何も言わずともジークがメルティアの部屋から蜂蜜を取り出した。
淹れたての紅茶にたっぷりの蜂蜜とミルクを入れる。
いい匂いに釣られたのか、どこからともなくチーがやって来た。
「あ」
「へ? どうしました?」
「う、ううん、何でもないの」
メルティアの膝の上でチーがむしゃむしゃとクッキーを頬張っている。
チーは食べなくても問題ないようだが、一応味覚はあるようで、甘いものがあると勝手に食べることがあるのだ。
メルティアはさりげなく膝にいるチーを隠す。
どういう風に見えているかわからないが、おそらくクッキーが浮いているように見えるはずだからだ。
メルティアのちょっとした不自然さに片眉を上げたジークが、チラッとメルティアの膝を見る。
そして、そっと目をそらした。
ジークは部屋に戻ったかと思うと、白いひざ掛けを持って戻ってきた。
それをさりげなくメルティアの膝の上にかける。
「あ、ありがとう、ジーク」
「いえ」
エルダーは人数分の紅茶を淹れ終えると、メルティアの前の椅子に座った。
そして覚えた花のことやメルティアにもらった蜂蜜がとびきり美味しかったことなど面白おかしく話した。
メルティアも陽気な会話に楽しくなってくる。
「エルダーはお花が好きなの?」
「好きですよ。この国で嫌いな人のほうが珍しいのでは? 生まれたときから身近にありますし」
「そ、そっか! 突然異動になって、困ったこととかない?」
「とくにないですね。意外とこういうのも性に合っていたのかもって思いました」
急に仕事が花いじりに代わって、嫌じゃないかどうかメルティアは少しだけ心配していた。
でもエルダーは勉強熱心だし、メルティアのお願いもにこにこと引き受けてくれる。
もしかしたら、もっと仲良くなれるのでは、なんて欲が出てしまった。
「じゃ、じゃあね、聞いてみたいことがあるんだけど」
「はいはい、なんですか?」
「あ、あのね、妖精っていると思う?」
エルダーは目を丸くして、やがてカラカラと笑った。
「急にどうしたんですか」
「えっと……お花見てるとそんな気がしてこない?」
「あはは。そんなのいるはずないですよ」
メルティアは少しだけ肩を落とした。
突然妖精なんて言われても、普通はそうなるとわかっていたのに。
「でも、そうですね……。メルティア様みたいな妖精だったら、会ってみたい気もしますね」
「わ、わたしみたいな?」
「はい! 愛らしくて健気で美しい妖精なら見てみたいでしょう?」
まっすぐな瞳で笑いかけられてメルティアは反応に困った。
助けを求めるようにチラリとジークを見る。が、ジークは目を細めてエルダーを見ていた。
「メルティア様って、何かあるとジークを見るの癖ですか?」
「えっ!」
「困ったりしたときに必ずジークを見てますよ。自覚なかったですか?」
「えっと……そうかな……」
チラリとジークを見そうになって、メルティアは慌てて視線をそらした。
言われてみたらそうかもしれない。
メルティアは何かあれば助けを求めるようにジークを見ていた気がする。
「でも俺もあなたの騎士なんですから。俺にも頼ってくださいね!」
「う、うん。もちろん」
気を抜くとジークを見てしまいそうになって、それからのメルティアはとにかく神経を使った。
何を話したかも、何を食べたかもあまり覚えていない。
お茶会が終わったときにはぐったりしていた。
その日はそのままお開きにして、二人には休んでもらうことにした。
メルティアは寝床でまるくなっているチーのもとに行く。
「チーくん大丈夫?」
チーは気だるそうに首だけ持ち上げてメルティアを見る。
「メル、オイラもそばに置くのはジークだけがいいと思うぜ」
「えっ。急にどうしたの?」
「メルの自由にしたらいいと思うけど、今のオイラたちじゃ助けてやれるかわからないからな」
「……やっぱりチーくん体調悪いの?」
妖精の医者とかいるのだろうか。
メルティアはチーの額に人差し指を当ててみる。冷たい……。
妖精の体温は常に低いこともあってまったくわからなかった。
「良くはないけどそのうち治るだろうから心配しなくていい」
「そのうち治るの?」
「たぶんな」
それだけ言ってチーはすやすやと眠り出した。
苦しそうな寝顔ではないものの、明らかに寝る時間が増えているのは心配だ。
メルティアは少しだけ迷って、やがて部屋を出る。部屋を出てすぐ、また迷った。
そして、のろのろと自分の前の部屋に近づいて、ノックをしようか迷っていると、それより先に扉が開く。
「……メルティア様? どうされました?」
ノックの前に開くと思っていなかったため、メルティアはびっくりして固まる。
メルティアの目の前はジークの部屋だった。
ジークがメルティアの騎士になって数年経ったころ、ディルが特別に与えたものだ。
信頼度の高さがうかがえる。
ジークはいつもの騎士服の上着を脱いで白いシャツ姿になっていた。ボタンもいくつか外れているのでくつろいでいたらしい。
「ご、ごめんね、お休みって言ったのに……」
「いえ、構いませんが。何かありましたか?」
ジークはさり気なく周囲に視線を這わせる。
「あのね、最近チーくんが調子悪いみたいなの。それで、少し調べ物したくて、書庫に行きたいんだけれど、付いてきてもらってもいい?」
「もちろんです」
すぐに上を着たジークが戻ってくる。首までボタンも閉められていつも通りだ。
メルティアはジークと書庫に向かいながら申し訳なさそうに体を小さくした。
「休んでたよね? ごめんね。エルダーに頼もうかなとも思ったんだけれど、チーくんのことだからジークがいいかなって」
「そういう仕事ですし、気にしないでください。チーはそんなに具合が悪そうなのですか?」
「なんかね、ずっと寝てるの」
「いつ頃から?」
「ん、と……エルダーが来るちょっと前くらいからかな?」
そのころからチーは眠そうにあくびをすることが増えたように思う。
「チーくんのベッドを用意してるんだけれどね、そこで寝たり寝なかったり気まぐれなの。でも最近は、ずっとそこで寝てて……」
「他の妖精たちは?」
「見かける数は減ったかな……」
言われてみたら全体的に妖精の数が減っている気がした。
「最近よく花も枯れますし、なんだか嫌な感じがしますね……」
話しているうちに書庫へと到着する。
書庫の管理者たちがメルティアの来訪に驚き、会釈をしながら「何事か」と目で会話していた。
「あ、調べものがあるだけだから気にしないでください……」
メルティアはそう言ってそそくさと奥に向かった。
ファルメリア王国の書庫はそこまで大きいわけではないが、ある程度の調べものができる程度にはそろっていた。
「何を調べますか?」
「妖精について……なんてないよね……」
「あるとは思えませんが……探してみましょうか」
ジークと手分けして本棚を見ていく。
妖精の生態について書かれた本はなく、妖精が登場する本といえば、童話や小説といった創作ばかりだった。
ジークは花についても調べていたが、そもそもメルティアの育てている花たちが異常なためあまり参考にはならなかった。
「ジークそれは?」
「ああ。どうやら古い物みたいで読めない文字で書かれていまして。古い書物ですし、解読すれば何かわかるかと」
ジークが手に持っていたボロボロにすり切れた革の本を差し出してくる。
「どうやら後から革で補強しているようなんです。重要なものなのでしょう」
メルティアはジークの説明聞きながら、ボロボロの本を丁寧に捲った。
そして、目を瞬く。
「あれ……わたし、これ読めるよ」
ジークが固まった。
「本当ですか?」
「う、うん」
「この文字を習ったことがあると?」
「……な、ないと思う」
メルティアにもどうして読めるのかわからなかった。
でも、文字を見たときになんとなく意味がわかったのだ。
「なんて書いてありますか?」
「えっと……待ってね。えーと、2月20日。今日も多くの農地で不作らしく食べるものがない。山に何かないか探しに行った。ちなみに野草の調理方法は……なんかレシピが書いてある」
「……」
「えっと、他のページも見てみるね!」
メルティアはペラペラとページを捲る。
「3月7日。ついに食べものをめぐって争いが起きた。城の兵士だけでは足りないらしい。手柄を立てたら公爵の地位と領地がもらえるそうだ。せっかくだから応募してみようと思う。……だって。日記みたい。公爵ってなんだろう?」
「他国ではたまにあると、ディルから聞いたことがあります。王族、貴族、平民に位がわかれていて、平民と貴族は会話することもほぼないとか」
「……なんだかギスギスしてそうだね」
メルティアはパラパラと捲りながら需要そうなところを探す。
「あ……」
「何かありました?」
「3月20日。戦で出かけた地で穴に落ちた。そこはまだ緑が多く残っていて、不思議な生き物がいた。青い肌に四枚の透明の羽。空想の妖精と言われるものだろうか」
メルティアはパッと顔を上げる。
ジークも考えるように顎に指をあてた。
「……妖精が見えてた人物なのか。続きは?」
「う、うん。そこで美しい女神に出会った。どうにか対話を試みたが興奮していて手に負えない。このまま死ぬかもしれない。だって……」
「そこで終わってると?」
メルティアはページを捲ってうなずく。その先に文字はない。
「死んじゃったのかな……」
「どうでしょう。かなり過酷な時代だったようですし、そもそも生存確率は低い気がしますね。ただ……」
「ただ?」
「どうしてそんな日記が城の書庫にあったのか不思議です」
「たしかに……」
メルティアは革の表紙を撫でる。
誰かがわざわざ補強しているほど大切なものということだ。
それから、他にも古い文字で書かれているものがないか探してみたが、とくになかった。
いくつかあるにはあったが、読めなかったのだ。
「ごめんね、ジーク。付き合わせちゃって」
「いえ。それよりその日記持っていかれるのですか?」
「え? う、うん。チーくんなら何かわかるかなと思って」
メルティアは手にボロボロの革の本を持っていた。
「たしかにチーなら知っているかもしれませんね」
ジークと部屋の前でわかれて、自室に戻ったメルティアは、ベッドでうつぶせになりながら革の本を読む。
今では想像もできないような過酷な時代だ。
食べるものもなく、人が殺し合う。
そんな人が何を思って生きたのか、少しだけ知りたかった。
「ん……あれ、メルそれ」
「あ。チーくんおはよう! これね、書庫で見つけたの? チーくん何かわかる?」
「……まぁね。それ、最後のページは見たのかい?」
「え? 何かあるの?」
メルティア本を裏返して、反対からページを捲っていく。
何ページか捲ったところで、よろよろの振るえた文字で続きが書かれていた。
「日記を書いていたことも忘れていた。もしもこの日記をあなたが見ることがあるのなら、どうか、これからも世界を愛してほしい。愛している。……ラブレター?」
「そんな感じだろうな」
メルティアはさらに下に文字があるのに気づいた。
「ジークハルト・P・ファルメリア……ご先祖様の日記だったの?」
「ジークはこの国の初代王さ。まだそんなものがあったとは。本当にもの好きだな」
チーはそう言って大きなあくびをした。
メルティアは最後のページの文字を食い入るように見つめた。
そして『愛している』の文字を何度もなぞる。
「これは、王妃様に宛てたものってこと?」
「そういうこと」
「そうなんだ。……いいなぁ。好きな人と結ばれたってことだよね」
叶わない恋をしているメルティアには、眩しくてしかたがなかった。
羨ましくて、何度も愛しているの文字をなぞった。
その日、メルティアはその本を枕元に置いて眠った。
ご先祖パワーで何かご利益があるのではないかと期待をした。
そして起きて、最後のページを読んではその文字をなぞる。
そして気づけばメルティアはその本を常に持ち歩くようになっていた。