「メルティア様……またその本をお持ちになっているのですか」
朝迎えに来たジークが、メルティアに鉢植えを渡しながら呆れた顔をする。
派手な化粧と服に飽きたと思ったら、今度はボロボロの本に夢中になっているのだから、メルティアの情緒が心配だった。
「だって、なんだかいいことがありそうなんだもん」
「そうですか? 生きるのにも必死な感じでしたし、むしろ不幸が降り注ぎそうですが」
辛辣なジークの言葉にメルティアは口を尖らせる。
「ジークにはわかんないもん」
メルティアはベーっと舌を出して本を抱きしめた。
最後のページがあることを、メルティアはジークに伝えていなかった。
ご先祖様の大切な恋文を見せびらかすのは良くない気がしたからだ。
メルティアはジークと二人でガラスハウスに向かいながら、さりげなくジークに問いかける。
「ジーク、最近ちゃんとお家に帰ってる?」
「……たまに顔を出したりはしますよ」
「そっか! ならよかった」
メルティアの騎士が二人になって、ひと月が経とうとしていた。
それまで大きな問題もなかったため、メルティアは当初の予定通り、ジークの休みを増やすため交代制にしたのだ。
今までの分を埋め合わせるように、メルティアはジークの休みを多くした。
ジークはたまにふらっとどこかに出かけたりと、休みを満喫しているらしい。
「メルティア様こそお変わりはありませんか?」
「うん! 大丈夫だよ。むしろエルダーがすごくやる気でね、もう少しジークのお休みを増やしてもいいくらい」
エルダーから通常は週に三日くらい休みがあると聞いていたメルティアは、これまでの七年、本来だったらあったはずのジークの休日を計算してみた。
そうしたら、丸三年ほどジークは休みをもらってもいいくらいだったのだ。
その数字を見たときメルティアはよろめいた。
自分がどれだけジークを拘束してわがままで振り回していたか、数字として突きつけられたのだ。
「エルダーがね、自分が頑張るからジークに長期休暇を与えたらどうですかって」
「俺は休みがほしいと言ったことはないはずですが」
「……で、でも、ジーク三年分くらい本当はお休みがあったんだよ……」
メルティアはとても言いにくそうにもごもごと口にする。
「そ、それに長期休暇なら旅行とかも行けるよ。あの人と……」
「あの人?」
「前にジークと一緒に会ったきれいな人。あの人と結婚するんでしょ?」
ジークは「ああ」という顔をして、なんでもなさそうに口にする。
「それでしたら破談になりました」
「……え。え!?」
メルティアの足が驚きで止まる。
ジークが振り返って不思議そうに首をかしげた。
「言ってませんでしたっけ」
「言ってないよ! ど、どうして?」
「まぁ、条件の不一致と言いますか……」
「じょ、条件?」
メルティアは目を白黒させた。
突然世界がひっくり返ったような衝撃だ。
手に持っていたご先祖様のラブレターをぎゅっと抱きしめる。
「で、でもジーク、その人が好きだったんじゃないの?」
「そんなこと一言も言っていないはずですが」
「だって、ジーク、好きな人いるでしょ?」
「……」
ジークが目を細める。
「どうしてそんなことを?」
「だって、前に好きな人いたんだって聞いたら、こめかみがきゅってした」
「こめかみ?」
「ジーク、図星のとききゅってする」
「……」
ジークがすごむようにメルティアを見た。
「じゃ、じゃあ、ジーク好きな人と結婚しようとしてたわけじゃないの?」
「好きな人なんていませんよ」
「うそ。うそだもん。わかるもん。ジーク嘘つくと鼻のとこぴくッてする」
「……なんでそういうところばかり見てるんですか」
ジークが嫌そうにメルティアを見た。
毎日ジークのことばかり見ていたらいつの間にかわかるようになってしまったのだ。
「ジークが好きな人と結婚すると思ってたから……だから……」
応援しようとしていたのに。
メルティアはボロボロの本をぎゅっと抱きしめる。
「……仮に好きな人がいたとして、どうこうなる気はありませんよ」
「ど、どうして?」
「俺が、俺だからです」
「どういう意味?」
「そのままですよ。ほら行きましょう、メルティア様」
無理やり話を打ち切られて、メルティアはとぼとぼと歩き出す。
ジークに好きな人がいるのは間違いない。
でもどうしてか、ジークは好きな人を諦めている。
叶わない恋をしているということなのだろうか。
だとしたら、相手はメルティアじゃない。
だって、メルティアは5歳のときに告白をしている。
「ジークのお嫁さんになりたい!」と、はっきり言ったのだ。
そのときジークは「あと十年くらいしたらまた考える」と約束してくれた。
メルティアはそれを結婚の約束だと信じてきたけれど、気づけばジークは別の人と結婚しようとしていた。
ジークはあの約束を忘れてしまったのだろう。
それか、もしかしたら。
覚えていたから、ジークはこのタイミングで別の人との結婚を考えているのかもしれない。
メルティアに諦めろという、無言のアピールとして。
なんだかそれが一番しっくりくるような気がした。
「ジークの好きな人って、どんな人?」
「好きな人なんていませんよ」
「……うそつき。どんな人かくらい、教えてくれてもいいのに」
ジークが疲れたようにため息をつく。
踏み込みすぎただろうかと、メルティアはドキドキした。
ジークはしばらく黙り込んで、やがて小さな声でぽつりとつぶやいた。
「……可愛らしい人ですよ」
「……派手な人じゃないの?」
「まったく」
なんということだ。
それならメルティアが必死にしていた化粧や服に微妙な反応をしていたのもうなずける。
「告白とかしないの? 頑張ってみたら、変わるかも」
「変わりませんよ、何も」
「でも……」
「どうにもならないことだって、この世にはあるんですよ、メルティア様」
「……」
メルティアにもそれはわかった。
とくに恋に関しては人一倍痛感している。
頑張ったって、相手が好きになってくれるとは限らない。
両想いは奇跡のような出来事だって、メルティアは嫌というほど知っている。
「じゃ、じゃあ、ジークは、結婚する人は誰でもいいの?」
誰でもいいなら、メルティアでもいいんじゃないか。
そんな邪な気持ちが膨れ上がる。
ぎゅっとボロボロの本を抱きしめて、メルティアは上目にジークを見た。
「……誰でもいいわけではありませんよ。誰でもいいなら破談にはなっていません」
「た、たしかに」
正論に真っ二つに切り裂かれる。
邪な思いはどこかへと消えていった。
そうこうしている間にガラスハウスに到着した。
さっそく、ジークが枯れた花を摘みはじめる。
メルティアはなかなか動けなかった。
ジークに幸せになってほしいと思っていた。
ジークが幸せなら、それでいいと思った。
それなのに、ジークは片想いをしていて、好きな人ではない人と結婚しようとしている。
あまりにも複雑すぎて、メルティアはどうしたらいいのかわからない。
ジークが叶わない恋をしているのなら、振り向いてもらえるように頑張ったらいいのか。
それとも、ジークの恋を応援したらいいのか。
権力を笠に着て無理やり結婚したらいいのか。
ぐるぐると考えては、メルティアは目をまわす。
「……ディルにぃ、今どこにいるの?」
どこかへと旅立ってしまった兄の名前を虚しく呼んだ。