「あっ! メルティア様よ!」
自分を呼ぶ声が聞こえて、メルティアは振り返る。大きな花壇を挟んだ向かい側には、きゃっきゃっと話に花を咲かせる貴婦人が三人いた。
「こっち見たわよ。今日もお可愛らしいわねぇ〜」
「あ〜ん、娘に欲しい」
メルティアは軽く微笑んで会釈する。熱を上げてく貴婦人たちの会話からさりげなく距離をとった。
そんなメルティアの周りを、ふよふよと一匹の生きものが飛んでいた。小さな人型をしているが、その肌は青く、背中には透明な羽根が四枚生えている。
「きゃ〜っ、かわいらしい〜! だって、メル」
わざとらしい甲高い声でそういって、青い生きもの、チーはニヤニヤと笑う。
メルティアは声をひそめ、周りからはわからないようにこそこそと会話する。
「もう、チーくんからかわないで」
「からかってなんかないさ。オイラは本当のことを言ってるだけだぜ? メル」
メルティアは小さくため息をついて、きょろきょろと周囲を見回した。
「チーくん、まだ咲いてない?」
「もうすぐ」
「急がないと……!」
メルティアは言いながら歩みを速める。多くの人が見ているので、上品さも忘れない。優雅に、かつ迅速に、薔薇園の土を踏む。
「でも、ジークに知られたら怒られるぜ?」
「それは……チーくんが今咲きそうって言うから」
「咲きそうなのは本当。ジークに怒られるのも本当」
メルティアの専属騎士であるジークは、今はいない。
昨日取れた蜂蜜をジークの家に届けてほしいと、メルティアがお願いしたのだ。
最近ジークが家に帰っていないことを、メルティアは知っていた。だから適当に理由をつけて、ジークの家族に顔を見せるようにしたというわけだ。
ただし、ジークがいない間、部屋から出ないという条件付きで。
チーはメルティアの周りをくるくると回ると、ニヤリと妖しく笑った。
「今回のメルは、本当に運がないねぇ」
「えっ、どういうこと?」
と、そのとき、遠くから黄色い悲鳴があがった。メルティアは肩を跳ねさせ、声のした方を向く。
たくさんの女の人たちが、きゃあきゃあと囁きあっている。
その話題の中心人物になっていたのは、メルティアもよく知っている人だった。
「じ、ジーク……」
小さな声が聞こえたのか、ジークがメルティアの方を向いた。そして、わずかに目を細め、メルティアのもとまで大股で歩いてくる。
メルティアは、ジークの体から沸き立つ怒りのオーラにおののき、一歩後退った。
「チーくんどうしよう! ジーク怒ってるよ」
「だから言ったろ? 怒られるって」
「帰ってきてるの知ってたなら教えてよぉ」
「いつまでも人に頼ってちゃダメだぜ、メル」
「チーくんは妖精でしょ」
「そこはノリってやつさ」
くだらない小競り合いをしている間に、メルティアの前に影ができる。メルティアはピタリと止まって、そぉっと視線を上げた。
黒い艶やかな髪に、きりっとした目元。形のいい眉をぎゅっと寄せ、ジークはメルティアを見下ろしていた。
手に持っている鉢植えがなんともアンバランスだ。
「メルティア様。今日は開放日だからおひとりで外には出ないよう、申し上げたはずですが」
メルティアは迫力にのまれて一歩後ろに下がった。
「ご、ごめんね、ジーク。でもチーくんが、ティアナローズが咲きそうだって」
ジークの片眉がぴくりと動く。
「あぁ……メルティア様がたいそう大事にされていたあの……」
「う、うん。あのお花はね、一瞬で咲いちゃうの。しかも気まぐれでね、一年のうちいつ咲くかもわからなくって……」
メルティアはもごもごと言い訳を並べる。だが、圧に負けたのか、やがてしゅんと肩を落とした。
「ご、ごめんなさい……」
「……本当に花がお好きですね。こちらこそ、お側を離れて申し訳ありませんでした」
「えっ! ジークは悪くないよ。わたしがお願いしたんだから」
「それでも。俺はあなたの護衛ですから」
『護衛』
その言葉が小さくルティアの心に刺さる。主従以外の関係になりたいと、メルティアはずっと望んでいるのに、それが叶う気配は今のところない。
幼いころに小指を絡めてした約束の日は、とっくに過ぎているというのに。
「うん……。ありがとう、ジーク」
複雑な気持ちを押し殺したまま、メルティアは情けなく笑う。
そのままうつむいたメルティアに、綺麗なオレンジの花が咲いている鉢植えが差し出された。
パッと、メルティアの表情が明るく変わる。
「わあっ。綺麗。今日はカランコエ?」
「はい。鮮やかなオレンジで可愛らしいでしょう」
「うんっ」
差し出された鉢植えを受け取ろうとした瞬間、きゃあっと大きな歓声が響いた。
驚いて手を滑らせたが、鉢植えが地面に落ちることはなかった。触れてはいないけどふわふわと浮いている。メルティアの手の高さで止まっているから、周りから見たらメルティアが持っているように見えるだろう。
「び、びっくりした。ありがとう、チーくん」
メルティアは鉢植えを持ち直し、ひそひそとチーにお礼をいう。
「どーいたしまして」
チーは言いながらメルティアの肩に座った。そして、カランコエの花を見下ろす。
「ふぅん。今日はカランコエか」
「綺麗だよね」
「呑気だなぁ、メルは」
チーはやれやれと、わざとらしく肩をすくめる。
「オイラ、ジークはロマンチストだと思うよ」
「え……?」
メルティアは心の中で、「ジークはロマンチスト」という言葉を繰り返す。
花からそっと、ジークに視線を移した。
どこか冷たくも見える顔立ち。いつも敬語で話す真面目さ。どうひっくり返しても、ロマンチストには見えなかった。
「どうしました?」
「う、ううん。なんでもないの。そんなことより、早く行こう?」
こんなことをしている場合じゃなかったと、メルティアは鉢植えを抱えたままそそくさと歩き出す。そのななめ後ろにジークが付き従った。
メルティアとジークが歩き出すと、多くの視線が注がれた。
今日は王城開放日だ。いつもならいない人がたくさんいる。
ファルメリア王国の城には王族やその従者が暮らしているが、広大で美しい庭園があるため、月に一度、民間人が観光できる日を設けていた。遠方から足を運ぶ者もいるくらいだ。
ファルメリア王国の国民たちは、なによりも自然を愛していた。
金銀財宝よりも花。肉よりも花。一に花、二に花、三に花。
だが、そんな花よりも、ときにはうわさ話が勝ることもあった。
「はぁん、可愛らしいメルティア様と、かっこよくて凛々しいジーク様。お似合いだわぁ」
前方からかすかに声が聞こえてきて、メルティアの耳はピクリと反応する。ジークとの話題キャッチ能力だけはチーよりも上だ。
メルティアはさりげなく歩く速度を落としながら、注意深く聞き耳をたてた。
「ジーク様がメルティア様の騎士になる前から、お二人は一緒にいたのでしょう?」
「幼なじみですって」
「お似合いよねぇー」
メルティアの頰がだらしなくゆるんでいく。心の中で激しくうなずいた。
「あら、でもジーク様はランスト家の次男でしょう? お似合いというのなら、長男のベイリー様だわ!」
「あーん、ベイリー様も素敵。ジーク様と正反対な、柔らかで繊細な雰囲気が上品よねぇ」
「今はディル様とご一緒なのでしょう? いつ戻られるのかしら。さみしいわ」
メルティアはその話を聞いて、ちょっとむぅっとする。心の中で大きくバツを作りながら、断固ジーク派のメルティアが首を振っていた。
「メルティア様とベイリー様も、幼いころからご友好があるのでしょう?」
貴婦人たちはハッとした顔をする。顔を見合わせ、ゴクリと唾を飲んだ。
「まさか……」
「三角関係!?」
「きゃーっ! 素敵! 泥沼化したラブロマンス」
「考えるだけでゾクゾクしちゃうわぁ」
きゃっきゃっとはしゃぐ貴婦人たちの声に、メルティアはさらにむぅっと口を尖らせた。そして、ちらりと後ろのジークを見る。
「どうされました?」
「う、ううん。なんでもないの」
今の会話、ジークには聞こえなかったのだろうか。顔色ひとつ変わっていない。
メルティアは心の中でため息をついた。
「お嫁さんにしてくれるって、約束したのに」
メルティアのふてくされた小さな呟きに、チーだけが反応する。
「そんなこと言ってたかい?」
多少脚色はしたけれど、同じようなものだ。メルティアはうんうんとうなずいた。
「ふぅん。でも、ジーク、結婚するんだろ?」
ビシッと、メルティアの時が止まる。
引きつった顔で、肩に乗っているチーを見た。
「チーくん? 今、なんて……」
「だから、ジーク結婚するんだろ? 知らなかったのかい?」
「し、知らない……」
「オイラたち妖精の間じゃ、今この話題で持ちきりさ。号外号外~! ジーク、まさかの結婚?! メル、振られる! ってね」
どこぞのゴシップのような話題にメルティアは真っ白になった。
「うそ…………」
青白い顔をしたまま、メルティアは振り返る。
「メルティア様? どうされました?」
訝しげな顔をするジークを、メルティアは祈る気持ちで見つめる。
否定して欲しいと、望みをのせて、小さく口を開いた。
「ジーク、結婚するの?」