目的地のハルデナまでに、メルティアたちは三回宿に泊まった。
その間にメルティアが期待していたようなロマンスが起こることもなく、何もないまま順調に過ぎていった。
考えてみれば、ジークはメルティアの前の部屋なのだから、今さら宿に泊まったところで何が起きるはずもない。
メルティアはもう間もなくハルデナに到着するという馬車の中で、ぼんやりと窓の外を見ていた。
どこからだったか正確には覚えていないが、いつの間に草木が減っていた。
もちろん、花もない。
むき出しの地面に、風で削れた石や砂がゴロゴロ転がっている。
「この辺りはとくに揺れますね。お体は大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫だよ」
ガタガタ揺れて乗り心地は良くないが、文句を言ったってしかたがない。
「すでに異常があらわれていますね」
メルティアと同じように窓の外を見て、ジークは観察するように目を凝らす。
「なにかおわかりになりますか?」
「うーん……。どうだろう?」
「気になることは?」
メルティアは小首をかしげた。
「妖精があんまりいないかな? でもいつもの状態を知っているわけじゃないから……」
「チーはなんと?」
「……寝ちゃってるよ」
「……」
チーは少し前からスヤスヤと心地いい寝息を立てていた。
メルティアの膝の上で体を丸めてぐっすりだ。
「着いたら起きてくれると思う。……たぶん」
「妖精があまりいないとなると、妖精たちに原因を聞くのも難しそうですね」
「うん……大丈夫かな……」
メルティアは情けなく眉を下げた。
王家の役目として解決をしなければならないが、外を見れば見るほど解決できるのか自信がなくなってきたのだ。
殺風景な道のりが不安を煽っていく。
それに、いつも花に囲まれていたから、花がないとなんだか落ち着かない。
「ダメなら帰ってくればいいとおっしゃっていましたし、そう気を張らなくても大丈夫ですよ」
「う、うん……」
浮かない顔のままメルティアは外をながめる。
そうして馬車に揺られ続け、ようやくメルティアたちはハルデナに到着した。
「お手を。足元に気を付けてくださいね」
「う、うん。ありがとう」
先に馬車から降りたジークの手を借りてメルティアも馬車を降りる。
まずは簡単に街を見て回ろうということで、メルティアたちは街の入口で馬車を停めた。
立派な馬車の来訪に街の人たちは驚き、王家の証の牡丹と薔薇の紋章を見て息をのむ。
メルティアは地面に足をつけて、ぐるっと辺りを見回した。
緑はあるにはあるが、花はない。何もない花壇が無数にあるのが目につく。
メルティアは近くにあった花壇に近づいて、そのまましゃがみ込んで土に触れた。
少し掘って、手の上で土の感触を確かめるようにじっくりとこすり合わせる。
「どうですか?」
「とくに変なところはないと思うけど……」
「けど?」
「なんだか……空気が……少し違う気がする」
「空気?」
ジークは空を見上げた。とくに異常はない。
メルティアが土をじっと見つめていると、遠巻きにメルティアたちを見ていた人の中から慌ただしく一人の男性がやって来た。
白髪の短い髪に、灰色の瞳が焦りに揺れている。
「メ、メルティア様! いらしていたのですか! ご挨拶が遅れて大変申し訳ございません!」
メルティアは立ち上がって、「こちらこそ勝手に触ってすみません」と頭を下げる。
「こらこら王族が簡単に頭を下げるものじゃありませんよ。ご挨拶が遅れました。現在この街の警備を任されております、ロイ・コンタットでございます」
名前を聞いたメルティアはピタリと止まって、小さく息をのむ。
そしての顔をまじまじと見た。若々しかったころの姿が、かすかに重なる。
「わたしの……護衛をしてた……?」
ジークの眉間がキュッと険しくなる。そして、さりげなくメルティアのそばに寄った。
「はい! そうでございます! その節は大変に、大変に申し訳ございませんでした!」
ロイはその場で地面に頭をこすりつけるようにしてメルティアに頭を下げた。
それに慌てるのはメルティアだ。
とにかく注目されているしそわそわする。
「だ、大丈夫です」
ロイは顔を上げ、それでもペコペコと頭を下げて、そっと視線を動かす。
「ディル様は……?」
「いないよ。わたしだけ」
それを聞いたロイはホッと息を吐いて、町長の家へご案内しますと先頭を歩く。
そのあとに付いていきながら、ジークがメルティアに耳打ちをした。
「メルティア様の元護衛ですか?」
「うん。そうだよ」
「あの泣きながら家に来たときの?」
「違うよ。そのあとにね、優秀な人らしいってお父様が連れてきてくれた人。でも、いつの間にかいなくなっちゃってたの」
「いつの間にか?」
「なんかね、ディルにぃがすごく怒ってクビにしたっていうのは聞いたよ。でも詳しくは知らないの」
「ディルが……」
ジークは考えるように眉間にしわを寄せた。
「でもね、いい人だったよ。ディルにぃが忙しいときもいっつも一緒に遊んでくれたし、勉強も教えてくれたよ」
「あなたの言ういい人ほど信用できないものはありませんので」
「……ディルにぃみたなこと言う」
口を尖らせるメルティアにジークはどこ吹く風。前にいるロイの背中をながめていた。
「メルティア様は花の調査に?」
「うん。何か知ってる?」
「すみませんがあまり詳しくはないですね。今は街の警備で手一杯でして……」
「何かあったの?」
メルティアが首をかしげたそのとき、大きな悲鳴が響き渡った。
「うぁああああ! 助けてくれぇぇええええ!」
驚いて固まったメルティアをジークが素早く引き寄せる。
剣を抜いて、慎重に目を凝らした。
「すみません、メルティア様。この場でお待ちを!」
ロイが声のしたほうに走っていく。
メルティアはジークの腕の中で緊張に顔をこわばらせた。
「……何があったのかな」
メルティアのつぶやきを聞いたのか、街の老人が話しかけてきた。
「イノシシじゃよ」
「イノシシ?」
メルティアとジークは顔を見合わせる。
「最近、街の外から動物たちがやって来て畑を荒らしていくんじゃ」
「あまり聞いたことのない事例ですね。城には報告を?」
「出るようになったのは最近じゃよ。みんな王家との約束を守れなかったから罰が当たったと思っているんじゃ」
「そんなこと……」
ないはずだが、そういえばなぜ王家の役目に花を満たすことがあるのかをメルティアは知らなかった。
メルティアが考え込んでいると、メルティアのカバンの中に入っていたチーがもそもそと動いた。
メルティアは老人に頭を下げて、少し離れたところでカバンを開ける。
「チーくん、おはよう」
「おはよう、メル。もう着いたのかい?」
「うん。街はイノシシも出てるみたい。チーくん原因わかる?」
「わかるもなにも。寝てるんだろ」
ふぁっと大きくあくびをしながら、チーはふよふよと浮き上がった。
「街の花が枯れたのも、動物が街を荒らすのも、この街の妖精たちが眠ってるからさ」