【今世は継母として、双子が幸せに暮らせる場所を作ります】ピッコマ連載開始!

43聖地ファルメリア

 メルティアは息をのんで、自分の顎をつかんでいる皇帝を見つめた。

「わたしが来たら、何もしないはずじゃあ……」

 皇帝はメルティアから手を放し、おかしそうに腹を抱えて笑った。

「はっはっは! そんなことを信じていたのか?」

 メルティアの頭に金槌を打ち付けられたような衝撃が走った。
 うつむいて、ぎゅっと拳を握りしめる。

「約束。約束をしたじゃないですか。どうして」
「どうして? どうして、おまえたちとの約束を、わしが守る必要がある! わしは、いずれこの世界の王になる男だっ!」

 バッと両手を広げて、皇帝が高らかに宣言する。

「おまえもそれを近くで見られる。光栄だろう?」

 愉快そうに笑う声だけが、メルティアの部屋に響いていた。

『どうして約束を守る必要がある!』

 その言葉が、何度も頭の中に響く。
 ガンガンと頭を揺さぶって、ぐちゃぐちゃにかき混ぜていく。

 皇帝の不気味な声とは別に、違う声もした。誠実で、優しい声だった。

『国を作って、そこを楽園にする』
『ねえ、もういいよ。もう、わかったから。怪我してる』
『約束をした。あなたと』
『だから、もういいって……』
『俺が嫌なんです。あなたとの約束を、破るのが』

 目の前が、チカチカする。物が二重に見えた。
 頭が、痛い。

「おまえ、元の国に未練があるそうだな?」
「……」
「おまえの家族も、友も、もういない」

 頭の奥がひび割れていくような感覚がした。
 音が遠くなっていく。視界も狭まって、世界がぐわんぐわんと大きく揺れた。

 メルティアの呼吸はどんどん浅くなっていく。
 胸元に手を添え、はぁはぁと苦しそうに息をする。

 そんな様子に気づくこともなく、皇帝はニタリといやらしく笑って、メルティアに手を伸ばした。

「心置きなく、わしの元にくるといい」

 顎に触れられる直前、メルティアの中で何かがバキバキと壊れていった。
 メルティアの大切な丸い中心部。
 硬い頑丈な殻で覆われていたはずが、その殻がゆっくり削ぎ落とされていく。

「さわらないで」

 ふわりと、メルティアの髪の毛先がかすかに浮き上がった。
 ぐったりと眠っていたチーが飛び起きて、メルティアに向かって叫んだ。

「メルダメだ! オイラに命令して! そいつを殺せって」
「……」
「メル! 人間の姿で力なんて使ったら……」
「……」
「もうジークと一緒にいられなくなるかもしれないんだぞ!?」

 チーの言葉にうつむいていたメルティアはピクリと反応したが、すぐにその反応も消える。

「いいよ。だって、どうせもう、ジークとはいれないもん」

 ゆっくりと顔を上げたメルティアは、腕を横に一直線に振るった。

 ぐわっと風圧が発生し、強靭な肉体をしていたはずの皇帝を吹き飛ばす。
 そのまま勢いよく壁に激突し、皇帝は目を見開きながらメルティアを見た。

「おまえ……瞳の色が……」

 メルティアの黄金に輝いていた瞳は、透き通るようなピンクルビーに変わっていた。

「は、はは……バケモノが……」

 引きつった顔で恐怖と焦りをにじませながら皇帝はそうつぶやく。
 メルティアが怒りに瞳を揺らめかせたそのとき、慌てたように数人の兵が駆け込んできた。

「大変です! ファルメリア王国が!」
「なんだ!」
「砲撃が、当たりません!」
「は?」

 息を切らした兵が、手足を大きく動かして状況を報告する。

 顔色はとても悪かった。
 なにか、見てはいけないものをみたような。
 触れてはいけないものに触れてしまったかのような恐怖を浮かべていた。

「何を言っている。そんなわけあるか。腕が鈍ったんだろう! 役立たずめ!」
「違います! そうではありません! 何かに、何かに弾かれているんです!」

 それまで黙っていた兵が真っ青な顔でつぶやいた。

「精霊……」
「は?」
「精霊の怒りを買ったんだ。あそこは、何があっても犯してはならない、聖域だったのにっ!」

 怯えたように頭を抱えてうずくまる。
 ガタガタ震えながら手を合わせ、念仏のようなものを唱え始めた。

「馬鹿者! そんなものが本当にあるわけないだろう! ええい、どけ! わしが直々に滅ぼしてやる!」

 真っ青な顔をしている兵をどついて、どかどかと大きな足音を立てて皇帝が歩き出すと、どこからともなくバキバキとひび割れる音が聞こえてきた。
 そして、城の分厚い壁を突き抜けて、巨大な蔦が廊下に侵入してくる。

「うわぁああああ?!」
「お助けくださいお助けください私は何もしていません!」

 ガタガタ震える兵に見向きもせず、巨大な蔦は皇帝の体を絡めとった。

「な、離せっ! このっ!」

 カツン、カツン、と、足音がする。
 ピンクの瞳をしたメルティアが、皇帝にされたのと同じようにぐいっと顎をつかんで冷たく目を細めて笑う。

「……愚かな人」

***

 敵襲の報告を受けたディルは焦っていた。
 予想よりもずっと早い。
 きっと、どこかに軍を隠していてそのまま進軍してきたのだろう。

 城の最上階である屋上にやって来たディルは、遠目からでもすでに確認できる軍隊に舌打ちをする。

「ディル、どうするつもりだ」
「ひとまず、開門して。どこを突破してくるかわからないから、街の人の避難を。食料も確保して! 他の街にも通達を」

 ディルが手早く指揮を飛ばす。迷っている時間なんてなかった。敵はもう目の前にいるのだ。

「ベイ、騎士を集めて。弓矢を多く確保して!」
「御意」
「ジークはちょっとこのまま残って」

 ジークは肩透かしを食らったような顔を一瞬したが、すぐにうなずいた。

「この城は、要塞をイメージして作られてる」
「そうだったのか?」
「帝国と隔てるように建てられてるのさ」
「言われてみればそうだな」

 ディルは双眼鏡でのぞきながら頭の中に盤面を作り出す。

「この国は、もとは帝国領だったんだ」
「そうだったのか?」
「そう。戦争で手柄を立てた一人の男が領地をもらい、そしてとある条件をもとに独立をした」
「とある条件?」
「今ある異変を治めてみせる。それができたなら、領地を一切の不可侵区域として独立を認めてくれと」
「できたのか?」
「できたのさ。彼にしか、できなかった。それからこの国は外との関わりを断った、聖地になったんだよ」

 兵が集まる前に、帝国軍が城の前に来た。
 そして、持っていた銃を構える。

「おいディル」
「……ここからは、完全に賭けだけど。ジークも命かけてよね」

 ディルが冷や汗を浮かべながらそんなことを言う。

 そして、帝国軍が大きな砲台に火を灯した。
 ジリジリと縄が燃え、それはどんどん短くなり、やがて、ドォンっと耳をつんざくような音がした。

 巨大な砲丸が、城を、ディルたちめがけて、真っ直ぐ飛んでくる。

「おいっ、直撃するんじゃないか?!」

 ジークが焦った顔で剣を抜いて一歩前に出た。剣でどうにかできるはずもないのだが、それでも国の王子をやすやすと殺すわけにもいかない。
 せめて身代わりに、と、そんな気持ちだった。

 だが、その砲弾は、城に当たる前に、何かに溶かされたかのように光の粒となって掻き消える。

「……な、にが……」

 ジークは呆けた顔で今起きた不思議な現象を見ていた。

 すると、空から、オーロラのような不思議な光が城を包み込むように降り注いだ。
 キラキラと光る、優しい光の壁。

 帝国軍が続けざまに攻撃をしてくるが、それはすべて不思議な光に飲まれて消えた。
 敵軍に動揺が広がっていくのが伝わってくる。

 そんな帝国軍に、さらなる不幸が忍び寄った。

 ゴォゴォと地鳴りのような音が響きわたり、空から小さな竜巻が伸びてくる。
 やがてそれは意思を持っているみたいに帝国軍の周りをぐるぐると回転し、武器を根こそぎかっさらっていった。
 帝国軍たちは慌てふためきながら怒鳴り合う。

「な、なにが起きてる?!」
「……っせ、精霊……」
「……」
「聖地、侵すべからず。精霊の怒りを買いたくなければ。子どもでも、知っていることです。この国に手を出してはいけないことなど……っ、ど、どうして! 俺は帰るっ!」
「待て! 勝手な退却は任務違反……っうわぁあああ!?」

 一人、また一人と、敵が武器を投げ捨てて逃亡する。
 ジークとディルは驚きながらその光景を見つめていた。

「何が起きているのですか」
「……妖精」

 ディルはこの光景を見て確信する。
 バラバラだったパズルの最後のピースが、この光景を見た瞬間にピタッとハマった。

 そして、メルティアの言葉を思い出す。

『ジークの周りに、妖精がいっぱいいた』

 ディルは呆然と空を見ているジークを見据えた。

「ジーク」
「はい」
「これは僕の仮説だけど、ティアを救い出せる可能性があるのは、ジークだけ」

 ジークは何も答えられなかった。
 何を根拠にと言いたい気持ちもあったが、ディルがあまりにも確信めいた顔をしていたから言葉を飲み込んだ。

「この国は妖精たちに守護されてるけど、この場を離れた瞬間、きっと守護はなくなる」
「……」
「でも」

 ディルは、瞬きもせずジークを見すえた。

「きっと、ジークだけは別」

 ディルはジークの胸もとに指を突きつける。

「この国の初代王は、剣一つで成り上がったんだ。人間離れした剣技だったそうだよ」

 ジークは自分の腰に下げられている剣を見た。

「だけど、僕の予想では、彼は、愛されていたんだと思う」

 ディルは空を見上げて、見えないものを見ようとするかのように目を細める。

「たくさんの、妖精たちに」

 そして、顔をジークに向け、王のような威厳に満ちた顔で問いかける。

「ジーク、ティアのために死ぬ覚悟は、ある?」