その日、メルティアはファルメリア王国の正装である、白いロングドレスに身を包んでいた。
薄い布で作られたスレンダードレス。装飾はそう多くないが、透明な透ける素材があしらわれていて、光に当たるとそれが七色に光る。
メルティアはいつもよりも丁寧に横の髪を編み込んで、ピンクの薔薇、ティアナローズを挿す。
ジークも準備をしているだろうから、メルティアは一人で抜け出してガラスハウスに向かった。
服が汚れないように裾をまくって、中を歩き回って異常がある花がないか確認していく。
葉の色を見たり、匂いを嗅いだり。
そんなことをしていると、ガラスハウスの扉が開く。
「ティア」
「ジーク!」
「だから勝手に出歩くなと何度も……」
「大丈夫だもん。チーくんいるし、ジークも見えるんでしょ?」
「それは……見えますが」
そういうことではないと、ジークは険しい顔を崩さない。
「メル、ジークは心配で心配でメルと片時も離れたくないってさ」
メルティアはぽっと顔を赤らめて上目にジークを見た。
「そうなの?」
「まぁ、だいたい当たっていますね」
「え!」
「そんなわけないでしょう」と否定の言葉が来ると思っていたから、逆にメルティアが動揺する。
「何を驚いているんだ? 正式に恋人になっただろ」
「う……ジーク、今まで冷たかったから、それに慣れちゃって……」
「……」
ジークはひくりと片頬を引きつらせて視線をそらした。
事実なのだが、忘れてほしい事実だ。
「どうすれば慣れてくれますか?」
「ジークが敬語を辞めたら?」
「……これはもう癖になっているというかだな……」
メルティアは不満そうに口を尖らせる。
「昔は敬語じゃなかったもん……」
「無知な子どもというのは恐ろしいな」
「けち!」
メルティアは大きく顔をそむけた。
怒っているが別に本気で怒っているわけでもない。
ジークもそれを知っていたから、不貞腐れているメルティアを愛おしそうに見る。
「ああ、それよりもうはじまるぞ、戴冠式」
「もうそんな時間? 行かないと! ジーク、変なとこない?」
メルティアは両手を広げてくるりと一周した。
スカートの裾がふわりと膨らんで透明な布がキラキラ光る。
「いつもよりも綺麗に見えるな」
「え! 可愛い?」
「ええ」
「ちゃんと言って!」
「可愛いですよ」
「敬語じゃなくて!」
「可愛い」
ジークはすっかりメルティアの尻に敷かれていた。
メルティアは満足げに笑ってジークの腕に抱きつく。
「ああ。髪飾りが少しずれてる」
メルティアを腕に絡みつかせたまま、ジークが右手でメルティアのピンクの薔薇の花を直す。
髪を触られている間、メルティアがきゅっと目を閉じるものだから、ジークは邪な感情が湧き上がるのを堪えるのに苦労した。
「直った?」
「……直りましたよ」
「ありがとう、ジーク」
メルティアは嬉しそうに照れ笑いをして、ジークの腕に絡みついたまま歩き出す。
「でもよかったのか? 王にならなくて」
メルティアたちの父は、この度の戦争の一件で、隠居することになった。
王が王を辞めたいと泣いたのだから仕方がない。
代わりに、新しく即位することになったのは、ディルだった。
ディルは強くメルティアを推薦したが、メルティアが拒絶したのだ。
メルティアに甘いディルが、嫌がることをさせられるはずもなく、あれよあれよと王になることが決まった。
「わたしが王様なんて無理だよ。ジークもそう思うでしょ?」
「まあ、そうだな」
「正直だね、ジーク」
「カリスマ性という意味では、ディルの方が上だからな」
メルティアは自分の体を見下ろした。
カリスマ的なオーラはたしかにない。
「それに、あまり、人の目に触れさせたくない」
小さな声がぼそぼそっと聞こえて、メルティアは大きな金色の瞳をまん丸にしながらジークを見上げた。
耳まで真っ赤にしたジークがチラリとメルティアを見下ろしていた。
「ジーク、耳真っ赤」
「そういうのは言わなくていい」
「ふふ。ジークかわいい」
「目を離すと、すぐ変な男を引っさげて来るからな」
メルティアはジークの嫌味も気にせず、ジークの腕にじゃれついた。
「それはアレだよ。妖精だったころの名残」
「うわっ。チーくん!」
「よく昔話にもあるだろ? 神の使いだとか、神の化身に心酔して崇めるやつ。本来この世にいないはずの者が現れると、どうしても人は引き寄せられるのさ」
「……そういうことか」
ジークの目が座った。
そのままままじろりとメルティアを見る。
「ジーク?」
「また、どっかの国の王とか、来る可能性もあるってことか」
メルティアは目を瞬いた。
そうして、ジークが心配と一緒に嫉妬もしているのだと気づいて、にこにこと嬉しそうに笑う。
「そうしたら、ジーク、わたしと一緒に逃げよう?」
思わぬ提案に、ジークは片眉をあげて、やがて幸せそうに苦笑する。
「あなたとなら、どこまで行ってもかまいませんよ」
メルティアも幸せそうに笑う。
そんな甘ったるい空気を祝福するように、妖精たちがきゃっきゃっと光の粉を撒いた。
と、そこに、ぬぅっと、うつろな目をしたディルが後ろからメルティアたちの間に割り込む。
「……逃げたら地の果てまで追っかけるから」
「うわぁ!? ディルにぃ」
さすがのメルティアもジークの腕を離した。
「いちゃついてるとこ悪いけど、戴冠式はじまるから」
「わ、わかってるもん。今行こうとしてたの」
「というか、主役がどうしてここにいるんだ。おまえこそ急いだほうがいいだろ」
ディルは腕を組んでふんぞり返る。
「ティアがいないから」
「シスコンか」
ジークの突っ込みも無視して、ディルはメルティアを見た。
上から下まで見て満足げにうなずく。
「うん、かわいい」
「ディルにぃもかっこいい! 王子様みたい」
「王子様だよ。これから王様になるの」
正論も気にせず、メルティアはかっこいいかっこいいと拍手した。
「あーあ、ずっとティアを王にして、僕は気ままに参謀でもやろうと思ってたのにな」
「そんなこと思ってたの?」
「だって王なんてめんどうでしょ」
「たしかに」
「うなずかないでよ。これから王になるってやつを前にして」
メルティアがクスクスとおかしそうに笑うのを見て、ディルは目を細める。
数か月死んだように眠り続ける姿を見ていたから、動いていることが奇跡のようだ。
「まあ、ティアがいいならいいけどさ」
「ディルにぃ大好き! お花は任せて!」
「そのつもり。僕、花の世話無理だし」
「そこは不器用だもんね」
花の世話に長けているメルティアと正反対に、ディルは花の世話が苦手だった。
水やりしてもすぐ枯れるのだ。
いったい何が悪いのかは謎である。
「今でも、どうして自分が花の国に生まれたのか疑問だよ」
それを聞いたメルティアは、クスリと笑ってやがて破顔する。
「運命かもね!」
ディルの戴冠式は問題なく執り行われ、ファルメリア王国に新たな王が誕生した。
その日の夜、メルティアは自分の部屋でジークの淹れたお茶を飲んでいた。
「ディルにぃがね、わたしとジークはどうするんだって」
「どうとは?」
「えっと……だから……その……」
メルティアが言いずらそうにもじもじしていると、ジークが「ああ」という顔をしてメルティアの前の席に座る。
「婚姻ってことですか?」
ビクンとメルティアの体が跳ねた。
そうして、うかがうようにジークを見てから、小さくうなずく。
一度断られているからトラウマになっているのだ。
「いつでもいいですよ。いつがいいですか?」
「……え」
「え? ってなんですか。まさかする気がなかったのか?」
今度はジークのほうが驚く。
メルティアは慌てて首を千切れるほど振った。
「ち、違うの。ジーク、わたしと結婚してくれるんだって思って……」
「……過去の記憶を消す方法があったら嬉しいのですが」
「だめだよ。全部大切な思い出だもん」
膨れるメルティアにジークだけが苦笑いをする。
「そういえば、ティアは今までのこと全部覚えているのか?」
「全部って?」
「妖精のこととか」
メルティアは上を見ながら首をひねる。
正直、ほとんど覚えていなかった。
ジークからいろいろ聞かされてそうなのかとは思ったが、あまり実感も湧かなかった。
「うーん。暴れてたことはちょっと覚えてるよ。ジークが来てくれたのも」
「他は覚えてないのか? 妖精だったこととか」
「うっすらあるけど、よくわからない」
「そういうものなのか」
よくわからないが、そういうものらしい。
メルティアはそんなことより大事な話があるとばかりにぐっと身を乗り出す。
「け、結婚は……?」
「ですからいつでもいいですよ」
「明日でもいいの?」
「それはさすがに準備の者が過労死するのでやめたほうがいいかと」
真面目な返しにメルティアはクスクス笑った。
もちろん、明日結婚する気なんてない。言ってみただけだ。
でも、ジークは嫌だとは言わなかったから、本当にいつでもいいのだろう。
「わたしもね、いつでもいいの」
「希望があるわけではないのか?」
「うん。ジークがいるならそれでいいの!」
満面の笑みにジークは面食らった顔をして、やがて幸福そうに目尻を垂らす。
「報告も準備もあるから少しずつだな。それに……」
「それに?」
「ちゃんとプロポーズもしていない」
ジークがふいと視線をそらす。
メルティアは「ジークはロマンチスト」という言葉を思い出して、またクスクスと笑った。
「ジーク大好き!」
「……俺も、あなたが好きですよ」
幸福そうに笑いながら、軽いキスをして、メルティアは今までのことを思い返す。
つらいことも多かった気がするが、それも全部このためだったのだと思うと気にならなかった。
チーが言っていた通り、なんかうまいことまとまるのだ。
運命というものは。
妖精姫と忘れられた恋 end.
あとがき
ここまでお付き合いくださった皆様、本当にありがとうございました。
このお話は切なくてすれ違って、でもお互いが想いあっているようなお話にしたくて書きました。
途中でもやもやすることもあったと思いますが、最後まで読んだときに、少しでも「読んでよかったな」と思ってもらえたならとても幸せです。
【いつかの二人】