リリアは目を見開いて固まった。
瞬きもせずに、グレイを強ばった顔で見つめる。
「聖女のこと、知ってたんですか?」
「まァな」
「……そ、そうだったんですね」
リリアは売られたのだから当然なのかもしれない。
考えてみれば、シーカーが契約書のようなものを持っていた。
なら、最初から知っていたのだろう。
リリアは肩の力を抜いた。深く息を吐いて、緊張していた心を落ちつける。
気持ちがゆるんだところで、ふと、引っ掛かりを覚えて首をひねる。
いくら売るためとはいえ、国の重要機密を簡単に話してしまうものなのかと。
そもそも、売らなくてもあのまま山に放置していたなら、リリアは数日とせずに死んでいた。
わざわざ他国に売った理由はなんなのだろうかと考えてみるが、何も思い浮かばない。
難しい顔をして、リリアは黙り込む。その注意を引かせるように、グレイが指先でトントンとテーブルを叩いた。
「で?」
「え……?」
「だから、関係あんのか?」
リリアは再び口を閉ざした。
グレイがどこまで知っているのか分からない。聞いて、どうするつもりなのかも。
黙ったまま口を開こうとしないリリアを見て、グレイは面白がるように笑みを浮かべる。
「まァいい。順に聞いてくか……。なんの罪を犯した?」
「……知ってるんじゃないんですか?」
「ばァか。俺はおまえに聞いてる。おまえの口から、話せ」
ゆるやかに上がる口角と、余裕たっぷりの笑み。
この人になら、話してもいいんじゃないかと、そんな気にさせる不思議なオーラがある。
「聖女だと嘘をついたと……そう言われて、追い出されました」
「ほぉ? 嘘をついてたのか?」
「ついてません! だって、この石が……」
「なるほどな。それが聖女の証明ってことか」
グレイがニヤリと笑ってリリア見た。
リリアはハッとして口をつぐむ。
リリアは隠し事が上手くない。口を開いたら何でも話してしまう気がして、唇を引き結んだ。
「俺たちの石と似てんな。てことは、それが聖女の力の源か」
黙り込むリリアを気にせず、グレイはリリアの首にある石を引っ掻くように触れる。
「七色ねェ……」
グレイは左手で頬杖をつきながら、カリカリと右手で七色に輝く石を引っ掻く。
リリアは黙ってされるがままになった。
「聖女は祝福ができるんだったか? 今やってみろ」
「……使えません」
「あ?」
「聖女の力が、使えないんです」
リリアは情けなく眉を下げてうつむいた。膝の上に置かれている自分の手をじっと見つめる。
「殿下は、シルカ……えっと、私の友だちなんですけど」
「あァ、おまえの王子様な」
「……シルカが、本物の聖女だって、そう言っていました。私は、確かに力が使えませんし、聖女に選ばれたとき、シルカも一緒にいました」
「ほぉ?」
「私は、自分が本当に聖女だったのかも、自信がないんです。もしかしたら、本当に選ばれたのはシルカで、私は何かの手違いで……。だから、シルカは怒ったんじゃないかって」
リリアはきゅっと唇を噛む。
「だって、私は。聖女なら聞こえるという、神の声を、聞いたことがないんです」
ずっと思っていたことを、ようやく誰かに打ち明けられた。
おなかの中に、ぐるぐると渦巻いては消化できなかった気持ち。
誰かに聞いてほしかったけれど、誰も、話す人がいなかった。
リリアはチラリと視線だけでグレイを見た。
どう思われただろうか?
軽蔑されただろうか?
そう思って見つめたけれど、グレイは頬杖を付いたままそっぽを向いて、何か考えているような顔をしていた。
軽蔑の色が浮かんでいるようには見えない。
何を考えているのだろうと、リリアはぼんやりとグレイの横顔を見つめた。
ふいに、青い瞳がリリアのほうを向き、バチンッと視線が合わさって、リリアは少しだけ仰け反るようにして身を引いた。
「今までどうやって力を使っていた?」
「……え?」
「聖女の力だよ。俺たちのと似てるからな。何かわかることもあるかもしれねェ」
リリアは少しだけ考える。
「聖女の力は、神という存在から与えられると言われています。神とこの世界を繋ぐ存在──聖女は神の媒介なのだと、そう聞きました」
「つまり、使おうと思っても使えるものじゃねえってことか?」
「うーん、使おうと思ったら、力を貸してくれるって感じでしょうか?」
リリアは「力を貸してください」と、そう祈りながら力を使っていた。
「ボスは?」
「あァ? あー、無理やり奪う、って感じか?」
「……へ?」
何か、物騒な言葉が聞こえた。
何度も目を瞬くリリアに、グレイはニヤリと口角を上げて笑う。
「貸してくれと願うより、力を寄越せ、ってイメージだ」
「ええっ、そういう感じなんですね」
「シーカーも似たようなもんだ。あいつも、そういうとこあるヤツだからな」
「シーカーさん、陽気で明るい優しそうな感じなのに……」
「ばァか、人を信用しすぎると痛い目見るぞ」
少し呆れたような眼差しを向けられて、リリアはあいまいに笑って誤魔化した。
「まァ、できなくてもいい。今やってみることはできるか?」
リリアは少しだけ迷って、小さくうなずく。
グレイに向かって手をかざして、小さく祈る。けれども、やっぱり何も起きなかった。
落胆して、やっぱり自分は聖女ではなかったのかもしれないと、リリアはそう思った。のに。
グレイはなぜか、口端をあげて笑っていた。
結果のわからないギャンブルをどう楽しむか考えているようにも見えるし、乾ききった喉を潤すオアシスを見つけたような顔にも見える。
陶然としたように笑みを浮かべて、グレイはリリアの手を見ていた。
「……ボス?」
「ん?」
呼びかけて、返ってきた声に、リリアはドキッとした。声に、色気が乗っているような気がしたからだ。
頬杖を付いたまま、青い瞳がリリアを見る。
また、視線だけで動けなくなるような感覚がした。青い瞳が、血塗られた赤に染まるように見える。
リリアの脳裏に、マダムの熱い眼差しという言葉が蘇った。
「え、えっと、か、帰りますか?!」
「は? まだメシ食ってねェだろ」
「そ、そう、ですね……。えっと……」
リリアはわざとらしくメニューを開いた。
心臓の奥が縮み上がったみたいに、震えている。ドクドクと胸の奥を叩いて、今にも飛び出てきそうだ。
グレイの目を見ることができない。
目を見てしまったら、呑み込まれてしまう気がした。
正体不明の、胸のざわめきに。