メルティアが帝都にたどり着く五日前、ファルメリア王国に一人の男が舞い戻っていた。
ガツガツガツと苛立ったように足音を鳴らし、無遠慮に王の部屋を開け放つ。
「ティアは!?」
中で泣き暮れていた王と王妃はビクリと肩を揺らし、入り口を見てまたくしゃりと顔をゆがめる。
「ディル! ティアが……ティアが」
「ティアはどこ?!」
「ティアは……自ら帝国に……」
「はぁ? 本当に、自分の親ながら頼りにならないな!」
うぐっと胸に刃物を受け、父である王は胸を押さえてうずくまった。
そんな父のそばに母が慌てて駆け寄る。
「ディル! そういうこと言うものじゃありませんよ! あぁ、可哀想に……」
スリスリと王に頬ずりをする母をげんなりした顔でディルは見つめる。
自分の親のそういう姿はなんとも微妙な気持ちになる。
「そういうのはあとにして」
面倒くさそうに頭をかいたディルが、さっと跪き、真剣なまなざしで父を見る。
「陛下、全権指揮の許可を」
ぽかりと口を開けて間抜けな顔をしていた父が、はっとしたように大きくうなずく。
「あ、ああ! もちろんだ!」
それだけ聞いたディルはとっとと部屋を出ようとする。
その背中に、父は言葉を投げかけた。
「なんなら王位を譲っても……」
「冗談」
ディルはピタリと足を止めて、扉に手をかけながら不敵に笑う。
そして、くるりと振り返って言ってのけた。
「この国の王になるのは、ティアだから」
ポカンと口を開けている父を置いて、ディルは部屋を出る。
カツカツと廊下を歩きながら、ディルはジークを探した。
騎士団にいるかと思えばいない。部屋にもいない。ガラスハウスにも。
となると、あの場所しかなかった。
ディルはメルティアの部屋をバァンと豪快に開け放つ。
予想通り、中にはジークがいた。
ただ、突然の訪問者にも驚くことはなく、腑抜けたように椅子に腰かけて花を見ている。
座ったまま死んでいると言われても納得するような呆けっぷりだ。
「ちょっとジーク、何してんの」
ディルが声をかけても反応がない。
目の前で手を振るが無反応。
「はぁ……ダメだこりゃ」
人はここまで廃人になれるのかと感心したほどだ。
「ジーク! しばらく僕の側近として付いてきて」
ディルはジーク復活の呪文を唱えた。
「ティアを取り戻す」
ジークが目を見開いて振り返る。
ディルはやれやれと肩をすくめた。
たった一人の女に人生を捧げているようなものなのに、これで別の女と添い遂げるなど考えていたのだから不思議である。
「ディル、帰ってたのか……」
「さっき帰った。大体の状況は把握してる。帝国がこの国に戦争をしかけるらしいって聞いて、慌てて帰って来たからね」
ディルの言葉を聞いたジークが顔を曇らせる。
「それはメルティア様が……」
「ティアが行ったから戦争が止まる?」
「はい。だからあの方は国のために行くと……」
「はっ。あの戦争王が、本当にこの国を見逃すと思ってるの?」
ジークは怪訝そうにディルを見た。
「あの戦争王は国を保証すると言って、金の匂いがする国を結局滅ぼしている」
「そんなことが許されるのか?」
ディルはクスリと笑ってジークの胸を人差し指で小突いた。
「甘いなぁ、ジークは。戦争ってのは、勝った方が正義なんだよ。どう言われようと、攻め滅ぼしてしまえば勝ち。今の帝国は、数多の反感すらも薙ぎ払う力を持ってるのさ」
帝国というくらいだから、この大陸でトップの人口・面積・軍事力を誇る。
そこに数多の国を吸収しているおかげで、今の帝国に対抗できる国なんてないに等しかった。
「帝国が来る確証があるのか? 悪いが、この国に金目のものがあるとは思えない」
ファルメリア王国にあるのは花と蜂蜜くらいだ。
宝石もあまり流通していない。
帝国が欲しがるような金目のものがあるというのは考えにくい。
「あの皇帝は、この国が怖いんだよ」
「怖い?」
「そう。聖地と呼ばれている、ココが」
ディルは確証を得ているような顔で口元に不敵な笑みを浮かべる。
「連戦連勝で、行けると思っている今、必ずこの国を攻め滅ぼしにくる」
「……」
「それに、この国が滅ぼされてほっとする国は、僕たちが思ってるよりも、ずっと多いんだよ」
ジークは沈黙した。
ディルがやたらと何かを調べていることは知っていたから、この国の人間が知らないようなことも知っているのだろう。
さてと、とディルが立ち上がったそのとき、バタバタと廊下を行き交う慌ただしい足音が聞こえてきた。
「ディル様、ディル様ーっ!」
さらには大声で名前を叫ぶ声も聞こえて、ディルは鬱陶しそうに顔を歪めながら扉から顔を出した。
「うるさいなぁ。なに?」
「ディル様! ここにいらっしゃいましたか! 大変です! 帝国軍がっ!」
ディルが目を見開いて舌打ちした。
***
一日後に式を控えていたメルティアは、厳しいレッスンを終えて部屋へと戻っていた。
花もなく、土いじりもさせてもらえず、しているのは帝国の歴史やマナーばかりだ。
とてもつまらない。
食事も口に合わず、メルティアはほとんど食べていなかった。
しかも、チーの元気もなく、疲れたようにうつらうつらしている。
数少ない癒しの時間である自由時間にうとうとしていると、突然ノックもなしに扉が開いた。
メルティアは驚いて飛び起きて、扉のほうをみる。
「機嫌はどうだ? お姫様」
くいっと眉を上げてニヒルに笑った皇帝が扉の所に立っていた。
メルティアは慌てて近づいて跪く。
「ど、どうされたのですか?」
「なぁに、ちょっとした報告よ」
「報告?」
首をかしげたメルティアの細い顎を、皇帝がくいっとつかむ。
「おまえの故郷はもうない」
「…………え?」
皇帝がニヤリと笑う。
「聖地ファルメリアは滅んだ」