酒場をクビになったリリアは、数日かけてパン屋、画家の手伝い、薬作りの手伝いと、あらゆる店を転々とし、結局、はじめてこの街に来たときと同じ、グレイの執務室に戻って来ていた。
頬杖を付きながら紙を眺めていたグレイは、胡乱な目をしてリリアを見る。
「……おまえ、悲しいくらい才能ねェな」
「うっ」
「はァー、もういい」
リリアの肩がビクリと跳ね上がった。不安気な顔で、うつむいたまま床を見つめる。
何度もチャンスはもらった。それをすべてダメにしてきたのだ。リリアは今度こそ街を追い出されるのだと覚悟した。
固く目をつむって断罪を待つ。
「リリア、おまえ、とりあえずここに居ろ」
「……え?」
リリアは顔を上げてグレイを見た。やる気なさそうに紙を見ていたグレイは、その紙をリリアに向かって突き出す。
「紙の仕事ならできんだろ。読み書きは?」
「あ……で、できます」
「目ェ離すと何仕出かすかわかんねぇし、ちょうどいい。とりあえずこれに目を通しとけ」
差し出された紙を受け取って、疲れたように首を回すグレイをリリアは見た。
「お、追い出さないんですか?」
「あ?」
「だって、私、何もできません……」
すっかり自信をなくしたリリアは、紙の端をきゅっと握ってうつむいた。
「ばァか。人には必ず、何か得意なことがあんだよ。おまえはまだ、それが見つかってねえだけだ。できねェことはできるヤツがやる。その代わり、そいつらが困っていたときに、おまえにできることがあったなら。そんときに恩返しすりゃァいい」
リリアは泣きそうに眉を下げ、頼りなく左右に視線をさまよわせた。
「ありがとうございます、ボス」
頭を下げて、込み上げてきそうな涙をぐっと堪える。
聖女ではなくなった自分の価値を見つけるのは、途方もないくらい難しかった。
聖女様、なんて呼ばれていたけれども、リリアはそうやって自分を呼んでくれていた人たちが、どれだけすごいか実感する。リリアにはできないことを、簡単にやってのけてしまう人たちだ。
聖女に選ばれたころのリリアは、立派な聖女になるのに一生懸命すぎて、肝心の民一人一人を見れていなかったかもしれない。
だから無くなってしまったのだろうか。
リリアの力は。
「まぁ、アレだ。とりあえず、何か茶菓子買って来い。そんくらいできんだろ、いくらどん臭くてもな」
「……何がいいですか?」
「なんでもいい。おまえの好きなもん買って来い」
シッシッと追い払うように手を振られて、リリアは紙をテーブルに置くと、立ち上がって部屋を出た。
パタンと扉を閉めて、深く息を吐き出す。
情けない。そんな一言で済ましてはならないくらい、自分が恥ずかしくて堪らないけれど。
またチャンスをもらったのだ。何か、できることを探さなくては。
リリアは両手で自分の頬を叩いて気合を入れると、顔を上げて歩き出した。
「やあ、リリアちゃん。買い物かい?」
「こ、こんにちは」
幸か不幸か、いろんな店を転々としたリリアは、すっかりとこの街に馴染んでしまっていた。
声をかけてくれたパン屋のおじさんに頭を下げて、リリアは少しだけ近づく。
「おすすめのお菓子のお店とかって、ありますか?」
「ああ、甘いものかい。ウチの街ではヘルゼーヌがおすすめだよ。あまーいクリームがたっぷり乗ったお菓子がある」
「わあっ、美味しそう!」
「行ってみるといいさ。きっと気に入る」
ニコリと気のいい笑顔を浮かべたパン屋のおじさんに、リリアはうなずく。店のある場所を教えてもらい、そうだとパン屋のおじさんを見る。
「そのお菓子は、ボスも好きですか?」
リリアの問いかけに、パン屋のおじさんは目を瞬いた。
「ボス? いやぁ、ボスは甘いもの食べないんじゃなかったかな」
「え……」
「確か苦手だったはずだよ。甘いもの」
リリアはお礼を言ってその場を離れると、ヘルゼーヌという店に向かいながら唇を真一文字に結んだ。
茶菓子買って来い、とは言っていたが、甘いものを買って来い、とは確かに言っていなかった。これは、リリアが役に立つかどうかの抜き打ちテストなのかもしれない。
でもリリアの好きなものを買って来いとも言っていた。
けれども、本当に甘いものが苦手なら、ヘルゼーヌのお菓子を買って行ったらグレイは口にすることができない。
悩んだ末に、リリアはヘルゼーヌのお菓子と、甘くないタコの足焼きを買った。たまたま目に入ったのだ。タコが。
右手にタコの足焼き。左手にヘルゼーヌの箱を持って、リリアはグレイの執務室を目指す。
執務室の前で、両手が塞がっていることに気づき、どうしたもんかと思っていたところ、後ろから声がかかった。
「あれ、リリアサン。どうしたんです……か……って、ちょっ、なんすかっ、その手の組み合わせッ」
腹を抱えて笑うシーカーを見て、リリアはほんのりと頬を染めた。
「ぼ、ボスが、抜き打ちテストをしたので……」
「はぁ? ボスが? タコとヘルゼーヌを? ちょっとよくわかんないすけど、まぁ、入ってくださいよ。はい、どうぞ」
ノッカーの合図もなしに、シーカーはひょいと扉を開けた。だんだんと分かってきたが、シーカーとグレイは相当気心の知れた仲らしい。
リリアはお礼を言って部屋に入る。
リリアが帰ってきたことに気づいたグレイが顔を上げ、リリアの手元を見て数秒固まった。
「おまえ、どういう組み合わせのもん食いたかったんだよ」
「えぇと、抜き打ちテストじゃなかったんですか?」
リリアはグレイの机に近づいて、右手に持っていたタコの足焼きを差し出そうか迷いを浮かべる。
「は? テスト?」
「えぇと、ぼ、ボスは、甘いものが苦手だと聞きました」
グレイがぽかんと口を開け、後ろから部屋に入って来ていたシーカーがおかしそうに笑う。
「あんた、それでタコの足焼き買ったんですかッ?」
リリアはだんだんと、これが抜き打ちテストではなかったのだと理解しはじめる。
落ち込んでいるリリアの気を紛らわせようと、純粋にリリアの好きなものを買ってこいと言ったのだ。
リリアはかぁっと耳まで真っ赤に染め上げて、羞恥に涙を浮かべながらうつむいた。
「す、すみません」
「あー……、いや、いい。ちょうど腹がへってた。ありがとな、リリア」
あっさりとリリアの右手からタコの足焼きを奪い取ったグレイは、それを口に入れながら手元の紙に視線を走らせる。
目を丸くしたままグレイを凝視しているリリアに気づくと、クイと顎で右手のほうを示した。リリアがそっちに視線を向けると、そこには簡易給湯室があった。
「お、お茶、いれますねっ」
テーブルにヘルゼーヌの箱を置き、うっすら目元を赤らめたまま給湯室に向かった。
カチャカチャとお茶の準備を進めていると、シーカーとグレイの小さな話し声が聞こえてくる。
「あんた、タコの足焼きも食うんすね」
「まァ、たまにはな。それよりも、頭の悪いお人好しつぅのがよーく、分かった」
そんな声が聞こえて、リリアの背後からグサリとナイフが突き刺さる。
間違いなくリリアのことを話している。
「一年は面倒見てやるか……」
「そんなこと言って、情移したりしないでくださいよ」
「しねェよ、ばァか」
リリアはヒュッと息を飲んだ。お茶を淹れていた手がカタカタと震える。
リリアが聞いていると思っていないのか。それともわかっていて、わざと聞かせているのか。
リリアは期限付きなのだと理解した。
一年間。
それまでに何かできることを見つけなければ、きっと、追い出される。それならまだいいが、邪魔だからと、殺されるかもしれない。
「……見つけなきゃ。私に、できること」
リリアはギュッと茶こしを握り締めた。