「メルティア様、蜂蜜の採取も終わりましたよ」
メルティアが花の手入れをしているとジークが戻ってきた。
「ありがとう!」
「いえ。今回はどうします? メルティア様の蜂蜜も切れかけていたかと」
「そうだっけ? じゃあそれはわたしのお部屋に持っていこうかな?」
「かしこまりました」
琥珀色の蜜が入った瓶を、ジークはハウス内にある白いテーブルの上に置いた。
メルティアはぶちぶちと雑草を抜いて、「あ!」とジークを振り返る。
「ジーク」
「はい」
「次のお休みなんだけれど、三日後以降の何日かとかどうかな?」
メルティアの付き人がジークしかいないため、基本的にジークの休みは不定期だ。
とくに花の世話が終わったあとの半休が多い。連休なんて夢のまた夢だ。
メルティアの言葉を聞いたジークが不審そうに目を細めた。
「……丸一日ですか?」
「うん! あのね、ディルにぃが帰ってくるみたい」
ジークから訝しむ表情が消える。
「そういうことでしたら」
「ディルにぃ何日かいるみたいだから、ジークいっぱいお休みしても大丈夫だよ」
「そうですか……」
ジークは少し考え込んで、「二日お休みをください」と口にした。
「三日後からでいい?」
「ディル様が帰ったのを確認してからでいいですよ」
メルティアは真面目だなぁと苦笑いする。
「じゃあディルにぃが帰ってきてからね」
「わかりました」
慣れたように花に水を与えはじめたジークを見て、メルティアは鼻唄を歌いながら近くの雑草を抜いた。
そして、それから二日後、メルティアとジークがいつものようにガラスハウス内の手入れをし、城内へと戻っているときだった。
たくさん実った果物を抱えて歩いているメルティアに声がかかる。
「ティア!」
大きな広間の中心に、左右から半円を描くように伸びている長い階段。真っ赤な絨毯が敷かれたその階段を登りきった先、その手すりに肘をつき、頬杖をつきながらメルティアを面白そうに見ている男がいた。
サラリと揺れる薄い茶色の髪。
大きなアーモンドアイが、中性的な雰囲気をかもし出す。
ファルメリア王国第一王子、ディル・P・ファルメリア。
メルティアの実の兄だ。
「ディルにぃ! 帰ってたの?!」
メルティアはすぐに駆け出した。
長い半円の階段を子犬のように登って、待っていた主人にわんわんとじゃれつく。
「おかえり!」
「ただいま。というか、ディルにぃはダメだって言ったでしょ。公式の場でディルにぃ~ディルにぃ~キラキラっなんて言ったら、恥かくのはティアだよ」
「キラキラ何て言わないもん」
「例えだよ。そういう音がつきそうってこと」
メルティアの持っていた果物入りのカゴをさりげなく奪い取ったディルは、メルティアの後をゆっくりとついてきた男に気づく。
「ジーク! どう? 異常ない?」
「ディル様。おかえりなさいませ。こちらは特に異常ありません」
ジークが頭を下げると、ディルは鼻の頭に皺を寄せて嫌そうな顔をした。
「このやり取り、毎回やらせる気?」
ジークがふぅと息を吐いて顔をあげる。
「形式は大事だろ」
「僕たち幼なじみじゃん」
「幼なじみでも、あんたは王子だ」
「まったく。ジークってばほんっと、頭硬いよね。こんなのほほんとした国で誰がそんなこと気にするんだか」
ディルの言葉にメルティアは心の中で激しくうなずいた。
メルティアの騎士になってからのジークは砕けて話してくれない。
そこは一緒なのだが、ディルの場合は言えば幼なじみに戻ってくれるらしい。今だって友人の距離感で雑談をしている。
メルティアだけが違う。
どれだけ昔みたいに話したいとお願いしても、必ず一歩引いた態度で従者であり続ける。
結局、メルティアの方が根気負けしてしまうのだ。
「あ、そうだティア」
突然呼ばれ、メルティアは目を丸くしてディルを見る。
「どうしたの?」
「明日予定ある? 出かけようよ」
「朝お水あげたら何もないよ!」
「じゃあ決定。ジークも来るでしょ?」
ごく自然にジークに話題が振られて、メルティアは首を振った。
「ディルにぃが帰ってきたから、ジークはしばらくお休みなの」
「あぁ……なるほど。ならしかたないか。ジークってば無休だしね」
「うっ。た、たまにお休みはあげてる……けど、えっと。ごめんね、ジーク」
メルティアは目をぐるぐると泳がせて、やがて体をちっちゃくしながらしおしおと謝罪した。
そんなメルティアを見て、ジークは優しく目を細めて笑う。
「それが役目ですので」
嬉しいような、嬉しくないような。
メルティアはあいまいに笑い返した。
「まぁ、ティアの世話できるのジークだけだしね」
「……今は違うかもしれないよ」
「は? 何かあってからじゃ遅いんだよ。ティアは姫なんだから」
メルティアは複雑な気持ちでうつむいた。
「なに? まさか、妖精が見えなくなったとか?」
メルティアは小さく首を振る。
「なら却下」
「やってみないと分からないもん」
「まぁ、僕たちもそろそろ移動が厳しくなりそうだから、そうしたらジークも休みが増えるよ」
ディルはいつの間にかいろんな国に行ったり、国の各地を回ったりするようになっていたのだが、それが終わるということだろうか?
「何かあったの?」
「……あぁ、この国なら知らないか」
ディルが小さく呟いた。
「最近、各地で戦争が起きてるんだよ」
「え!」
その場の空気がピリッと引き締まったような気がした。
「数年前に皇帝が変わったんだ。今の皇帝は各地で戦争を起こしては自分の領地にしてる」
「外はそんなことになってたのか」
「そう。だから国の出入りも厳しくなってきててね。僕たちは基本的にただの旅人ってことになってるから、そろそろ検問に引っ掛かりそう」
「というか、そんなことしてたのかよ」
「ディルにぃ、王子様として出かけてたんじゃなかったんだ……」
はじめて知った事実に、メルティアは驚き、ジークは飽きれた。
「王子として行ったら邪魔なのがいっぱいついてくるでしょ」
「邪魔なの?」
「それに……この国の住人が来てるなんて知られたら、どんな騒ぎになるか……」
最後はあまりにも小さくてよく聞き取れなかった。
メルティアとジークは顔を見合わせて首をかしげる。
「まぁ、そういうことだから、ジークはあと少し頑張ってよ。別に嫌じゃないんでしょ? 自分から志願したくらいだし」
メルティアは目線を左上に向けてさりげなくジークの顔をうかがった。
ジークは強くうなずいていた。
「嫌だと思ったことなんて、一度もない」
嘘のない顔だった。
幼なじみのままが良かったと、ジークは思っていないということだ。
あんまり、嬉しくはなかった。
「ジークのばか」
「……急に何ですか」
「いいもん。ディルにぃ行こ!」
ぷいっと顔を背けて、メルティアは歩き出す。
そこに、ずっと黙って聞き耳を立てていた妖精のチーがやってくる。
「難儀だねぇ、メル」
「目の前にすっごい高い山があるみたい……」
「オイラ、ジークはロマンチストだって言ったろ?」
「言ってたけど、そうかなぁ?」
「そうさ。その意味を、よーく考えたらいい」
謎かけのような言葉にメルティアは首をひねる。
「チーくんの言葉、難しくてよくわかんないよ……」
そして翌日、メルティアは朝庭の手入れをディルとしたあと、街に行くために支度をする。
質素な白いワンピースに着替えて、ディルと一緒に城門まで歩いていく。
街までは馬車を使うことが多い。
歩いても行けるのだが、城は丘の上に建っているため、帰りがなかなかに険しい坂になるのだ。
「あぁ、言い忘れていたけど、護衛用意したから」
「え? 誰かいるの?」
メルティアとディルの兄妹水入らずで出かけるときに護衛が来ることはほぼない。
ディル自身が剣技が上手いこともあるが、単純にこの国がそれだけ平和なのだ。
「変な奴じゃないから安心してよ。ティアも知ってる人だし」
「わたしも知ってる人?」
「ほら、もうあそこで待ってる」
くいっとディルが顎で示した先には、巨大な門と、その前に黒い馬車。そして、少しだけラフな格好をした柔らかな雰囲気の青年。薄い茶色の長髪を緩く結んで横に垂らしている。
メルティアはそれが誰かすぐにわかった。
弾んだ笑顔で、大きく手を振る。
「ベイ!」
メルティアが呼びかけると、青年は顔をあげ、ふわっと春風のように優しく笑う。
「やあ、ティア。久しぶりだね。一段と可愛くなったんじゃないか?」
メルティアのもう一人の幼なじみ。
そして、ジークの兄、ベイリー・フォン・ランストだ。